イランの小学校へ ②
投稿者: sefide2003jp 投稿日時: 2010/05/30 11:19 投稿番号: [3640 / 3876]
その日はそれから職員室に挨拶に行き、私は校長先生を始め10人位の女性の先生達と話をしました。
職員室は大変狭く、日本のそれの3分の1くらいしかありませんでした。
理科で使う人体の解剖図や、骨の模型や視力検査で使う表などもあり、机は校長先生用の物が僅かに大きいだけで、後は5台くらいの事務机が置いてあるだけでした。先生も午前午後で入れ替わることを考えると、自分専用の机というのは無いのかもしれません。
日本の職員室の書類の山束のような雰囲気とは随分違いました。
先生達も生徒の前を離れると、普通のおしゃべり好きなイラン人おばさんに早変わりし、矢継ぎ早に「イランと日本どちらが住みやすい?」「イランの印象は?」
「イラン料理は好き?」と、紅茶を飲みながら質問してきました(*^_^*)
そして校長先生が「もし良かったら、息子さんもあなたもまた遊びにいらっしゃいよ」と言ってくださり、私も「もちろん喜んで」と答えました。
イラン人はとにかく社交辞令が多いと感じますが、相手の表情でそれが本音なのかどうかというのを、だいぶ見抜けるようになっていたので(これは本当に言ってくれているんだな)と感じました。
もともと義姉がそこの学校の校長先生を務めていて、本人が「現場に戻りたい」と申し出て、今の校長先生が赴任してきたという経緯もあり、義姉はそこの学校内で立場が強いようでした。
その日は、校内の1階にある保育園(ここは男女共学で、学校の先生の子どもと地域の子どもを預かっている)に顔をだしてから、私たちは徒歩5分ほどの所にある義姉の家に戻りました。
帰宅後、義姉と息子との間で「毎日1時間か2時間学校に通う」ことが決まったらしく(注:イランに滞在中、息子は「わたしの息子」ではなく「義姉たちの息子」になるのです(^_^;) )
それから毎日、学校に行くようになりました。
算数やペルシャ語の勉強、理科、社会…教壇に立つ義姉の横で息子はちょこんと椅子に座り、黙って1時間も聞いていたそうです。
当時の彼の日本での生活、と言えば保育園の中で走り回って遊ぶのが「しごと」でしたから、椅子に座って静かに授業を聞いているなんて信じられませんでしたが、彼にとっては「お兄さん」達が、頑張っている姿を見るのはとても楽しかったようでした。
どの子も明るく優しい子達でしたので、息子は学校に行くのが大好きになり
毎日「通学」するのをたのしみにしていました。
義姉のいるケルマンシャーから、テヘラン郊外の家に戻ることになり学校を「卒業」しなくてはならなくなったときは、息子もお兄さん達も泣いてしまいました。
最後の授業の日には、記念写真を撮りに私も学校にまた行ったのですが、
5年生の中に4歳の子が混じっているとは思えないほど、彼らは馴染んでいて
体格の差もさほど気にならなかったし、表情さえ大人びて見えました。
サッカーをして遊んでから、お兄さんたちと別れを告げ学校を出た私たちでしたが、息子にとってイランの小学校はとても楽しい経験だったようです。
それから年月が経ち、息子は日本の小学校に入学をしました。
息子は学校が大好きです。嫌なことも時にはあるようですが、友達が大変多いです。
学校外で知り合って仲良くなり、遊ぶようになった人たちもいるので、先日放課後遊べる仲間の数を数えてみたら200人以上いることがわかりました(下は保育園〜上は高校生まで…)引っ越してきて1年半で大したものだと思います。
これもイランで小さい時期を過ごしてきたお陰かな、と思います。
あの時の5年生ももう高校生。義姉が街で時々卒業生に会うらしいのですが、
「○○○○(息子のこと)元気にしてますか?」と尋ねられるそうです。
