ナチスとシオニストの協力関係2
投稿者: jyonnconner 投稿日時: 2006/11/26 22:38 投稿番号: [1134 / 2525]
反ボイコット派の中でも最も重要な役割を果たしたのは「世界シオニスト機構(WZO)」であった。このユダヤ人組織は、ドイツ商品を購入したばかりか、それをさらに販売し、ヒトラーとその産業界の支援者のために新しい顧客まで捜しだしてやったのである。
●ヒトラーに抵抗せず、むしろヒトラーと共働しようとした「世界シオニスト機構」は、独自にドイツ政府と交渉をはじめ、1933年8月に「ハーヴァラ協定」(シオニスト=ナチ通商協定)を締結することに成功した。これはパレスチナへ移住するドイツ・ユダヤ人の資産の移転に関する協定で、双方にとって都合が良かった。ナチスは、これによってボイコット破りに成功した。
●この「ハーヴァラ協定」の締結で、ドイツ・ユダヤ人のパレスチナへの移送が始められたのであるが、移住に際して高額の呈示金を必要としたために、貧困層のユダヤ人移住は進まなかった。「ハーヴァラ協定」そのものは1939年9月の大戦勃発まで維持され、ドイツからパレスチナへのユダヤ人の国外移送は1941年まで続けられた。
●「ハーヴァラ協定」によって「世界シオニスト機構」はおいしい蜜を吸った。「世界シオニスト機構」のドイツ支部は、ナチスの支配下で唯一のユダヤ人組織として機関紙発行を許され、当局との交渉権を握り、急速に成長した。第二次世界大戦が勃発する2ヵ月前の1939年7月はじめには、シオニスト組織を含む全てのドイツ・ユダヤ人組織が、ナチスの御用機関「帝国ユダヤ人同盟」にまとめられたのであった。
この間、シオニスト=ナチ交易関係は他の領域でも発展し続けた。「世界シオニスト機構」は、1936年にはイギリスで、ナチス・ドイツの商品を売り始めた。1937年にはカギ十字の旗の下、20万個の梱包されたオレンジがドイツに運ばれ、更に150万個が北海沿岸の低地諸国に送られた。
エジプト・レバノン・シリア・イラクにおいてはドイツのための新規顧客の袖を引くようになった。ベルギー・オランダ向けオレンジ輸出は、最後にはナチスの船を使用するまでになった。
●東京大学名誉教授で中東現代史専攻の板垣雄三教授は次のように述べている。
「シオニスト・ユダヤ人により設立された『パレスチナ船舶会社』は、ドイツ客船を購入して『テル・アヴィヴ号』と改称し、船長はナチ党員、船尾には船名のヘブライ文字、マストにはナチスの鉤十字を掲げて、1935年ブレーマーハーフェン・ハイファ間に就航し、移民の輸送にあたった。 〈中略〉 1919年パレスチナのユダヤ教徒の人口は住民の9%だったが、1939年には、パレスチナの『ユダヤ人』の人口は全体の30%を占め、イシューヴ(パレスチナ・ユダヤ人社会)の自立的経済が成立するに至った。1933年を転換点として、中・東欧からの『ユダヤ人』入植者が激増したからである。ナチズムなしにはイスラエル国家の誕生はありえなかった、ともいえるであろう。」
●また、『アウシュヴィッツ/判事の証拠調べ』では、次のような驚くべき事実が紹介されている。
「1944年という遅い時期に至ってさえ、ドイツ海軍の援護の下に数隻の船がルーマニアから黒海をぬけて、ユダヤ人移住者を運んでいた。」
(中略)
●当時シオニスト執行部の1人で、その後1939年にイギリス・ユダヤ人議員委員会総裁となったセリグ・プロデツキーは、「ハーヴァラ協定」のせいで世界の人々がシオニストたちを蔑んだと非難した。
また、1933年8月、ユダヤ教指導者のアッバ・ヒレル・シルヴァーは「ハーヴァラ協定」に関して次のような不満を述べた。
「迫害されているドイツ・ユダヤ人のために正義を要求せず、ヒトラーとビジネスの交渉をするというパレスチナ・ユダヤ人(WZO関係者)の発想そのものが何故でてくるのか、まるで分からない。全ては破産セールの問題であり、またパレスチナ・ユダヤ人がつとめて努力しているのも、自分たちにとっての掘り出し物を少しでも拾い出そう、そういう考えなのであろう。」
●同じくユダヤ教指導者のワイズも、「ハーヴァラ協定」について不満を述べていた。「理由が何であれナチ政府と商協定を結ぶ企てを持つユダヤ人」に対して嫌悪感を表明していた。また、パレスチナの土地が他のユダヤ人の要求よりも遥かに重要になっているとして、「世界シオニスト機構」の腐敗を嘆いていた。
