土への対処方法7
投稿者: yuyu10nen 投稿日時: 2009/11/30 03:54 投稿番号: [1846 / 1931]
なぜ、二つ目を選ぶかというと、理想とする状態にするには、畝をたてる必要があるから。
なぜ畝を建てるかというと、畝間に草を厚くひくために。
何のために?
まずは、そこを人間が歩く通り道とすることで、踏み潰してしまう虫や生き物を減らすため。
同時に、それは、左右の畝の作物の生育のための肥料を供給する場所にもなっている。
同時に、大地の水分を保持する作用も持ち、そこにミミズなどが集まることでの
左右の畝の土の土壌改良効果も期待できる。
そして、人間は、20センチ以上の厚さのある枯れ草などの層の上を歩き、
下の生き物は、草の厚みと隙間の多さで、踏み潰されることが減る。
さらには、普通は畝間に雑草が生えて困ることになるが、20センチ以上の草が
敷き詰められると、雑草はほとんど生えないので、畝間の雑草とりの手間がない。
このような多重メリットを同時に実現する形を作るために、はじめに遺跡発掘レベルの
手間をかけてでも、大地の土をその理想の形にアレンジしてしまうわけだ。
5年以上経過後の総合平和度は、場合によって、こちらのほうが高くなると
思っている。
なぜならば、多年草や笹の根を放置していると、それを刈り取る作業を頻繁に
しなければならなくなり、しかも、畝間の草のような安全システムもない以上、
人間が、そこを行き来するだけで、移動していないでそこで繁殖してしまった
生き物たちが、かなり踏み潰されるなどの事故にあうと思われるからだ。
であれば、はじめに慎重に土壌調査もかねて、遺跡発掘的畑作りの作業をしたほうがいい。。。
そういうわけだ。
長い目で見て、どちらがより平和的であるか。
調べてみてもらいたい。
どちらも、耕運機やクワで何も考えずに耕すよりは、明らかにより平和的だ。
であれば、現状の農法をする予定だったなら、どちらの選択肢も選んだら、より
平和的になっていいだろう。
場所や環境に応じて選べるパターンの違う方法はあるべきでないか?
食物を実際に生産するのなら、確実性の高いのは、後者の方法だ。
これでどうしても平和的にできない環境ならば、その時点で前者の方法に切り替えてもいいわけだ。
とにかく、そこに生きる体験する意識が死んだり苦しんだりしないように
すればいいのだ。
虫たちに体験する能力や苦しむ能力があるのかどうかは、私は確実なところは
知らない。
だが、少なくともそれを支配する意識があると感じているし、個体にもその能力がないという
証拠はないので、できるだけそうしたことをしたくない。
が、それをまったくしない方法がない、また、多くの人が無理なく選べる選択肢と
してはないというのであれば、その方法をとりあえずの基本にするしかないだろう。
それは、そうした無理なく平和的に生きる方法を提供しなかったこの惑星や自然生態系の
創造者の責任だ。
また、方法があるというのなら、それがあってもそれを教えないし、簡単にはできない
ようにしているこの惑星の支配者たちの責任だ。
私は、そう感じている。
平和的に自給自足するなど、誰もが、無理なく選べて当然のことであると感じる。これは魂の基本的権利ではないかと感じる。
それが、こうも難しい世界などはじめから意地悪な設定にしてあるとしか思えない。
であれば、そんな意地悪をした創造者が問題だ。
人間側の問題ではない。
違うだろうか?
私はそのように感じてしまったりする。。。
私の感じることが間違いや誤解であるなら、なぜ間違いや誤解なのかを教えてほしい。
少なくとも、ここまで言われて、その意味や理由の説明くらいするのは、創造者や支配者のなすべき義務だと思う。
なぜ畝を建てるかというと、畝間に草を厚くひくために。
何のために?
まずは、そこを人間が歩く通り道とすることで、踏み潰してしまう虫や生き物を減らすため。
同時に、それは、左右の畝の作物の生育のための肥料を供給する場所にもなっている。
同時に、大地の水分を保持する作用も持ち、そこにミミズなどが集まることでの
左右の畝の土の土壌改良効果も期待できる。
そして、人間は、20センチ以上の厚さのある枯れ草などの層の上を歩き、
下の生き物は、草の厚みと隙間の多さで、踏み潰されることが減る。
さらには、普通は畝間に雑草が生えて困ることになるが、20センチ以上の草が
敷き詰められると、雑草はほとんど生えないので、畝間の雑草とりの手間がない。
このような多重メリットを同時に実現する形を作るために、はじめに遺跡発掘レベルの
手間をかけてでも、大地の土をその理想の形にアレンジしてしまうわけだ。
5年以上経過後の総合平和度は、場合によって、こちらのほうが高くなると
思っている。
なぜならば、多年草や笹の根を放置していると、それを刈り取る作業を頻繁に
しなければならなくなり、しかも、畝間の草のような安全システムもない以上、
人間が、そこを行き来するだけで、移動していないでそこで繁殖してしまった
生き物たちが、かなり踏み潰されるなどの事故にあうと思われるからだ。
であれば、はじめに慎重に土壌調査もかねて、遺跡発掘的畑作りの作業をしたほうがいい。。。
そういうわけだ。
長い目で見て、どちらがより平和的であるか。
調べてみてもらいたい。
どちらも、耕運機やクワで何も考えずに耕すよりは、明らかにより平和的だ。
であれば、現状の農法をする予定だったなら、どちらの選択肢も選んだら、より
平和的になっていいだろう。
場所や環境に応じて選べるパターンの違う方法はあるべきでないか?
食物を実際に生産するのなら、確実性の高いのは、後者の方法だ。
これでどうしても平和的にできない環境ならば、その時点で前者の方法に切り替えてもいいわけだ。
とにかく、そこに生きる体験する意識が死んだり苦しんだりしないように
すればいいのだ。
虫たちに体験する能力や苦しむ能力があるのかどうかは、私は確実なところは
知らない。
だが、少なくともそれを支配する意識があると感じているし、個体にもその能力がないという
証拠はないので、できるだけそうしたことをしたくない。
が、それをまったくしない方法がない、また、多くの人が無理なく選べる選択肢と
してはないというのであれば、その方法をとりあえずの基本にするしかないだろう。
それは、そうした無理なく平和的に生きる方法を提供しなかったこの惑星や自然生態系の
創造者の責任だ。
また、方法があるというのなら、それがあってもそれを教えないし、簡単にはできない
ようにしているこの惑星の支配者たちの責任だ。
私は、そう感じている。
平和的に自給自足するなど、誰もが、無理なく選べて当然のことであると感じる。これは魂の基本的権利ではないかと感じる。
それが、こうも難しい世界などはじめから意地悪な設定にしてあるとしか思えない。
であれば、そんな意地悪をした創造者が問題だ。
人間側の問題ではない。
違うだろうか?
私はそのように感じてしまったりする。。。
私の感じることが間違いや誤解であるなら、なぜ間違いや誤解なのかを教えてほしい。
少なくとも、ここまで言われて、その意味や理由の説明くらいするのは、創造者や支配者のなすべき義務だと思う。
これは メッセージ 1845 (yuyu10nen さん)への返信です.
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