ウイッピー文明16号 ③
投稿者: ooi_osan 投稿日時: 2011/08/19 13:24 投稿番号: [2102 / 7803]
②の続き
P22,23,24
そして、この音階は現音楽の持っている習性、利点、欠陥部分を全て理解し得た上で、それを越えた、その上に立つ宇宙音楽であると私は思います。
そして、今回のコンサートでも十六音階による演奏は行われました。
現在の音楽は極度に専門家していて、むずかしい技術を音楽学校等で習わなければならず、他方、ディスコ音楽の様な、踊る事を主眼とした音楽へと別れて来たのであるが、前者は音色やテクニックの優劣を開き、後者は、リズムのうねりに身をゆだねる。
確かに今の音楽は転換期に来ており、どのミュージシャン、作曲家達も口をそろえて言っている。私達は、新しい音、耳慣れない音は拒否する性質を持っている。これは今までに耳が慣らされている事であるし、その上今日のマスコミの影響も大きいと思われる。
全く新しい音楽を聞く時、最初耳慣れなく感ずる。そして、繰り返し聞くと、耳が慣れて来るというだけではなく、耳の方で変わってくる。今まで聞こえなかったものが聞こえてくる。実は自然に基に還るのであり、宇宙的な感覚に近づくようです。私は、LP「七次元よりの使者」の制作に参加させて頂いた。その少し以前に、音楽上は数字であると、五井野正先生よりお聞き致しました。そして、十六音階の理論を色々と聞かせて頂きました。
しかし、今までの七音階によるギターの演奏、テクニックには自信を持っていた私が、実際に弾いてみると今までの習慣が抜け切らず、レコーディングの時などは色々メンバーに苦労をかけてしまった。今思うと、七音階と十六音階は、その音楽の持つ広さが明らかに十六音階の方が広く、テクニックよりも演奏者の感受性の豊かさが大切である事。逆に言えば楽器の弾けない人でも、その人のセンスで音楽をつくる事よく音楽はコミュニティー、ロックは何々などと色々耳にするが、そこには意思の伝達が行われているのだろうか・・・ ・・・
(今までの音楽を理解した上で、新しい音楽像を自らの手で作るところまで進むのが本当のミュージシャン、音楽家ではないだろうか。)
そこに自然にコミニュティーも生じるように思う。近代音楽の主流はヨーロッパにあった。ヨーロッパで過去二-三世紀の間に発展してきた音楽は、世界中に広まった。これはヨーロッパが経済的、政治的、軍事的に進出してくる過程と結びついた文明の侵略の一部だった。その音楽も他の音楽文化を圧迫し、それにとれば、機会文明と言われるものと共通する。又、小学校からの教育過程で教えるにも誠に都合が良く、レンガで組み建てるがごとく合理的に学習される。
それが今度は、ゆきづまえりに来たと知らされ(機械文明と同じ)インドや、中東や日本などの民族音楽へのアプローチが、盛んになされてきた。
ロック、ジャズのミュージシャン達はインドの持ち続けてきたシタール等の様々な音階にひかれ、これとて大ざっぱに分析すれば、ピタゴラスの七音階を基にしているのであるが、西洋からの脱皮を計ってはいる。
十六音階と七音階(十二音程)を同時に聞くと十六音階が異質なものとして聞こえる。十六音階だけを長時間聞くと七音階が入った時に、七音は異質で単純なものとして聞こえてくる。当然と言えば当然である。
音楽は、もともとは違ったものである様に最近感じ始めている。
人間の持つ様々な要素、部分をふるわせ、浄化させる働きがあるのではなかろうかと。私達は、今まで条件づけられた狭い範囲の中で、音楽はこうだと思い込んでいるのではないだろうか?!
