Re: ナマズ
投稿者: secular2004jp 投稿日時: 2007/03/31 12:24 投稿番号: [4267 / 4578]
http://isuramu.netfirms.com/sufizm/sufizm25.htm
心を知る・スーフィズム フトゥッワ(騎士道精神)(ギュレン)
>アリーはフトゥッワを最もよく現す人でしょう。モスクで朝の礼拝を先導している間にイブン・ムルジャムに刺されたときに、彼の子どもたちは父親が死にそうなのを見て、イブン・ムルジャムに対してどうして欲しいか尋ねましたが、彼は報復の実行を指示しませんでした。
毒剣で刺したイブン・ムルジャムをアリーは許しているけど天国いけるかな?不当な殺人に対する復讐という大義名分はあるかもしれない。
ナマズはcatfishじゃなくて礼拝でいいかな?イランでもそういうんだがペルシャ語起源?トルコ化に反しているね(笑い)
コーランでは3回。歴史的にはイスラム法上5回まで増えたといえる。3回は原初的形態をとどめていそうだ。
http://www.ne.jp/asahi/arc/ind/eurasia/05_damascus/damas.htm
>カリフ・ワリード 1世が 8世紀初めに 市の中心部に建立した大モスクは、イスラーム世界に現存する最古のモスクで、ウマイヤ帝国をシンボライズするがゆえに 「ウマイヤのモスク」 と呼ばれている。
現存最古はウマイヤモスク。ジュピター神→キリスト教→共用→モスク(宮田氏の本)
伝承では最初はマディーナにモスクがあったはず。
http://www.isuramu.net/hon/200hadesu/200hadesu2.html
>八、ヤスリブ到着
ムハンマドとアブー・バクルはサウルの洞窟を出てから北 へ北へと歩みを続け、召命から十三年目の三月十二日月曜 日、ヤスリブの南端クッバーの地に到着した。歓喜をもっ て迎えられたムハンマドはその地に四日間滞在し、イスラ ーム最初のモスクであるクッバー・モスクの礎を据えた。 金曜日になると、ムハンマドは信者達と共にヤスリブの中 心地に進み、現在預言者のモスクが立つ地で金曜日の合同 礼拝を挙行した。ムハンマドは預言者のモスクが建つまで の七ケ月間、アブー・アイユーブ・アル=アンサーリーの 許で過ごした。
セマーは宗教的舞踏でいいかな。踊りは遡らないだろう。
http://www.initiative.soken.ac.jp/5jigyo/seika-repo/repo-yoneyama1.html
>26日日曜日のジェムエヴィでのジェムの調査は、その全過程を撮影させていただいた。数百人の参加者と共に、調査者は全体の状況を把握するために入り口付近での参加である。入り口には本来村で行われるジェムに従い、カプジュと呼ばれる番人が立ち、ジェム(エヴィ)へ入ってくる者を統制する。スカーフをもっていない女性には用意してあるスカーフを渡し、座る位置を支持する。参加者はデデを中心に円になって座るが、男女は左右に別れる。円の中央には、「12の奉仕Oniki Hizmetleri」と呼ばれるジェムの進行(構成)とともに、それぞれの進行(構成)を司る担当者が出てきてその役割を果たす。アレヴィーの儀礼ジェムは、聖人の詩を音楽の調べにのせて伝えることで特徴付けられる。デデはバーラマと呼ばれるトルコ特有の弦楽器を演奏しながらジェムを進める。参加者は次第に音楽、そして詩に陶酔し始め、身体をゆすり、詩の内容によっては涙を流す。この日も子供から老人まで数百人の参加者ほぼ全員が、そのような様子を見せていた。最後に行われるセマーは、最初は決められた者が回って(アレヴィーはセマーを「踊る」とは言わず、その振りの特徴から「回る」と言う)いたが、次第に参加者が立ち上がり回りだす。これは19日のジェムでも同様であった。しかし、セマーに関しては、2004年の簡単な調査時、及び、19日のジェムとの相違が見られた。アレヴィー以外にトルコでもう一つ、セマーを宗教儀礼に使用する神秘主義教団であるメヴレヴィー教団のセマが、ジェムのセマーと同時に回られたのである。これは現代トルコ都市独自の大きな変化と言える。ジェム終了後、参加者数人にインタビューを行った。毎週来ているという者は少なかったが、皆、調査者に対し信仰心の厚さをみせていた。
以上が今回の主な調査である儀礼ジェムである。計5回参加したが、参加者の人数の増減はあっても、いずれも同様の内容であった。
>デデ(ベクタシュ・デデ)へのインタビューは、協会事務所で行った。このデデは、約5年ほど前から本協会でデデとしてジェムを先導している。メヴレヴィーのセマーをジェムの中に取り入れた理由を問うと、同じセマー(セマ)であるため、とはっきりした答えはなかった。
