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飢饉

投稿者: ditgtedgbbdc 投稿日時: 2002/07/22 16:05 投稿番号: [58338 / 99628]
古代の飢饉については記録されることが少なかったが、「日本書紀」には567年(欽明28)、626年(推古34)の飢饉で多くの餓死者がでたことが記録されている。いずれも長雨と大水による凶作であった。また平安時代の1181年(養和元)、西日本をおそった干ばつによる飢饉の惨状は「方丈記」にも述べられている。鎌倉時代には、1230年(寛喜2)から数年間つづいた寛喜の飢饉が知られている。これは主として冷夏と暖冬によって米と麦が凶作になり、餓死や疫病がひろがって深刻な社会不安をもたらした。御成敗式目が制定され、親鸞や日蓮が民衆にむかって宗教活動を強化したのは、この寛喜の飢饉のさなかだった。



江戸時代になると水利や灌漑がそなわってきたため、干ばつによる被害は減少したが、冷害や長雨による飢饉はあとを絶たなかった。江戸中期以降におきた享保の飢饉、天明の飢饉、天保の飢饉は、近世の3大飢饉といわれるが、虫害による西日本の享保の飢饉をのぞけば、いずれも東北、関東地方をおそった冷害によるものであった。江戸時代には、米はおもな食糧であっただけでなく、年貢の対象であり、貨幣とならぶ両替の重要な手段であったから、飢饉の社会的影響は大きかった。飢饉のたびに米価は高騰し、米騒動や一揆、打ちこわしをひきおこした。

明治以降も冷夏の年には東北地方を中心に飢饉がおきた。とくに1934年(昭和9)に東北地方をおそった冷害は、米の収穫が平年作の60%という大凶作で、貧しい農民はトチやナラの実、大根の干し葉などを食べて飢えをしのいだ。娘を都会に身売りする農家も少なくなかった。いっぽう、冷害に強い稲の品種の開発がすすめられ(→ 稲作)、農村対策もたてられて、飢饉はしだいにみられなくなった。1918年(大正7)には、米価の高騰に対して米騒動が富山県でおこり、全国に波及したが、これは凶作というより、地主と米商人が米の買い占めをしたためである。
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