私はギタリストとして、一月二十六日東京青山タワーホールでのコンサートに参加させてもらいましたが、改めて思い感じた事は音楽は音楽に留まらず、そして、音楽を超えたところに存在し、そこから音楽が生み出されるという事です。コンサートを見終わった時、観客の人達は一体何を一番強く思い感じたのだろうか。私は幾人かの人達に感想を聞いてみたら、「とにかく凄い。今までにないコンサート」など、短い言葉に感動の意が伝わってきた。
それは、私を含め音楽に対する自分自身の認識、観念を超えたコンサートであったという様にも受け止められた。音楽を超えた音楽、それは宇宙音楽、私はこの様な場に参加出来、感謝の気持ちでいっぱいです。これから先は自分自身を素直に見つめ、一歩一歩確実に前進していきます。
おわり
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そして、この音階は現音楽の持っている習性、利点、欠陥部分を全て理解し得た上で、それを越えた、その上に立つ宇宙音楽であると私は思います。
そして、今回のコンサートでも十六音階による演奏は行われました。
現在の音楽は極度に専門家していて、むずかしい技術を音楽学校等で習わなければならず、他方、ディスコ音楽の様な、踊る事を主眼とした音楽へと別れて来たのであるが、前者は音色やテクニックの優劣を開き、後者は、リズムのうねりに身をゆだねる。
確かに今の音楽は転換期に来ており、どのミュージシャン、作曲家達も口をそろえて言っている。私達は、新しい音、耳慣れない音は拒否する性質を持っている。これは今までに耳が慣らされている事であるし、その上今日のマスコミの影響も大きいと思われる。
全く新しい音楽を聞く時、最初耳慣れなく感ずる。そして、繰り返し聞くと、耳が慣れて来るというだけではなく、耳の方で変わってくる。今まで聞こえなかったものが聞こえてくる。実は自然に基に還るのであり、宇宙的な感覚に近づくようです。私は、LP「七次元よりの使者」の制作に参加させて頂いた。その少し以前に、音楽上は数字であると、五井野正先生よりお聞き致しました。そして、十六音階の理論を色々と聞かせて頂きました。
しかし、今までの七音階によるギターの演奏、テクニックには自信を持っていた私が、実際に弾いてみると今までの習慣が抜け切らず、レコーディングの時などは色々メンバーに苦労をかけてしまった。今思うと、七音階と十六音階は、その音楽の持つ広さが明らかに十六音階の方が広く、テクニックよりも演奏者の感受性の豊かさが大切である事。逆に言えば楽器の弾けない人でも、その人のセンスで音楽をつくる事よく音楽はコミュニティー、ロックは何々などと色々耳にするが、そこには意思の伝達が行われているのだろうか・・・ ・・・
(今までの音楽を理解した上で、新しい音楽像を自らの手で作るところまで進むのが本当のミュージシャン、音楽家ではないだろうか。)
そこに自然にコミニュティーも生じるように思う。近代音楽の主流はヨーロッパにあった。ヨーロッパで過去二-三世紀の間に発展してきた音楽は、世界中に広まった。これはヨーロッパが経済的、政治的、軍事的に進出してくる過程と結びついた文明の侵略の一部だった。その音楽も他の音楽文化を圧迫し、それにとれば、機会文明と言われるものと共通する。又、小学校からの教育過程で教えるにも誠に都合が良く、レンガで組み建てるがごとく合理的に学習される。
それが今度は、ゆきづまえりに来たと知らされ(機械文明と同じ)インドや、中東や日本などの民族音楽へのアプローチが、盛んになされてきた。
ロック、ジャズのミュージシャン達はインドの持ち続けてきたシタール等の様々な音階にひかれ、これとて大ざっぱに分析すれば、ピタゴラスの七音階を基にしているのであるが、西洋からの脱皮を計ってはいる。
十六音階と七音階(十二音程)を同時に聞くと十六音階が異質なものとして聞こえる。十六音階だけを長時間聞くと七音階が入った時に、七音は異質で単純なものとして聞こえてくる。当然と言えば当然である。
音楽は、もともとは違ったものである様に最近感じ始めている。
人間の持つ様々な要素、部分をふるわせ、浄化させる働きがあるのではなかろうかと。私達は、今まで条件づけられた狭い範囲の中で、音楽はこうだと思い込んでいるのではないだろうか?!
私はギタリストとして、一月二十六日東京青山タワーホールでのコンサートに参加させてもらいましたが、改めて思い感じた事は音楽は音楽に留まらず、そして、音楽を超えたところに存在し、そこから音楽が生み出されるという事です。コンサートを見終わった時、観客の人達は一体何を一番強く思い感じたのだろうか。私は幾人かの人達に感想を聞いてみたら、「とにかく凄い。今までにないコンサート」など、短い言葉に感動の意が伝わってきた。
それは、私を含め音楽に対する自分自身の認識、観念を超えたコンサートであったという様にも受け止められた。音楽を超えた音楽、それは宇宙音楽、私はこの様な場に参加出来、感謝の気持ちでいっぱいです。これから先は自分自身を素直に見つめ、一歩一歩確実に前進していきます。
おわり
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これは メッセージ 2099 (ooi_osan さん)への返信です.