ガザでの殺戮が始まった・・・2
投稿者: jyonnconner 投稿日時: 2006/11/04 10:01 投稿番号: [740 / 2525]
また、戦車の一台もなく戦闘機や攻撃ヘリの一機もないパレスチナの武装セクトが、ガザ地区からヒョロヒョロと撃ってどこに落ちるか分からない手製ロケットを飛ばしたり、かろうじて一人二人が壁を越えてイスラエル側で自爆することと、イスラエルの国軍が膨大な軍事予算でもって最新鋭の戦闘機や巨大な戦車を部隊単位で揃え、何の障害もなく狙われる危険性もなくパレスチナ側に侵入し、精度も破壊力も最高水準のミサイルや砲弾を好きなときにいつでもぶっ放し、活動家とおぼしき「標的」も周囲の多数の民間人もかまわず吹き飛ばすことの、いったいどこが同じなのか。
実行責任の所在も異なれば(一党派か政府か)、規模も比較にならないでしょう(死傷者数は数十倍もの開きがあります)。
また、鶏が先か卵が先かという議論でうやむやにすべきではないことですが、パレスチナに対する占領があり、日常的な支配の暴力があるという大前提を無視して、「紛争」という扱いをするところに、メディア・記者たちのそもそもの無知・無理解があります。
見えにくい毎日の占領の暴力を報じずに、ロケットが着弾したり自爆があるとそのことから報じ始める。 これが、マスコミのつくりだした「暴力の連鎖」「報復合戦」「和平崩壊」の真相です。
もちろん、ほとんどが荒野に落ちるとはいえ、ときおりロケットが届くイスラエル側のスデロット市の住民にとっては、現実的な脅威であることは確かです。自爆攻撃も、巻き込まれる可能性は交通事故をはるかに下回るとはいえ、その可能性がゼロではない以上、心理的圧迫もあるでしょう(自爆の多発した02〜03年の時期は僕もエルサレムに住み、目の前で爆発を目撃したこともありますので、身体的に理解しているつもりです)。
これらが民間人を標的とした無差別の攻撃である以上、当事者や政権がそれを「テロ」と非難する権利もあるでしょう。
しかし、メディアが、一方のイスラエル軍の大量破壊行動を「正規の軍事作戦」として正統性を与えるかのような扱いをしつつ、パレスチナの党派の暴力のみを「テロ」と名指す。
しかも、イスラエル側は、パレスチナの一党派の暴走を自治政府の管理責任に帰し、「報復」と称する攻撃を加え、あまつさえ住民全体に被害の及ぶ集団懲罰的大量破壊さえも行なうが、マスコミの「暴力の連鎖」報道は、結果的に「正規軍」の武力行使にのみ正当性を与えます。
これがどれだけの誤解と偏見を世間に植え付けているかを想像すると、マスコミの責任は甚大です。 こうした報道の問題、というか、マスコミが政治的プロパガンダに荷担をしている構図が、今度の拉致事件報道で如実に表れました。
拉致を正当化するわけではありませんが、イスラエルの軍事拠点に対する攻撃で、「兵士」を拉致し「捕虜」にしたわけですから、ロケットや自爆とは異なり、当事者らにとっても「テロ」と呼ぶ根拠がありません。
にもかかわらず、メディアの報道は相変わらずだったばかりか、6月に数十人の大量死者を出したイスラエル軍の民間人空爆を、一挙に帳消しにするかのような筋立てです。
しかも、拉致されている当人には申し訳ないけれども、政治犯としてイスラエルに囚われているパレスチナ人は9000人に達します。そこには400人の未成年と100人の女性が含まれています。
そのほとんどは、家族らからすれば、「拉致」されたも同然です。きちんとした取り調べや明確な刑期もないことも少なくない。解放される見通しのない拉致と変わりがありません。
もしたった一人の兵士の拉致が、イスラエル軍にパレスチナ侵攻の権利・正当性を与えるのであれば、9000人の拉致(厳密には兵士に相当する武装活動家もいれば、投石をしただけの子どももいれば、まったくの冤罪の市民もいるでしょう)は、パレスチナ側にどのような「暴力の正当化の論理」を与えてしまうのでしょうか。
もちろんだからといって何をしてもいいとは言えません。けれども、イスラエル政府の論理とそれを是認する偏向報道は、結果として暴力を正当化する論理を再生産するのです。イスラエルとメディアが暴力を煽動していると言っていい。
そして昨日(7月4日)起きた、ガザからアシュケロン市中心部へ、初めて一発だけ到達したロケット攻撃。イスラエルのメディアは一斉に大騒ぎをしました。