●ヒトラーに抵抗せず、むしろヒトラーと共働しようとした「世界シオニスト機構」は、独自にドイツ政府と交渉をはじめ、1933年8月に「ハーヴァラ協定」(シオニスト=ナチ通商協定)を締結することに成功した。これはパレスチナへ移住するドイツ・ユダヤ人の資産の移転に関する協定で、双方にとって都合が良かった。ナチスは、これによってボイコット破りに成功した。
●この「ハーヴァラ協定」の締結で、ドイツ・ユダヤ人のパレスチナへの移送が始められたのであるが、移住に際して高額の呈示金を必要としたために、貧困層のユダヤ人移住は進まなかった。「ハーヴァラ協定」そのものは1939年9月の大戦勃発まで維持され、ドイツからパレスチナへのユダヤ人の国外移送は1941年まで続けられた。
●「ハーヴァラ協定」によって「世界シオニスト機構」はおいしい蜜を吸った。「世界シオニスト機構」のドイツ支部は、ナチスの支配下で唯一のユダヤ人組織として機関紙発行を許され、当局との交渉権を握り、急速に成長した。第二次世界大戦が勃発する2ヵ月前の1939年7月はじめには、シオニスト組織を含む全てのドイツ・ユダヤ人組織が、ナチスの御用機関「帝国ユダヤ人同盟」にまとめられたのであった。
この間、シオニスト=ナチ交易関係は他の領域でも発展し続けた。「世界シオニスト機構」は、1936年にはイギリスで、ナチス・ドイツの商品を売り始めた。1937年にはカギ十字の旗の下、20万個の梱包されたオレンジがドイツに運ばれ、更に150万個が北海沿岸の低地諸国に送られた。
エジプト・レバノン・シリア・イラクにおいてはドイツのための新規顧客の袖を引くようになった。ベルギー・オランダ向けオレンジ輸出は、最後にはナチスの船を使用するまでになった。
●東京大学名誉教授で中東現代史専攻の板垣雄三教授は次のように述べている。
「シオニスト・ユダヤ人により設立された『パレスチナ船舶会社』は、ドイツ客船を購入して『テル・アヴィヴ号』と改称し、船長はナチ党員、船尾には船名のヘブライ文字、マストにはナチスの鉤十字を掲げて、1935年ブレーマーハーフェン・ハイファ間に就航し、移民の輸送にあたった。 〈中略〉 1919年パレスチナのユダヤ教徒の人口は住民の9%だったが、1939年には、パレスチナの『ユダヤ人』の人口は全体の30%を占め、イシューヴ(パレスチナ・ユダヤ人社会)の自立的経済が成立するに至った。1933年を転換点として、中・東欧からの『ユダヤ人』入植者が激増したからである。ナチズムなしにはイスラエル国家の誕生はありえなかった、ともいえるであろう。」
●また、『アウシュヴィッツ/判事の証拠調べ』では、次のような驚くべき事実が紹介されている。
「1944年という遅い時期に至ってさえ、ドイツ海軍の援護の下に数隻の船がルーマニアから黒海をぬけて、ユダヤ人移住者を運んでいた。」
(中略)
●当時シオニスト執行部の1人で、その後1939年にイギリス・ユダヤ人議員委員会総裁となったセリグ・プロデツキーは、「ハーヴァラ協定」のせいで世界の人々がシオニストたちを蔑んだと非難した。
また、1933年8月、ユダヤ教指導者のアッバ・ヒレル・シルヴァーは「ハーヴァラ協定」に関して次のような不満を述べた。
「迫害されているドイツ・ユダヤ人のために正義を要求せず、ヒトラーとビジネスの交渉をするというパレスチナ・ユダヤ人(WZO関係者)の発想そのものが何故でてくるのか、まるで分からない。全ては破産セールの問題であり、またパレスチナ・ユダヤ人がつとめて努力しているのも、自分たちにとっての掘り出し物を少しでも拾い出そう、そういう考えなのであろう。」
●同じくユダヤ教指導者のワイズも、「ハーヴァラ協定」について不満を述べていた。「理由が何であれナチ政府と商協定を結ぶ企てを持つユダヤ人」に対して嫌悪感を表明していた。また、パレスチナの土地が他のユダヤ人の要求よりも遥かに重要になっているとして、「世界シオニスト機構」の腐敗を嘆いていた。
これは メッセージ 1132 (jyonnconner さん)への返信です.
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