Re: うろおぼえだった
投稿者: secular2004jp 投稿日時: 2007/03/20 16:24 投稿番号: [4186 / 4578]
>ハディースです。ハディース偽作は信じられないほど多いです。完全なコーランがあるから、信用しなくてもいいと思うよ。
具体的に資料批判を個々のハディースにしないと真贋は決まらない。信用できるのもあるらしい。事実に即して判断すべき。(イスラム教徒の小杉泰氏と同意見)コーランは信用できなくてもハディースを信用するケースもありうる。(歴史学的文献として)
コーランは憲法みたいなもので大枠しかいっていない。だから細則を定めたハディースがないとイスラム法は機能しない。もっとも法学者の合意も大切だが。イスラム教の正統思想はコーランとスンナだから異端(アレヴィー派)で不信仰者(コーランオンリー)としてジハードでの異教徒のように殺されかねないのでトルコ人さん大ピンチ。
柳橋氏
http://www.meij.or.jp/information/ChutoKenkyu/pdfs/yanagihashi.pdf
ここでシャハトは、欧米では今日に至るまで最も人口に膾炙しているテーゼを発表しているが、その概略は次の通りである。スンナ派法学における第2の法源である預言者のスンナという概念は、イスラーム草創から約1世紀を経て初めて現れたものであり、それ以前には、ムスリムによって征服された地域において、スンナとは、各地域の法慣習としての「生きた法的伝統」を指していた。同様に、『コーラン』の法源としての地位もまだ充分に高くはなかった。すなわち、古典的な理論によれば、『コーラン』は第1の法源であり、『コーラン』に明文の規定がある場合にはもちろん、明文の規定がなくとも、その趣
旨にそって法規定が定められなければならないとされていた。しかしこのような観念は、イスラームの第2世紀に入り、法の体系化・イスラーム化(Islamization)が進んでから初めて現れたのであり、それまでは、『コ
ーラン』に規定のない事項に関しては生きた法的伝統が行われており、また『コーラン』の明文の規定すら、その適用がしばしば回避されていた。イスラームの第2世紀に入ってから、『コーラン』と、それと並んで「預言者のスンナ」(預言者ムハンマドの言行の記録であるハディースに体現された法規範)がイスラーム法の至高の法源とされ、この二つに規定が存在しない場合には、これらの法源からの厳密な推論によって法規定を導かなければならないとする
理論が形成され、シャーフィイー(767 〜820)によって大成された。そしてそれと並行して、8世紀の末以降、預言者に帰せられるハディースが大量に創作され、預言者に仮託された。シャハトの議論は、しばしば具体的な実証を欠いており、また一般論を不用意に個々の事例に適用して循環論法に陥るなど、多くの欠陥を蔵してはいるが、預言者のハディースの大部分を後世の偽作と断ずる点が行き過ぎであるとして修正を被っている点を除いては、今日でも欧米においては通説たる地位を失っていない。
中田氏
http://www1.doshisha.ac.jp/~knakata/ronbun10.thml
[23]基本的にシャハトの立場に立つことは、柳橋氏自身も述べている。柳橋博之「今日のイスラーム法研究」、『中東研究』、No.444、1998年11月、66-67頁参照。なお、シャハトはフカハーゥの間では完全に黙殺されているが、ハディース学者の手になるシャハト仮説の詳細な論駁の例としては、c.f., M.Mustafa al=Azami, On Schacht's Origins of Muhanmmadan Jurisprudence, Oxford, 1996.