心を知る・スーフィズム フトゥッワ(騎士道精神)(ギュレン)
>アリーはフトゥッワを最もよく現す人でしょう。モスクで朝の礼拝を先導している間にイブン・ムルジャムに刺されたときに、彼の子どもたちは父親が死にそうなのを見て、イブン・ムルジャムに対してどうして欲しいか尋ねましたが、彼は報復の実行を指示しませんでした。
毒剣で刺したイブン・ムルジャムをアリーは許しているけど天国いけるかな?不当な殺人に対する復讐という大義名分はあるかもしれない。
ナマズはcatfishじゃなくて礼拝でいいかな?イランでもそういうんだがペルシャ語起源?トルコ化に反しているね(笑い)
コーランでは3回。歴史的にはイスラム法上5回まで増えたといえる。3回は原初的形態をとどめていそうだ。
http://www.ne.jp/asahi/arc/ind/eurasia/05_damascus/damas.htm
>カリフ・ワリード 1世が 8世紀初めに 市の中心部に建立した大モスクは、イスラーム世界に現存する最古のモスクで、ウマイヤ帝国をシンボライズするがゆえに 「ウマイヤのモスク」 と呼ばれている。
現存最古はウマイヤモスク。ジュピター神→キリスト教→共用→モスク(宮田氏の本)
伝承では最初はマディーナにモスクがあったはず。
http://www.isuramu.net/hon/200hadesu/200hadesu2.html
>八、ヤスリブ到着
ムハンマドとアブー・バクルはサウルの洞窟を出てから北 へ北へと歩みを続け、召命から十三年目の三月十二日月曜 日、ヤスリブの南端クッバーの地に到着した。歓喜をもっ て迎えられたムハンマドはその地に四日間滞在し、イスラ ーム最初のモスクであるクッバー・モスクの礎を据えた。 金曜日になると、ムハンマドは信者達と共にヤスリブの中 心地に進み、現在預言者のモスクが立つ地で金曜日の合同 礼拝を挙行した。ムハンマドは預言者のモスクが建つまで の七ケ月間、アブー・アイユーブ・アル=アンサーリーの 許で過ごした。
セマーは宗教的舞踏でいいかな。踊りは遡らないだろう。
http://www.initiative.soken.ac.jp/5jigyo/seika-repo/repo-yoneyama1.html
>26日日曜日のジェムエヴィでのジェムの調査は、その全過程を撮影させていただいた。数百人の参加者と共に、調査者は全体の状況を把握するために入り口付近での参加である。入り口には本来村で行われるジェムに従い、カプジュと呼ばれる番人が立ち、ジェム(エヴィ)へ入ってくる者を統制する。スカーフをもっていない女性には用意してあるスカーフを渡し、座る位置を支持する。参加者はデデを中心に円になって座るが、男女は左右に別れる。円の中央には、「12の奉仕Oniki Hizmetleri」と呼ばれるジェムの進行(構成)とともに、それぞれの進行(構成)を司る担当者が出てきてその役割を果たす。アレヴィーの儀礼ジェムは、聖人の詩を音楽の調べにのせて伝えることで特徴付けられる。デデはバーラマと呼ばれるトルコ特有の弦楽器を演奏しながらジェムを進める。参加者は次第に音楽、そして詩に陶酔し始め、身体をゆすり、詩の内容によっては涙を流す。この日も子供から老人まで数百人の参加者ほぼ全員が、そのような様子を見せていた。最後に行われるセマーは、最初は決められた者が回って(アレヴィーはセマーを「踊る」とは言わず、その振りの特徴から「回る」と言う)いたが、次第に参加者が立ち上がり回りだす。これは19日のジェムでも同様であった。しかし、セマーに関しては、2004年の簡単な調査時、及び、19日のジェムとの相違が見られた。アレヴィー以外にトルコでもう一つ、セマーを宗教儀礼に使用する神秘主義教団であるメヴレヴィー教団のセマが、ジェムのセマーと同時に回られたのである。これは現代トルコ都市独自の大きな変化と言える。ジェム終了後、参加者数人にインタビューを行った。毎週来ているという者は少なかったが、皆、調査者に対し信仰心の厚さをみせていた。
以上が今回の主な調査である儀礼ジェムである。計5回参加したが、参加者の人数の増減はあっても、いずれも同様の内容であった。
>デデ(ベクタシュ・デデ)へのインタビューは、協会事務所で行った。このデデは、約5年ほど前から本協会でデデとしてジェムを先導している。メヴレヴィーのセマーをジェムの中に取り入れた理由を問うと、同じセマー(セマ)であるため、とはっきりした答えはなかった。
これは メッセージ 4257 (aucuba_japonica さん)への返信です.
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