憶測と認知の差
投稿者: nobu_ichi95 投稿日時: 2005/09/21 09:55 投稿番号: [7584 / 62227]
こういう時には、「認知論」を応用しても良い気がする。
例えば、今の日本に北朝鮮並みの飢えを日常的に体感する集団・コミュニティーが存在するのか?。
余りに特殊な浮浪者の事は除外して、「常識的」に考えれば、その存在証明の有無には関係なく「存在する」とは、まず認知することができない。
(ごく一般的な反応は、そんな証拠を探し歩くというコンセプト自体が徒労であり、存在証明を発見する事の方が「ほぼ不可能」だと思うことだろう。)
アラスカ州が最北端の辺境の町や、小さな自治区のコミュニティーに至るまで産業から福祉の手厚い支援網を張り巡らし、衣食住と職が満たされているという現実の前で、鯨を食べなければ「死んでしまう」ほどの飢えを体感している集団が存在するのかということは、やはり常識では認知できない。「飢えている」と言うその証拠を探し歩き、それを発見する事が「ほぼ不可能」だと言う点でも、先の例題と同じだ。
さて、「憶測」(Guess:あてずっぽ)と現実から常識的な「認知」(Recognition)をすることとは、全く異質なるメカニズム。
明示的な現実が存在するのだから、まずはそれを「認知」した上で自論の再構築を図らねば、いつまでも非現実的な怪電波をうんざりする程に発し続ける事になるんだが、無理な話かな。
これは メッセージ 7581 (kujira77777 さん)への返信です.
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