こちらも手短に
投稿者: khaver2002 投稿日時: 2003/02/17 20:43 投稿番号: [1479 / 2453]
わざわざお返事ありがとうございます。
>福音書に関する発言で、これほど落胆させられるとは思いませんでした。残念です。
私はもともとmarchingpeopleさんと対等に議論できる学識などトンと持ち合わせておりません。悪しからず。
ただ私の意見がバーバラ・スィーリング著・高尾利数・訳の「イエスのミステリー」等やらの本と違うからと言って落胆する必要はありません。
(私自身はこの本は読んでませんが訳者をみてだいたい想像はつきます。本屋で拾い読み程度はあります。)
スィーリング説は単なる仮説です。トンデモ本とはいいませんが。
あなたが新約・福音書研究を長くされて、そしてこの本で目から鱗になったならそれも結構ですがhow to式にこの本で
イエスや福音書・キリスト教を語るならば短絡的ですよ。
この種の本はよくみかけます。奇跡や復活等不自然な事柄を合理的に解釈していきます。この手の本を読むより旧約聖書をしっかり読むべきです。私は旧・新約聖書前頁を10回以上通読してますが骨がおれる作業ですよ。だからこそ見えてくるイエス像があります。私はドグマ的解釈も合理的解釈も受け入れがたいものがあります。ただイエスには強烈な個性・カリスマ性・神秘性を感じます。イエスを裏切り甘い期待しかかけていなかった弟子たちが殉教も辞さない信徒になったのは謎・ミステリ−としかいいようがありません。
私は前々からイエスや福音書・キリスト教を理解するのなら旧約聖書・ユダヤ教を理解しなければ、と思っているものです。イエスは旧約聖書的観点からみれば預言者であると思っています。イエスグループはイエスの生き様に旧約預言のメシアを見(イザヤ書53章等)、エレミヤ預言の新しい契約を、終末観念(宇宙論的)のなかで世俗的地上的ではなく天的に成就すると真剣に信じたのでしょう。
>福音書は「意図的に抽象的・謎的に書かれる」
一部の福音書に該当しますが主に黙示録(旧約ダニエル書・ヨハネ黙示録)です。
>ですが歴史的観点、或いはユダヤ教からの観点ならごく自然に受け入れやすい説だと思います。
それはあなたが思うのであって万人が思うのではありません。
>何故に「とんでもありません」と言い切り、言葉どおりの解釈以外を否定されるのか根拠も示さず、
先にも書いたように最初の福音書が書かれたのが、イエスの死後35年たった65年頃、ヨハネ福音書にいたっては死後60年以上経っているわけです。一方パウロは56年頃までには3回に渡る大伝道旅行を終え、ローマ世界に確固たる教会を作りあげユダヤ・キリスト双方にとって異端ではなく異教の関係にすらなったのです。ヨハネ福音書が書かれたドミティアヌス帝の時代をはじめ、ローマ帝国に対しては黙示の形で表現しユダヤ人に対しては敵意を込めた書き方でなければキリスト教は生きていけなかったのです。ローマ社会にユダヤ教とは違うことをアピールしていかなければならなかったのです。これが後の不幸(ユダヤ教にとって)の本質です。身内の異端と外部のユダヤ教との熾烈な生存競争。それが福音書に色濃く反映されているのです。
手短にと言いながら長くなってすみません。私はこの件(福音書研究)は素人ですから無視されてもけっこうです。
最後にプロテスタントもカトリックから反ユダヤ主義を引き継いだ(マルチン・ルター:「ユダヤ人の虚偽について」の書はナチスの青写真になった。)
ことを指摘して終わります。
>福音書に関する発言で、これほど落胆させられるとは思いませんでした。残念です。
私はもともとmarchingpeopleさんと対等に議論できる学識などトンと持ち合わせておりません。悪しからず。
ただ私の意見がバーバラ・スィーリング著・高尾利数・訳の「イエスのミステリー」等やらの本と違うからと言って落胆する必要はありません。
(私自身はこの本は読んでませんが訳者をみてだいたい想像はつきます。本屋で拾い読み程度はあります。)
スィーリング説は単なる仮説です。トンデモ本とはいいませんが。
あなたが新約・福音書研究を長くされて、そしてこの本で目から鱗になったならそれも結構ですがhow to式にこの本で
イエスや福音書・キリスト教を語るならば短絡的ですよ。
この種の本はよくみかけます。奇跡や復活等不自然な事柄を合理的に解釈していきます。この手の本を読むより旧約聖書をしっかり読むべきです。私は旧・新約聖書前頁を10回以上通読してますが骨がおれる作業ですよ。だからこそ見えてくるイエス像があります。私はドグマ的解釈も合理的解釈も受け入れがたいものがあります。ただイエスには強烈な個性・カリスマ性・神秘性を感じます。イエスを裏切り甘い期待しかかけていなかった弟子たちが殉教も辞さない信徒になったのは謎・ミステリ−としかいいようがありません。
私は前々からイエスや福音書・キリスト教を理解するのなら旧約聖書・ユダヤ教を理解しなければ、と思っているものです。イエスは旧約聖書的観点からみれば預言者であると思っています。イエスグループはイエスの生き様に旧約預言のメシアを見(イザヤ書53章等)、エレミヤ預言の新しい契約を、終末観念(宇宙論的)のなかで世俗的地上的ではなく天的に成就すると真剣に信じたのでしょう。
>福音書は「意図的に抽象的・謎的に書かれる」
一部の福音書に該当しますが主に黙示録(旧約ダニエル書・ヨハネ黙示録)です。
>ですが歴史的観点、或いはユダヤ教からの観点ならごく自然に受け入れやすい説だと思います。
それはあなたが思うのであって万人が思うのではありません。
>何故に「とんでもありません」と言い切り、言葉どおりの解釈以外を否定されるのか根拠も示さず、
先にも書いたように最初の福音書が書かれたのが、イエスの死後35年たった65年頃、ヨハネ福音書にいたっては死後60年以上経っているわけです。一方パウロは56年頃までには3回に渡る大伝道旅行を終え、ローマ世界に確固たる教会を作りあげユダヤ・キリスト双方にとって異端ではなく異教の関係にすらなったのです。ヨハネ福音書が書かれたドミティアヌス帝の時代をはじめ、ローマ帝国に対しては黙示の形で表現しユダヤ人に対しては敵意を込めた書き方でなければキリスト教は生きていけなかったのです。ローマ社会にユダヤ教とは違うことをアピールしていかなければならなかったのです。これが後の不幸(ユダヤ教にとって)の本質です。身内の異端と外部のユダヤ教との熾烈な生存競争。それが福音書に色濃く反映されているのです。
手短にと言いながら長くなってすみません。私はこの件(福音書研究)は素人ですから無視されてもけっこうです。
最後にプロテスタントもカトリックから反ユダヤ主義を引き継いだ(マルチン・ルター:「ユダヤ人の虚偽について」の書はナチスの青写真になった。)
ことを指摘して終わります。
これは メッセージ 1476 (marchingpeople さん)への返信です.
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