>神様が不公平だと思う人が居てもよいが、間違いだと思います。何故というと、人生(疑いなく果敢ないものである)は(「永久」という言葉を意識した上で、)諸行無常だからです。あの世があるかどうかは証明できないけど〜。
諸行無常は仏教だよ。仏教に神様いないんだよ。無神論的宗教。多神崇拝(シルク)の罪は免れてはいるが。
あなたは人間なのにどうして神様のことがわかるの?経典を神の言葉と信じているだけでしょう。2+4+2=8=6は矛盾するから前提がおかしいでしょう。僕には信じられないよ。
>冗談ですよ。でも、疑いなく殴られ、ハマムから追い出されると思うよ。
日本では浴場で誘えば逃げられる。はってん場というところがあるそうなそこならOK。
具体的に資料批判を個々のハディースにしないと真贋は決まらない。信用できるのもあるらしい。事実に即して判断すべき。(イスラム教徒の小杉泰氏と同意見)コーランは信用できなくてもハディースを信用するケースもありうる。(歴史学的文献として)
コーランは憲法みたいなもので大枠しかいっていない。だから細則を定めたハディースがないとイスラム法は機能しない。もっとも法学者の合意も大切だが。イスラム教の正統思想はコーランとスンナだから異端(アレヴィー派)で不信仰者(コーランオンリー)としてジハードでの異教徒のように殺されかねないのでトルコ人さん大ピンチ。
柳橋氏
http://www.meij.or.jp/information/ChutoKenkyu/pdfs/yanagihashi.pdf
ここでシャハトは、欧米では今日に至るまで最も人口に膾炙しているテーゼを発表しているが、その概略は次の通りである。スンナ派法学における第2の法源である預言者のスンナという概念は、イスラーム草創から約1世紀を経て初めて現れたものであり、それ以前には、ムスリムによって征服された地域において、スンナとは、各地域の法慣習としての「生きた法的伝統」を指していた。同様に、『コーラン』の法源としての地位もまだ充分に高くはなかった。すなわち、古典的な理論によれば、『コーラン』は第1の法源であり、『コーラン』に明文の規定がある場合にはもちろん、明文の規定がなくとも、その趣
旨にそって法規定が定められなければならないとされていた。しかしこのような観念は、イスラームの第2世紀に入り、法の体系化・イスラーム化(Islamization)が進んでから初めて現れたのであり、それまでは、『コ
ーラン』に規定のない事項に関しては生きた法的伝統が行われており、また『コーラン』の明文の規定すら、その適用がしばしば回避されていた。イスラームの第2世紀に入ってから、『コーラン』と、それと並んで「預言者のスンナ」(預言者ムハンマドの言行の記録であるハディースに体現された法規範)がイスラーム法の至高の法源とされ、この二つに規定が存在しない場合には、これらの法源からの厳密な推論によって法規定を導かなければならないとする
理論が形成され、シャーフィイー(767 〜820)によって大成された。そしてそれと並行して、8世紀の末以降、預言者に帰せられるハディースが大量に創作され、預言者に仮託された。シャハトの議論は、しばしば具体的な実証を欠いており、また一般論を不用意に個々の事例に適用して循環論法に陥るなど、多くの欠陥を蔵してはいるが、預言者のハディースの大部分を後世の偽作と断ずる点が行き過ぎであるとして修正を被っている点を除いては、今日でも欧米においては通説たる地位を失っていない。
中田氏
http://www1.doshisha.ac.jp/~knakata/ronbun10.thml
[23]基本的にシャハトの立場に立つことは、柳橋氏自身も述べている。柳橋博之「今日のイスラーム法研究」、『中東研究』、No.444、1998年11月、66-67頁参照。なお、シャハトはフカハーゥの間では完全に黙殺されているが、ハディース学者の手になるシャハト仮説の詳細な論駁の例としては、c.f., M.Mustafa al=Azami, On Schacht's Origins of Muhanmmadan Jurisprudence, Oxford, 1996.
>神様が不公平だと思う人が居てもよいが、間違いだと思います。何故というと、人生(疑いなく果敢ないものである)は(「永久」という言葉を意識した上で、)諸行無常だからです。あの世があるかどうかは証明できないけど〜。
諸行無常は仏教だよ。仏教に神様いないんだよ。無神論的宗教。多神崇拝(シルク)の罪は免れてはいるが。
あなたは人間なのにどうして神様のことがわかるの?経典を神の言葉と信じているだけでしょう。2+4+2=8=6は矛盾するから前提がおかしいでしょう。僕には信じられないよ。
>冗談ですよ。でも、疑いなく殴られ、ハマムから追い出されると思うよ。
日本では浴場で誘えば逃げられる。はってん場というところがあるそうなそこならOK。
これは メッセージ 4185 (secular2004jp さん)への返信です.
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