これまではガザ地区から最も近いスデロット市(せいぜ5〜6km)にまでしか届きませんでした。その倍は離れているアシュケロン市(ガザから12km)も狙われたことがしばしばありましたが、これまではそこまで到達せず手前の荒野に落ちていました。それが昨日は初めて市内に着弾したのです。
実行責任の所在も異なれば(一党派か政府か)、規模も比較にならないでしょう(死傷者数は数十倍もの開きがあります)。
また、鶏が先か卵が先かという議論でうやむやにすべきではないことですが、パレスチナに対する占領があり、日常的な支配の暴力があるという大前提を無視して、「紛争」という扱いをするところに、メディア・記者たちのそもそもの無知・無理解があります。
見えにくい毎日の占領の暴力を報じずに、ロケットが着弾したり自爆があるとそのことから報じ始める。 これが、マスコミのつくりだした「暴力の連鎖」「報復合戦」「和平崩壊」の真相です。
もちろん、ほとんどが荒野に落ちるとはいえ、ときおりロケットが届くイスラエル側のスデロット市の住民にとっては、現実的な脅威であることは確かです。自爆攻撃も、巻き込まれる可能性は交通事故をはるかに下回るとはいえ、その可能性がゼロではない以上、心理的圧迫もあるでしょう(自爆の多発した02〜03年の時期は僕もエルサレムに住み、目の前で爆発を目撃したこともありますので、身体的に理解しているつもりです)。
これらが民間人を標的とした無差別の攻撃である以上、当事者や政権がそれを「テロ」と非難する権利もあるでしょう。
しかし、メディアが、一方のイスラエル軍の大量破壊行動を「正規の軍事作戦」として正統性を与えるかのような扱いをしつつ、パレスチナの党派の暴力のみを「テロ」と名指す。
しかも、イスラエル側は、パレスチナの一党派の暴走を自治政府の管理責任に帰し、「報復」と称する攻撃を加え、あまつさえ住民全体に被害の及ぶ集団懲罰的大量破壊さえも行なうが、マスコミの「暴力の連鎖」報道は、結果的に「正規軍」の武力行使にのみ正当性を与えます。
これがどれだけの誤解と偏見を世間に植え付けているかを想像すると、マスコミの責任は甚大です。 こうした報道の問題、というか、マスコミが政治的プロパガンダに荷担をしている構図が、今度の拉致事件報道で如実に表れました。
拉致を正当化するわけではありませんが、イスラエルの軍事拠点に対する攻撃で、「兵士」を拉致し「捕虜」にしたわけですから、ロケットや自爆とは異なり、当事者らにとっても「テロ」と呼ぶ根拠がありません。
にもかかわらず、メディアの報道は相変わらずだったばかりか、6月に数十人の大量死者を出したイスラエル軍の民間人空爆を、一挙に帳消しにするかのような筋立てです。
しかも、拉致されている当人には申し訳ないけれども、政治犯としてイスラエルに囚われているパレスチナ人は9000人に達します。そこには400人の未成年と100人の女性が含まれています。
そのほとんどは、家族らからすれば、「拉致」されたも同然です。きちんとした取り調べや明確な刑期もないことも少なくない。解放される見通しのない拉致と変わりがありません。
もしたった一人の兵士の拉致が、イスラエル軍にパレスチナ侵攻の権利・正当性を与えるのであれば、9000人の拉致(厳密には兵士に相当する武装活動家もいれば、投石をしただけの子どももいれば、まったくの冤罪の市民もいるでしょう)は、パレスチナ側にどのような「暴力の正当化の論理」を与えてしまうのでしょうか。
もちろんだからといって何をしてもいいとは言えません。けれども、イスラエル政府の論理とそれを是認する偏向報道は、結果として暴力を正当化する論理を再生産するのです。イスラエルとメディアが暴力を煽動していると言っていい。
そして昨日(7月4日)起きた、ガザからアシュケロン市中心部へ、初めて一発だけ到達したロケット攻撃。イスラエルのメディアは一斉に大騒ぎをしました。
これまではガザ地区から最も近いスデロット市(せいぜ5〜6km)にまでしか届きませんでした。その倍は離れているアシュケロン市(ガザから12km)も狙われたことがしばしばありましたが、これまではそこまで到達せず手前の荒野に落ちていました。それが昨日は初めて市内に着弾したのです。
これは メッセージ 739 (jyonnconner さん)への返信です.
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