闘うべき相手について
投稿者: yuyu10nen 投稿日時: 2006/11/04 08:19 投稿番号: [1250 / 1931]
拝啓、らずる様
なるほど、そうですか、、、書き込みありがとう。
では、私が思うことを書かせていただきます。
闘わなければならないとおっしゃるが、その相手が本当のところ何なのか・・・
ご理解されていらっしゃいますか?
自由や平和を実現するために、何と、誰と、どんなものと、闘う必要があるのか。。。
そして、その戦いに勝てば、、それだけで、満足なのか?
因果律は、与えるものが、受け取るもの、と、ことあるごとに私に示す。。。
私は最近、世界中の意識の多くが、この法則において、自分自身と、その無知と、戦っているのではないかと感じることがある。
その鏡になると言う行為であれば、それは戦いではなく、愛の行為のひとつであろう。
だが、そこに自己中心的な願望がからめば、この鏡作用によって自分を痛めるであろう。
平和的な自給自治を互いに守りあうということが、だから、重要になる。
私たちは、より立場の弱い意識に与えている行為をまず正すとこができる。
たとえば、私は、こんな体験をした。
意識して、動物の肉を食べなくなり、10年以上になるのだが、、、
すると、より自由になった自分があった。
死への恐れが、激減した。。。。
私も、まだまだ発展途上、深刻にならずに、自分自身の遊び心を愛してやってほしいと思う。
まあ、無理に遊ぶなんてのは意味ないけどね。
でも、これって、生きる意味だと感じるのである。
すべての今までの体験を振り返って生まれたのが、この理解であった。
皆、それぞれ、生きる意味は、排他破壊的でない限り、好きなのを選べばいいんだけどね。
そいつが、この世界では、ちゃんと保護保障されていないと思っている。
邪魔ではないけども、、、礼儀なんて求められると、、、返事が萎縮しちゃうな〜
汗)
礼儀って本質的には一体なんなの?
平和で自由な意識同士において、本当に必要なものなの?
なんて、思うんだよ。。。
間違ってるかな。
これは メッセージ 1249 (rzl_202 さん)への返信です.
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