Re: そうだったの?②
投稿者: zowgain 投稿日時: 2009/08/26 20:07 投稿番号: [1675 / 10174]
①より
まず絶対神を信じるか?否か?という詰問が、
最強の
「オール?オア・ナッシング?」
という極論に人を走らせる。
そして思考停止に追いやってしまう。
これは五井野教だけでなく、
多くの一神教に見られる病理だ。
「こちらに改宗しなければ、邪教徒として殺す」
っという、いわゆる宗教戦争がその最大の発露だ。
とりあえずわたしは
「ウイッピーは(弱小だし)そこまでは行くまい」
という点で、現時点では〝カルトだ〟
とまでは言わない。
しかし一神教の危険性は、そのままカルトへと
エスカレートする危険性と地続きだ。
そして狂信者は「敵か?味方か?」という二元論でしか
相手が見られない様になってしまう。
敵意がある相手であれ、正しい意見なら正しいし
味方の意見であれ、善意の意見であれ
間違った意見は間違いである。
その率直さこそが“客観性〟というものだ。
しかしその聡明さは、よほどの完全な人物が現れない限り
「生き神様の一神教」とは相容れない。
カクレから見れば〝中途半端〟な
arlecchinoさんも、その他ウイッピーに見切りを付けて
去っていった人達も、かれらの悲劇の根底は
その辺なのじゃないかと思う。
ではなぜ一神教の極論にハマり、
他者を敵か味方かだけで判別し、
意見に対して冷静に、客観的に判断することが
出来なくなってしまうのだろう?
そしてなぜ、カクレイシはこれほどまでに
「自分のオリジナルのオカルト解釈」に
こだわるのだろうか?
それらの原因は〝恐れ〟からだと私は思う。
「自分には存在価値がないのかも知れない」
っという恐れだ。
(この恐れは潜在的にはほとんどの人にあり、
人類全体の歴史の狂気もここが発生源だ)
その恐れが根深い程、強烈な劣等感となり、
不安となり、アルコール依存症ほか
さまざまな精神、肉体障害を引き起こす。
しかし一方、共産主義であろうが
その他、何かの宗教であろうが、
〝独自のオカルト解釈〟であろうが
これらの大儀や教義や専売特許といったものは
この根深い〝恐れ〟を、忘れさせてくれる。
しかし決して消えて無くなるのではない。
より、見えにくい意識の深い部分へと
押し込められていくだけだ。
奥深くへと押し込められ、そしてその腐臭が
漂いだしてくる。
こういった
〝自己存在が無価値ではないか?という恐れ〟
をクリヤーしている数少ない人々以外、の我々は
実はこの腐臭の苦しみによって人生を消費しているのだ。
そのもっとも端的な例がカクレイシであり、
彼は極端なだけであり、カクレイシ度数と、
その僅かな方向性の違いで、様々なタイプの
自我の執着に、我々は苦しみ続けているのである。
まず絶対神を信じるか?否か?という詰問が、
最強の
「オール?オア・ナッシング?」
という極論に人を走らせる。
そして思考停止に追いやってしまう。
これは五井野教だけでなく、
多くの一神教に見られる病理だ。
「こちらに改宗しなければ、邪教徒として殺す」
っという、いわゆる宗教戦争がその最大の発露だ。
とりあえずわたしは
「ウイッピーは(弱小だし)そこまでは行くまい」
という点で、現時点では〝カルトだ〟
とまでは言わない。
しかし一神教の危険性は、そのままカルトへと
エスカレートする危険性と地続きだ。
そして狂信者は「敵か?味方か?」という二元論でしか
相手が見られない様になってしまう。
敵意がある相手であれ、正しい意見なら正しいし
味方の意見であれ、善意の意見であれ
間違った意見は間違いである。
その率直さこそが“客観性〟というものだ。
しかしその聡明さは、よほどの完全な人物が現れない限り
「生き神様の一神教」とは相容れない。
カクレから見れば〝中途半端〟な
arlecchinoさんも、その他ウイッピーに見切りを付けて
去っていった人達も、かれらの悲劇の根底は
その辺なのじゃないかと思う。
ではなぜ一神教の極論にハマり、
他者を敵か味方かだけで判別し、
意見に対して冷静に、客観的に判断することが
出来なくなってしまうのだろう?
そしてなぜ、カクレイシはこれほどまでに
「自分のオリジナルのオカルト解釈」に
こだわるのだろうか?
それらの原因は〝恐れ〟からだと私は思う。
「自分には存在価値がないのかも知れない」
っという恐れだ。
(この恐れは潜在的にはほとんどの人にあり、
人類全体の歴史の狂気もここが発生源だ)
その恐れが根深い程、強烈な劣等感となり、
不安となり、アルコール依存症ほか
さまざまな精神、肉体障害を引き起こす。
しかし一方、共産主義であろうが
その他、何かの宗教であろうが、
〝独自のオカルト解釈〟であろうが
これらの大儀や教義や専売特許といったものは
この根深い〝恐れ〟を、忘れさせてくれる。
しかし決して消えて無くなるのではない。
より、見えにくい意識の深い部分へと
押し込められていくだけだ。
奥深くへと押し込められ、そしてその腐臭が
漂いだしてくる。
こういった
〝自己存在が無価値ではないか?という恐れ〟
をクリヤーしている数少ない人々以外、の我々は
実はこの腐臭の苦しみによって人生を消費しているのだ。
そのもっとも端的な例がカクレイシであり、
彼は極端なだけであり、カクレイシ度数と、
その僅かな方向性の違いで、様々なタイプの
自我の執着に、我々は苦しみ続けているのである。
これは メッセージ 1659 (kakureisibesuto2009 さん)への返信です.
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