ユダヤ人と彼等の嘘ⅩⅡ マルチン・ルター
投稿者: magudara_no_mari 投稿日時: 2006/06/27 21:16 投稿番号: [2076 / 2453]
悪魔にとりつかれた者
ユダヤ人達は自分達が神の戒律を守るという目的の為に、神にすべての物を与えられているのであって、それ故にこそ自分達が神の民、集会の民と呼ばれているのだという事を理解しようともしないし、聞こうともしない。彼らの血筋と高貴さに関しても、神は、神の戒律を彼らに守らせる為にこそ彼らを選んだにもかかわらず、彼らはその事をわかろうとせず考慮しようともしないで、ただ自らを自慢するだけなのである。彼らは割礼を自慢する。しかし、彼らが割礼を受ける目的−−神の戒律を守るという事−−は彼らには何の意味もないのである。彼らは自分達の法律、会堂、宗教儀式、町、田舎、そして國家を自慢する。しかし、彼らは、自分達が戒律を守るという目的の為にこそ、それらを所有させてもらっているのだという事をすっかり忘れているのだ。悪魔はかかる民族にこそ彼の全ての天使達と共にとりつきつづけているのだ。彼らは目にみえるもの、自分達の才能、業績、行為等を常に自慢する。
そうした事は中身のない空っぽの「見せかけだけのもの」を神に棒げるのと同じなのである。神はそうしたものを神にささげる民族である彼らのために、彼らを神の民とし、すべての異教徒に優先して彼らを賞賛し、祝福する。しかし彼らは神の戒律を守らねばならないし、自らの神として神を守らねばならない。ところが、その事を彼らは受け入れようとはしないのだ。モーゼの次の言があてはまる。
「彼らは私を神と見なさず、それゆえ私は彼らを私の民とは見なさない」。これはホセア書1-九にも言はれている事てあるが、もしエルサレムの民が離れ離れに引き裂かれて彼らの土地から追い立てられるのを、神が許さずに以前と同様に、彼らに土地を保持させていたとすれば、誰もユダヤ人達が神の選ばれた民ではないと彼らを説得する事などできはしなかっただろう。何故なら彼らはその邪悪さ、不服従、強情さにもかかわらず、未だに会堂、町、田舎、を保持しているからである。
たとえ多くの預言者が叫ぴ、澤山のモーセ達が立って「汝は不服従であり、反抗的であるゆえに神の民ではない」というとしても。
離散せられ、一五○○年聞拒絶された後の、現在でさえ、彼らは自からが神の選ばれた民であるという、異常な夢のような、高慢きわまりない考えをあきらめきれないでいるのである。彼らは依然として自分達の利益の為に、故郷の地に戻る事を望んでいる。しかし、彼らが自分達の勝手な想像によって、聖書の中に塗りたくっておいた言葉以外には、彼らがせめてもの慰めとして頼れる約束は何もないのだ。かくしてユダヤ人達はわがままを言い続け、また意識的に過ちを犯したがっており、彼らのラピ達を見限ろうともしない。それ故、我々もまた、彼らが有害な冒涜を犯し、嘘を付くのてあれば彼らをそのままに放置し無視しなければならない。
ユダヤ人達は自分達が神の戒律を守るという目的の為に、神にすべての物を与えられているのであって、それ故にこそ自分達が神の民、集会の民と呼ばれているのだという事を理解しようともしないし、聞こうともしない。彼らの血筋と高貴さに関しても、神は、神の戒律を彼らに守らせる為にこそ彼らを選んだにもかかわらず、彼らはその事をわかろうとせず考慮しようともしないで、ただ自らを自慢するだけなのである。彼らは割礼を自慢する。しかし、彼らが割礼を受ける目的−−神の戒律を守るという事−−は彼らには何の意味もないのである。彼らは自分達の法律、会堂、宗教儀式、町、田舎、そして國家を自慢する。しかし、彼らは、自分達が戒律を守るという目的の為にこそ、それらを所有させてもらっているのだという事をすっかり忘れているのだ。悪魔はかかる民族にこそ彼の全ての天使達と共にとりつきつづけているのだ。彼らは目にみえるもの、自分達の才能、業績、行為等を常に自慢する。
そうした事は中身のない空っぽの「見せかけだけのもの」を神に棒げるのと同じなのである。神はそうしたものを神にささげる民族である彼らのために、彼らを神の民とし、すべての異教徒に優先して彼らを賞賛し、祝福する。しかし彼らは神の戒律を守らねばならないし、自らの神として神を守らねばならない。ところが、その事を彼らは受け入れようとはしないのだ。モーゼの次の言があてはまる。
「彼らは私を神と見なさず、それゆえ私は彼らを私の民とは見なさない」。これはホセア書1-九にも言はれている事てあるが、もしエルサレムの民が離れ離れに引き裂かれて彼らの土地から追い立てられるのを、神が許さずに以前と同様に、彼らに土地を保持させていたとすれば、誰もユダヤ人達が神の選ばれた民ではないと彼らを説得する事などできはしなかっただろう。何故なら彼らはその邪悪さ、不服従、強情さにもかかわらず、未だに会堂、町、田舎、を保持しているからである。
たとえ多くの預言者が叫ぴ、澤山のモーセ達が立って「汝は不服従であり、反抗的であるゆえに神の民ではない」というとしても。
離散せられ、一五○○年聞拒絶された後の、現在でさえ、彼らは自からが神の選ばれた民であるという、異常な夢のような、高慢きわまりない考えをあきらめきれないでいるのである。彼らは依然として自分達の利益の為に、故郷の地に戻る事を望んでいる。しかし、彼らが自分達の勝手な想像によって、聖書の中に塗りたくっておいた言葉以外には、彼らがせめてもの慰めとして頼れる約束は何もないのだ。かくしてユダヤ人達はわがままを言い続け、また意識的に過ちを犯したがっており、彼らのラピ達を見限ろうともしない。それ故、我々もまた、彼らが有害な冒涜を犯し、嘘を付くのてあれば彼らをそのままに放置し無視しなければならない。
これは メッセージ 2075 (magudara_no_mari さん)への返信です.
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