ユダヤ人と彼等の嘘ⅩⅦ マルチン・ルター
投稿者: magudara_no_mari 投稿日時: 2006/06/27 21:49 投稿番号: [2081 / 2453]
異教徒の哲学よりも邪悪なタルムード
異教徒の哲学者や詩人達は神の統治や来世についてのみならず、現世の美徳についてはるかに、より立派に著述している。キケロや、彼に似たような人々によって示されたように、人間は生まれつき、他者に奉仕しなければならないし、敵に対しても約束を守り、特に必要な時には、彼らに対して、誠実で役に立たねばならないと彼らは記述しているのである。
さて、私は三つのイソップ物語の中にはタルムード主義者やラピ達のすぺての著書の中によりも、そしてユダヤ人達の心の中にこれまでに育まれる事ができたすべての物よりも、さらに多くの知恵が存在している事を主張したいと思う。人は私が少し言い過ぎていると思うかもしれない。しかし、私はいいすぎどころか、あまりにも少ししか言っていないのだ!と言うのは私は、彼等がいかに我々ゴイムを彼等の著書の中で呪い自分達の学校や礼拝の場において、我々に災いがふりかかる事をどれほど望んでいるか、良く理解しているからである。彼等は高利貸しによって、我らの金をかすめとり、可能な場所ではどこであっても我々をあらゆる種類の策略にかけるのである。何よりも悪い事は仮等はこの点においてそうする権利を持っていると確信しており、うまくやろうとしているという事である。つまり、彼等は自分達がそうすることで神に奉仕していると思っているのであり、また彼等はそうした事がなされるべきだと教えているのである。
悪魔自身、そして悪魔が取りついているもの−−ちようどユダヤ人のように−−以外に、いかなる異教徒もそんなことはした事はなく、また、これからも誰もそうすることはあり得ないであろう。減多に起こらぬ事なのだが、博識なラビで、神の恩寵によりキリスト教徒となったブルゲンシスは自分達の宗派において彼等がキリスト教徒を恐ろしいほどに呪っている(リラも記しているように)といふ事実に心動かされ、この事から時分達は神の子ではないといふ結論に達した。何故なら、もし彼等が神の子であるなら、彼等は捕囚されたユダヤ人達がバビロンで振舞ったのと同様に振舞う事であろうから。即ちエレミヤはこの人達に開して次のように記している。「汝等を捕囚している都市の王の為に祈りなさい。彼等の平安は又汝等の平安なのだから」。しかしながら我が下劣でにせ者のユダヤ人達は彼等が可能な所ではどこても、そして彼等にできる事であればなんでも、何の理由もなしに我々を呪い、憎み、害悪を与えねばならないと考へているのである。だから彼等が神の子ではない事は確賞な事なのである。この点に開しては後に更に述べる事としよう。
異教徒の哲学者や詩人達は神の統治や来世についてのみならず、現世の美徳についてはるかに、より立派に著述している。キケロや、彼に似たような人々によって示されたように、人間は生まれつき、他者に奉仕しなければならないし、敵に対しても約束を守り、特に必要な時には、彼らに対して、誠実で役に立たねばならないと彼らは記述しているのである。
さて、私は三つのイソップ物語の中にはタルムード主義者やラピ達のすぺての著書の中によりも、そしてユダヤ人達の心の中にこれまでに育まれる事ができたすべての物よりも、さらに多くの知恵が存在している事を主張したいと思う。人は私が少し言い過ぎていると思うかもしれない。しかし、私はいいすぎどころか、あまりにも少ししか言っていないのだ!と言うのは私は、彼等がいかに我々ゴイムを彼等の著書の中で呪い自分達の学校や礼拝の場において、我々に災いがふりかかる事をどれほど望んでいるか、良く理解しているからである。彼等は高利貸しによって、我らの金をかすめとり、可能な場所ではどこであっても我々をあらゆる種類の策略にかけるのである。何よりも悪い事は仮等はこの点においてそうする権利を持っていると確信しており、うまくやろうとしているという事である。つまり、彼等は自分達がそうすることで神に奉仕していると思っているのであり、また彼等はそうした事がなされるべきだと教えているのである。
悪魔自身、そして悪魔が取りついているもの−−ちようどユダヤ人のように−−以外に、いかなる異教徒もそんなことはした事はなく、また、これからも誰もそうすることはあり得ないであろう。減多に起こらぬ事なのだが、博識なラビで、神の恩寵によりキリスト教徒となったブルゲンシスは自分達の宗派において彼等がキリスト教徒を恐ろしいほどに呪っている(リラも記しているように)といふ事実に心動かされ、この事から時分達は神の子ではないといふ結論に達した。何故なら、もし彼等が神の子であるなら、彼等は捕囚されたユダヤ人達がバビロンで振舞ったのと同様に振舞う事であろうから。即ちエレミヤはこの人達に開して次のように記している。「汝等を捕囚している都市の王の為に祈りなさい。彼等の平安は又汝等の平安なのだから」。しかしながら我が下劣でにせ者のユダヤ人達は彼等が可能な所ではどこても、そして彼等にできる事であればなんでも、何の理由もなしに我々を呪い、憎み、害悪を与えねばならないと考へているのである。だから彼等が神の子ではない事は確賞な事なのである。この点に開しては後に更に述べる事としよう。
これは メッセージ 2080 (magudara_no_mari さん)への返信です.
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