Re: ありがとうございます3
投稿者: yuyu10nen 投稿日時: 2009/08/24 20:39 投稿番号: [1804 / 1931]
畑作物を作るのは、太古の自然のままでは無理なのです。
日本で言えば、照葉樹林などが人為的な畑作業をしないでいい極相状態でありましょう。
だから、そこでどんぐりでも食べて生きるのであれば、結構自由な生き方が
できるようになるかもしれない。
それも試しました。
でも、それで満足して皆が生きれるとも思えない。。。
それを選びたいという人は、0ではないと思うけども。
だから、自然を超えたい、自然や肉体の支配、束縛から誰でもが、望めば自由になれる選択肢が作りたいのです。
それは、いけないことでしょうか?
それは、意志してはいけないことだと思いますか?
もしも、そうであれば、なぜ、そうした制限や不自由の満ちた自然や肉体の世界以外のもっと
自由に誰もと対等に友として、あるいは、合意を尊重しあって、生きれる平和的な世界を別に用意し、
いつでも負担なく自由に誰もがそうした世界に行けるように、選べるようにしなかったのか?
それに納得がいかない。
自然を超えて、自由になることを意志しては、いけないというならば、それくらいの選択肢、
ちゃんと作っておけよと言いたい。
私は、自分なりに、いろいろ試してきて、自然も、人間社会も、なにもかもが
悪いと思っているわけではないんです。
でも、当然あるべき、良心的で平和的な、まともな選択肢が、なぜ用意されてないのか。
平和的に自給自足自治するくらいのごくごく当然の権利が、保証されていない
惑星。。。
その原因が、社会や自然を裏で支配している、してきた、、、支配意識たちにあるとしたら、
彼らに、自分たちがしてきた支配を、それでいいと思う限り、何度でも再体験する義務や責任があるのではないでしょうか?
支配できるなら、強ければ、なんでもありでは、横暴がまかり通るひどい世界が、物理世界だけでなく魂世界でも
戦国時代が、続くだけです。
支配するものや世界を創造し、設定するものは、それくらいの、因果律の責任を負わねばならないはず。
それが、私の現在の判断です。
これが最終決定ではないですが、感じたままです。
一致する目標で、協力できればと思います。
これは メッセージ 1803 (yuyu10nen さん)への返信です.
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