内在神1
投稿者: mizno_kirara 投稿日時: 2008/08/16 08:49 投稿番号: [39 / 77]
少し、神道関係の話をしてみます。
神社における二礼、二拍、一礼で最初の一拍目はそれぞれの内在神に対してする意味があります。
内在神とは、生まれてから死ぬまでずっと一緒に人生の旅をする内なるガイド、内なる神です。
多くの人は、自分自身を指で指し示す時胸の辺りを指し示しますが、場所的にはその辺りに内在神が座ます。
内在神は、人間がそれを尊ばずお金や地位、あるいは外の権威や宗教で説く神や占いなどに依存している時、寝ています。
内在神が一度目覚めると、そうしたものに囚われず自分自身を大切にする気持ちが現れます。
自分自身を大切にすると、今度は他の人も大切に扱うようになるようです。
また、毀誉褒貶に囚われず原因結果を素直に受け止める気持ちができますので人生の困難に立ち向かう勇気が出てきます。
また、そういう気持ちを持ち続けることで内在神も育ちます。
内在神においてもっともそれから遠ざかることは、我欲や怒りではありません。
独善的自我「我善し」とする気持ち、自分だけが正しく相手が間違っていると言う気持ちは最も内在神から遠い境地でしょう。
また、善意と称して自分の気持ちを無理やり押し付けたりすることも良くないことです。例えば他国に自分の国の制度や宗教観や価値観を無理やり押し付けるやり方は、内在神から程遠く、「我善し」の極みでしょう。
他人に干渉したりすることは、実は自分自身をかまって欲しいという自我欲求ですが、気功的に観るとそのような国や人民は光を他人から奪うことで自分の不足を満たそうとしているようです。
内観をしっかりやって居られる方は、この辺りのことは既に自明のことでしょう。
内在神とは、存在の根本と命のつながりをしっかりと見据えた感覚をもたらしますからそこに孤独感、焦燥感、無力感は影響力を失って行きます。
内在神とは神道で言うところの分け御霊、すなわち神の分霊です。
21世紀のキーポイントは、この内在神をはっきり自覚し、全ての自分の行動や言葉、想いを内在神と調和していくことが重要です。
地上を歩く生きた神人、それが私たち全てです。
今の時代はその過渡期にあり、中間的存在などを媒介とした教えを絶対として従ってきた時代の収縮を見ています。
私たちの内在神は、それらのいかなる存在をも超越しており、直接の分け御霊です。従って、何かを拝ませる宗教形式は、低い次元に意識を留めることとなり必然的にそれは偶像崇拝になるでしょう。
偶像崇拝形式は、残念ながらGIVE & TAKEをモットーとする存在に利用され最終的には光を奪われます。結果として不調和などを引き起こすことになるでしょう。何かの宗教を始めることは、その元の存在と契約することになります。その元の存在が何であれ自己の内在神をほったらかしにして外に向かうこと自体が問題なのです。
内在神を活発にする時、神社で願い事をすることは減ります。神社ではむしろ日ごろ加護頂いていることを感謝することを表明する形になるでしょう。
祈りは、内在神を通して根本の神からの光を喚起する意味ある方法となります。
このように内在神のある生活は、特別な行法と言うより、極めてシンプルなものです。
神社における二礼、二拍、一礼で最初の一拍目はそれぞれの内在神に対してする意味があります。
内在神とは、生まれてから死ぬまでずっと一緒に人生の旅をする内なるガイド、内なる神です。
多くの人は、自分自身を指で指し示す時胸の辺りを指し示しますが、場所的にはその辺りに内在神が座ます。
内在神は、人間がそれを尊ばずお金や地位、あるいは外の権威や宗教で説く神や占いなどに依存している時、寝ています。
内在神が一度目覚めると、そうしたものに囚われず自分自身を大切にする気持ちが現れます。
自分自身を大切にすると、今度は他の人も大切に扱うようになるようです。
また、毀誉褒貶に囚われず原因結果を素直に受け止める気持ちができますので人生の困難に立ち向かう勇気が出てきます。
また、そういう気持ちを持ち続けることで内在神も育ちます。
内在神においてもっともそれから遠ざかることは、我欲や怒りではありません。
独善的自我「我善し」とする気持ち、自分だけが正しく相手が間違っていると言う気持ちは最も内在神から遠い境地でしょう。
また、善意と称して自分の気持ちを無理やり押し付けたりすることも良くないことです。例えば他国に自分の国の制度や宗教観や価値観を無理やり押し付けるやり方は、内在神から程遠く、「我善し」の極みでしょう。
他人に干渉したりすることは、実は自分自身をかまって欲しいという自我欲求ですが、気功的に観るとそのような国や人民は光を他人から奪うことで自分の不足を満たそうとしているようです。
内観をしっかりやって居られる方は、この辺りのことは既に自明のことでしょう。
内在神とは、存在の根本と命のつながりをしっかりと見据えた感覚をもたらしますからそこに孤独感、焦燥感、無力感は影響力を失って行きます。
内在神とは神道で言うところの分け御霊、すなわち神の分霊です。
21世紀のキーポイントは、この内在神をはっきり自覚し、全ての自分の行動や言葉、想いを内在神と調和していくことが重要です。
地上を歩く生きた神人、それが私たち全てです。
今の時代はその過渡期にあり、中間的存在などを媒介とした教えを絶対として従ってきた時代の収縮を見ています。
私たちの内在神は、それらのいかなる存在をも超越しており、直接の分け御霊です。従って、何かを拝ませる宗教形式は、低い次元に意識を留めることとなり必然的にそれは偶像崇拝になるでしょう。
偶像崇拝形式は、残念ながらGIVE & TAKEをモットーとする存在に利用され最終的には光を奪われます。結果として不調和などを引き起こすことになるでしょう。何かの宗教を始めることは、その元の存在と契約することになります。その元の存在が何であれ自己の内在神をほったらかしにして外に向かうこと自体が問題なのです。
内在神を活発にする時、神社で願い事をすることは減ります。神社ではむしろ日ごろ加護頂いていることを感謝することを表明する形になるでしょう。
祈りは、内在神を通して根本の神からの光を喚起する意味ある方法となります。
このように内在神のある生活は、特別な行法と言うより、極めてシンプルなものです。
これは メッセージ 1 (mizno_kirara さん)への返信です.
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