頑張れイスラエル!

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

良識派ユダヤ教徒たちの認識

投稿者: pikopiko_hippo 投稿日時: 2003/04/23 11:20 投稿番号: [1598 / 2453]
1938年、アルベルト・アインシュタイン

《私の意見では、ユダヤ人国家を作るよりも、平和な共同生活についてアラブ人の同意を得る方が、道理にかなっている。……私がユダヤ教の本質的な特性として理解する良識は、控え目にみても、国境や、武器や、世俗的政権の計画を持つ国家という概念とは相容れない》(『わが時代のユダヤ教の堕落』)


1946年、ユダス・マグネス教授(ヘブライ大学)

《最近のユダヤ人の声は銃口から発している。……銃口がイスラエルの地の新しい律法になっている。世界は腕力の狂気の鎖につながれてしまった。天なる神が今、われわれを、ユダヤ教とイスラエルの民を鎖でつなぐ狂気から守ることを願う。このユダヤの異教は、有力なディアスポラ[世界各国に散ったユダヤ人]の大部分を征服してしまった。シオニズムがまだ架空の物語だった時代に、われわれはシオンを、正義によってあがなわれるべきものと考えていた。すべてのアメリカのユダヤ人は、……たとえ、異教が導く企みに賛成したわけでなくて、座ったまま腕をこまねいていただけだとしても、……この間違い、この突然変異の責任を負わなくてはらない。道徳的意識には麻酔が掛けられ、萎縮を引き起こしている》(『シオンのために』)


1958年、マーティン・ブーバー

《六〇年前に私が、シオニスト運動に加わった時に経験した気持ちは、基本的に私が現在感じているものと同じである。……私は、この国家主義が他者の轍を踏むことのないように、つまり、偉大な希望から出発しながらも、次第に聖なるエゴイズムへと堕落し、ムッソリーニのように敢えて自らサクロ・エゴイズムと自称したり、あたかも個人のエゴイズムよりも集団のエゴイズムの方がより聖なるものだと主張しはじめることのないようにと願った。われわれがパレスチナに戻った時に、決定的な疑問が投げ掛けられた。あなた方がここへ来たのは友人や兄弟としてなのか、近東の共同体の住民の一員となるためなのか、それとも、植民地主義と帝国主義の代表としてなのか?
 ----
……ユダヤ人の多数派は、われわれよりもヒトラーに学ぶ方を選んだ。……ヒトラーが示したのは、歴史が精神の道理ではなくて力の道理に従うものであり、人々が非常に強い場合には人を殺しても罰せられないという事実だった。》(『ジューイッシュ・ニューズレター』58・6・2)


1982年、ベンジャミン・コーヘン教授(テル・アヴィヴ大学)

《私は今、“われわれ”がレバノンで“われわれの目標を達成しつつある”というトランジスター・ラディオのアナウンスを聞きながら、この手紙を書いている。
  ガラリアの住民に“平和”を保証するためだというのだが、この種のゲッベルスに相応しい嘘は私を発狂させる。この野蛮な戦争が、いかなる先例よりも野蛮で、ロンドンの誰かの意図とも、ガラリアの安全保障とも、何の関係もないことは明らかだ。……ユダヤ人、アブラハムの息子たち、……自分自身が数々の残虐行為の被害者だったユダヤ人が、なぜこのように残酷になれるのだろうか?……シオニズムの最も偉大な功績はユダヤ人の、……“非ユダヤ人化”でしかなくなる。》(『ル・モンド』82・6・19で公表された手紙より)


http://www.jca.apc.org/~altmedka/nise-6.html

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)