コネ行に見るウイッピーの分岐点
投稿者: zowgain 投稿日時: 2009/09/24 17:38 投稿番号: [2087 / 10174]
またまた
禍クレイジーくんには感謝しなければいけない。
彼は実に不思議な人物だ。
実を言えば、「ROMるかもしれません」
っと申し上げたのにはもう一つ大きな理由があった。
〝サイレンス(沈黙行)〟に入ろうかと思ったのだ。
その説明として一番誰にも判りやすいてっとりばやいのは
「ビンボーだから」であった。
しかし、いまは様々な分析をこの公開の場でやった方がよいと
禍クレージーくんは諭してくれたのだ。
「サイレンス」はもう少し延期した。
さて、コネ行とはウイッピーのみなさんご存知の言葉である。
コネクションの〝コネ〟であり、
粘度などをこねる〝コネ〟でもある。
五井野氏は極端な話、この〝コネ行〟によって
弟子達にいわゆる「世界の江戸化世直し行」という
菩薩行をさせようという企画であった。
わたしはこのコネ行のことをさんざんこき下ろしたのだが
五井野氏が会員を創価的な集金奴隷にしようとしたようには
思っていない。
五井野氏はこれを〝菩薩行〟とさせようと本気で思っていたように
今でもわたしは見ている。
※ ただ、
矢野絢也氏の「黒い手帳」
http://ameblo.jp/zowgen/entry-10346560844.html
を作っていた時には、
どうしても日蓮正宗に破門された後の
狂乱財務に走った創価学会の歴史とダブって見えてしまう。
わたしが最初に会に出席した日から、<これ>だったのである。
当然、当惑した私はネットワークビジネスや〝ねずみ講〟という
言葉を頭のどこかに押しもどしながら、
「〝こねる〟ってなんですか?」
っと池野女史に質問したのはここに何度も書いた。
arlecchino氏が呆れて会に距離を置いたのもこれがキッカケである。
今日改めて考えてみると、コネクション=人との出逢いとは
この日常の中においても体験しうる
もっとも不思議な、神秘的な現象だと思う。
五井野氏はこの神秘的現象に〝ホンモノの浮世絵〟を介在させる
ことによって奇跡を起こそうとしたのだ。
彼は本当に素晴らしいアイデアマンなのだが、
ここがアイデアマンの限界だったのではないだろうか?
カクレイシ氏もオカルト解釈のすばらしいアイデアマンである。
アイデアを持っている人とは、やはり地道な努力とかより
イッパツ当てたい人なのじゃないだろうか?
しかし出逢いの神秘の第一原則は〝類は友を呼ぶ〟である。
イッパツやさんはイッパツやさんとしかなかなか出会えない。
残念ながらそれは〝在日系〟の人が多く、異様な野心はあっても
真に日本人的な自然な流れや穏やかさ、地道さはもっていない。
常になにか〝オイシイ話〟〝凄い話〟〝ここだけの話〟に餓えた
人同士しか、ウイッピーの浮世絵は惹き付けないようだ。
ネットワークビジネスを全否定する気はないが、
人間関係を手段にしても、目的にしても、
どうも〝えげつない〟結果が出てしまう気がする。
「品物が良いもの、ホンモノならばネットワークビジネスは善だ」
っとウイッピーの後輩は言っていたが、果たしてそうだろうか?
(ビジネスではない、プライベートな)
人と人との出逢いと関係性とは、
何かの手段であったり、
何かの目的にしたりすること自体が〝不純〟である気がする。
もちろんキッカケは何かの目的であったり、手段だったりかも知れない
しかしそこから人が結ばれたり離れたりしていく原動力は
多分にカルマ的な原理が働いているような気がする。
そこに五井野君の〝アイデア〟は入り込めなかったのではないだろうか?
禍クレイジーくんには感謝しなければいけない。
彼は実に不思議な人物だ。
実を言えば、「ROMるかもしれません」
っと申し上げたのにはもう一つ大きな理由があった。
〝サイレンス(沈黙行)〟に入ろうかと思ったのだ。
その説明として一番誰にも判りやすいてっとりばやいのは
「ビンボーだから」であった。
しかし、いまは様々な分析をこの公開の場でやった方がよいと
禍クレージーくんは諭してくれたのだ。
「サイレンス」はもう少し延期した。
さて、コネ行とはウイッピーのみなさんご存知の言葉である。
コネクションの〝コネ〟であり、
粘度などをこねる〝コネ〟でもある。
五井野氏は極端な話、この〝コネ行〟によって
弟子達にいわゆる「世界の江戸化世直し行」という
菩薩行をさせようという企画であった。
わたしはこのコネ行のことをさんざんこき下ろしたのだが
五井野氏が会員を創価的な集金奴隷にしようとしたようには
思っていない。
五井野氏はこれを〝菩薩行〟とさせようと本気で思っていたように
今でもわたしは見ている。
※ ただ、
矢野絢也氏の「黒い手帳」
http://ameblo.jp/zowgen/entry-10346560844.html
を作っていた時には、
どうしても日蓮正宗に破門された後の
狂乱財務に走った創価学会の歴史とダブって見えてしまう。
わたしが最初に会に出席した日から、<これ>だったのである。
当然、当惑した私はネットワークビジネスや〝ねずみ講〟という
言葉を頭のどこかに押しもどしながら、
「〝こねる〟ってなんですか?」
っと池野女史に質問したのはここに何度も書いた。
arlecchino氏が呆れて会に距離を置いたのもこれがキッカケである。
今日改めて考えてみると、コネクション=人との出逢いとは
この日常の中においても体験しうる
もっとも不思議な、神秘的な現象だと思う。
五井野氏はこの神秘的現象に〝ホンモノの浮世絵〟を介在させる
ことによって奇跡を起こそうとしたのだ。
彼は本当に素晴らしいアイデアマンなのだが、
ここがアイデアマンの限界だったのではないだろうか?
カクレイシ氏もオカルト解釈のすばらしいアイデアマンである。
アイデアを持っている人とは、やはり地道な努力とかより
イッパツ当てたい人なのじゃないだろうか?
しかし出逢いの神秘の第一原則は〝類は友を呼ぶ〟である。
イッパツやさんはイッパツやさんとしかなかなか出会えない。
残念ながらそれは〝在日系〟の人が多く、異様な野心はあっても
真に日本人的な自然な流れや穏やかさ、地道さはもっていない。
常になにか〝オイシイ話〟〝凄い話〟〝ここだけの話〟に餓えた
人同士しか、ウイッピーの浮世絵は惹き付けないようだ。
ネットワークビジネスを全否定する気はないが、
人間関係を手段にしても、目的にしても、
どうも〝えげつない〟結果が出てしまう気がする。
「品物が良いもの、ホンモノならばネットワークビジネスは善だ」
っとウイッピーの後輩は言っていたが、果たしてそうだろうか?
(ビジネスではない、プライベートな)
人と人との出逢いと関係性とは、
何かの手段であったり、
何かの目的にしたりすること自体が〝不純〟である気がする。
もちろんキッカケは何かの目的であったり、手段だったりかも知れない
しかしそこから人が結ばれたり離れたりしていく原動力は
多分にカルマ的な原理が働いているような気がする。
そこに五井野君の〝アイデア〟は入り込めなかったのではないだろうか?
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