イスラエルに破壊されたパレスチナの村々1
投稿者: jyonnconner 投稿日時: 2006/12/01 00:29 投稿番号: [1190 / 2525]
イスラエル共和国建国によって破壊されたパレスチナの村々
http://inri.client.jp/hexagon/floorA1F/a1f1402.html
●イスラエル建国神話の一つに次のようなものがある。
「パレスチナ人たちはその土地を所有していたが、長い間、それに対して何もしなかった。彼らはほとんど土地を開拓せず、ただわずかなみすぼらしい農場があるだけだった。我々はそれらの土地を合法的に買収し、今日イスラエルで見ることのできるあらゆるもの、例えば、村や町、都市、農場など、これらは全てユダヤ人が、もっぱら1948年以降に造りあげたものである云々。」
●確かにイスラエルが建国される以前の時期は、ユダヤ人のパレスチナ流入は「土地の買収」を通じて行なわれた。「ユダヤ機関(JAFI)」をはじめとするシオニスト組織は、世界のユダヤ人から寄付を募り、その資金をパレスチナでの土地の購入にあてていた。パレスチナに土地を所有する不在地主たちはZion主義者に土地を売却し、パレスチナ人の政治家や有力者たちの中には、口ではシオニズムに反対しながらも、実際には金のために土地を手放した者もいたのである。
●しかし、かの“神話”は果たして本当のことを全て物語っているだろうか? 真相を探る者は、ユダヤ人が引き継ぐ以前から、パレスチナは時代とこの地域の文化に合わせて開発されてきた、という事実にぶつかるだろう。
そして、イスラエル共和国が建国されると、状況は急激に悪化し、ユダヤ人の入植活動は強硬なものになり、パレスチナにもともとあった数多くのアラブ人の村々が強引に奪われていったという事実にもぶつかるだろう。
●1948年にイスラエル共和国が建国される以前、パレスチナの15の地区に475の村があった(これはかなりの数の移動するアラブ部族の居住地区は含まれていない。それは村とは見なされなかった)のだが、1948年以降、385を下回らない村、つまり、もとあった村の4分の3が、イスラエル当局によって完全に破壊され、わずか90の村が残っただけである。
そして、特に重要な点は、パレスチナの村々が破壊されたのは、戦争によるものではなく、1948年の第1次中東戦争が終わってしばらくたってから、本格的に開始されたという事実である。また、パレスチナ住民の追放と村の破壊は、驚くことに、現在まで延々と続いているという事実である。
●ナチの強制収容所の生き残りであり、人権と公民権のための「イスラエル連盟」を組織したイスラエル・シャハク博士は、1973年の報告書『イスラエルで破壊されたアラブの村』の中で、次のようなことを語っている。
「1948年以前の、イスラエル国家内のアラブ人居住区に関する真実は、イスラエル人の生活の中で最も固く守られている秘密の一つである。書籍であれパンフレットであれ、どんな出版物も、その数なり位置などを知らせてはくれない。これは意図があってのことで、そうすれば公的に受け入れられている“神話”、すなわち、ユダヤ人は誰もいない土地に入植したのだ、という作り話を学校で教えられるし、訪問者にも語ることができるからだ。」
●彼の報告書によると、例えば、31の村があったラムレー地区のように、多くの地区でアラブ人居住区がイスラエル人によってとり払われてしまった。エルサレム郊外のヤッファ地区では、ただヤッファ市だけが残った。破壊された385の村々のほとんど全ては、墓地や墓石まで含めて文字通り、ブルドーザーで根こそぎにされてしまったという。
これでは、通りがかりの訪問者が「そこは全くの砂漠だった」と聞かされても、信じるしかないだろう。
●この進め方には、いつも同じパターンが適用されている。ある日、安全のためとか公共物建築のためとか戦争の危険があるとかいって、パレスチナ人村民の一時退避が命令される。そして村民がそこを離れたあと、その村の土地は没収され、ユダヤ人入植地(多くの場合キブツ)に与えられるのである。
これには、次のような法律が用いられた。まず「不在者財産没収法」(1950年)がある。この法律は、1948年11月29日の国連分割決議の日から、翌48年9月1日までに、一度でも自分の居住地を離れた者(不在者)に適用される。戦火が近づいたために近隣の村に一時避難した者、イスラエル軍の命令で村を立ち退いた者、土地・家屋が自分の所有物だという証明書がない者、そしてその期間、村や町を出なかったと証明できない者は、この法律の適用を受け、家屋や財産は没収された。イスラムの財産(ワクフ)も没収された。イスラエルの占領した土地の中にあった370の村のうち300村が、\xA4