息子にはイランにも居場所がある。
それは、あの子にとって将来大きな財産となることでしょう。
職員室は大変狭く、日本のそれの3分の1くらいしかありませんでした。
理科で使う人体の解剖図や、骨の模型や視力検査で使う表などもあり、机は校長先生用の物が僅かに大きいだけで、後は5台くらいの事務机が置いてあるだけでした。先生も午前午後で入れ替わることを考えると、自分専用の机というのは無いのかもしれません。
日本の職員室の書類の山束のような雰囲気とは随分違いました。
先生達も生徒の前を離れると、普通のおしゃべり好きなイラン人おばさんに早変わりし、矢継ぎ早に「イランと日本どちらが住みやすい?」「イランの印象は?」
「イラン料理は好き?」と、紅茶を飲みながら質問してきました(*^_^*)
そして校長先生が「もし良かったら、息子さんもあなたもまた遊びにいらっしゃいよ」と言ってくださり、私も「もちろん喜んで」と答えました。
イラン人はとにかく社交辞令が多いと感じますが、相手の表情でそれが本音なのかどうかというのを、だいぶ見抜けるようになっていたので(これは本当に言ってくれているんだな)と感じました。
もともと義姉がそこの学校の校長先生を務めていて、本人が「現場に戻りたい」と申し出て、今の校長先生が赴任してきたという経緯もあり、義姉はそこの学校内で立場が強いようでした。
その日は、校内の1階にある保育園(ここは男女共学で、学校の先生の子どもと地域の子どもを預かっている)に顔をだしてから、私たちは徒歩5分ほどの所にある義姉の家に戻りました。
帰宅後、義姉と息子との間で「毎日1時間か2時間学校に通う」ことが決まったらしく(注:イランに滞在中、息子は「わたしの息子」ではなく「義姉たちの息子」になるのです(^_^;) )
それから毎日、学校に行くようになりました。
算数やペルシャ語の勉強、理科、社会…教壇に立つ義姉の横で息子はちょこんと椅子に座り、黙って1時間も聞いていたそうです。
当時の彼の日本での生活、と言えば保育園の中で走り回って遊ぶのが「しごと」でしたから、椅子に座って静かに授業を聞いているなんて信じられませんでしたが、彼にとっては「お兄さん」達が、頑張っている姿を見るのはとても楽しかったようでした。
どの子も明るく優しい子達でしたので、息子は学校に行くのが大好きになり
毎日「通学」するのをたのしみにしていました。
義姉のいるケルマンシャーから、テヘラン郊外の家に戻ることになり学校を「卒業」しなくてはならなくなったときは、息子もお兄さん達も泣いてしまいました。
最後の授業の日には、記念写真を撮りに私も学校にまた行ったのですが、
5年生の中に4歳の子が混じっているとは思えないほど、彼らは馴染んでいて
体格の差もさほど気にならなかったし、表情さえ大人びて見えました。
サッカーをして遊んでから、お兄さんたちと別れを告げ学校を出た私たちでしたが、息子にとってイランの小学校はとても楽しい経験だったようです。
それから年月が経ち、息子は日本の小学校に入学をしました。
息子は学校が大好きです。嫌なことも時にはあるようですが、友達が大変多いです。
学校外で知り合って仲良くなり、遊ぶようになった人たちもいるので、先日放課後遊べる仲間の数を数えてみたら200人以上いることがわかりました(下は保育園〜上は高校生まで…)引っ越してきて1年半で大したものだと思います。
これもイランで小さい時期を過ごしてきたお陰かな、と思います。
あの時の5年生ももう高校生。義姉が街で時々卒業生に会うらしいのですが、
「○○○○(息子のこと)元気にしてますか?」と尋ねられるそうです。
息子にはイランにも居場所がある。
それは、あの子にとって将来大きな財産となることでしょう。
これは メッセージ 3639 (sefide2003jp さん)への返信です.