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●イスラエル建国神話の一つに次のようなものがある。
「パレスチナ人たちはその土地を所有していたが、長い間、それに対して何もしなかった。彼らはほとんど土地を開拓せず、ただわずかなみすぼらしい農場があるだけだった。我々はそれらの土地を合法的に買収し、今日イスラエルで見ることのできるあらゆるもの、例えば、村や町、都市、農場など、これらは全てユダヤ人が、もっぱら1948年以降に造りあげたものである云々。」
●確かにイスラエルが建国される以前の時期は、ユダヤ人のパレスチナ流入は「土地の買収」を通じて行なわれた。「ユダヤ機関(JAFI)」をはじめとするシオニスト組織は、世界のユダヤ人から寄付を募り、その資金をパレスチナでの土地の購入にあてていた。パレスチナに土地を所有する不在地主たちはZion主義者に土地を売却し、パレスチナ人の政治家や有力者たちの中には、口ではシオニズムに反対しながらも、実際には金のために土地を手放した者もいたのである。
●しかし、かの“神話”は果たして本当のことを全て物語っているだろうか? 真相を探る者は、ユダヤ人が引き継ぐ以前から、パレスチナは時代とこの地域の文化に合わせて開発されてきた、という事実にぶつかるだろう。
そして、イスラエル共和国が建国されると、状況は急激に悪化し、ユダヤ人の入植活動は強硬なものになり、パレスチナにもともとあった数多くのアラブ人の村々が強引に奪われていったという事実にもぶつかるだろう。
●1948年にイスラエル共和国が建国される以前、パレスチナの15の地区に475の村があった(これはかなりの数の移動するアラブ部族の居住地区は含まれていない。それは村とは見なされなかった)のだが、1948年以降、385を下回らない村、つまり、もとあった村の4分の3が、イスラエル当局によって完全に破壊され、わずか90の村が残っただけである。
そして、特に重要な点は、パレスチナの村々が破壊されたのは、戦争によるものではなく、1948年の第1次中東戦争が終わってしばらくたってから、本格的に開始されたという事実である。また、パレスチナ住民の追放と村の破壊は、驚くことに、現在まで延々と続いているという事実である。
●ナチの強制収容所の生き残りであり、人権と公民権のための「イスラエル連盟」を組織したイスラエル・シャハク博士は、1973年の報告書『イスラエルで破壊されたアラブの村』の中で、次のようなことを語っている。
「1948年以前の、イスラエル国家内のアラブ人居住区に関する真実は、イスラエル人の生活の中で最も固く守られている秘密の一つである。書籍であれパンフレットであれ、どんな出版物も、その数なり位置などを知らせてはくれない。これは意図があってのことで、そうすれば公的に受け入れられている“神話”、すなわち、ユダヤ人は誰もいない土地に入植したのだ、という作り話を学校で教えられるし、訪問者にも語ることができるからだ。」
●彼の報告書によると、例えば、31の村があったラムレー地区のように、多くの地区でアラブ人居住区がイスラエル人によってとり払われてしまった。エルサレム郊外のヤッファ地区では、ただヤッファ市だけが残った。破壊された385の村々のほとんど全ては、墓地や墓石まで含めて文字通り、ブルドーザーで根こそぎにされてしまったという。
これでは、通りがかりの訪問者が「そこは全くの砂漠だった」と聞かされても、信じるしかないだろう。
●この進め方には、いつも同じパターンが適用されている。ある日、安全のためとか公共物建築のためとか戦争の危険があるとかいって、パレスチナ人村民の一時退避が命令される。そして村民がそこを離れたあと、その村の土地は没収され、ユダヤ人入植地(多くの場合キブツ)に与えられるのである。
これには、次のような法律が用いられた。まず「不在者財産没収法」(1950年)がある。この法律は、1948年11月29日の国連分割決議の日から、翌48年9月1日までに、一度でも自分の居住地を離れた者(不在者)に適用される。戦火が近づいたために近隣の村に一時避難した者、イスラエル軍の命令で村を立ち退いた者、土地・家屋が自分の所有物だという証明書がない者、そしてその期間、村や町を出なかったと証明できない者は、この法律の適用を受け、家屋や財産は没収された。イスラムの財産(ワクフ)も没収された。イスラエルの占領した土地の中にあった370の村のうち300村が、\xA4
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