転石不生苔
投稿者: r13812 投稿日時: 2011/07/17 23:07 投稿番号: [55062 / 62227]
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このところ、図書館での作業の際に、横道にそれる定番の本だったのが…石井敦『解体新書「捕鯨論争」』。
で、ようやく今日、読み終わって、帰宅してみると、
朝日新聞の書評欄で、中島岳志氏のこの本に対する評に遭遇、いやぁ…奇遇!
『解体新書「捕鯨論争」』は、
「捕鯨派」のかなりの部分が実は「反・反捕鯨」であることをクリアに指摘していて、
外国からの批判を「日本文化に対する攻撃」と捉え、
「反捕鯨」に反撃することに運動の主軸がおかれていることを浮かび上がらせる
ただ、『解体新書「捕鯨論争」』を読み進めていく中で、個人的には、
「捕鯨派=反・反捕鯨」の図式よりも、…むしろ、
「捕鯨派」の人たちへの共鳴が、「OO<で>生きていきたい人々」の共鳴と酷似していることを強く感じました
本来、市場経済の中で自然には成立し得ないOO。
補助金・助成金…国の制度によって、やっと成立しているOO。
…ところが、様々な理由で、自分たちはOO<で>生きていきたい!…そう信じる人たちが、
「捕鯨派」の人々の営みに強く共鳴してしまうということは、ありそうなことじゃないかな…と
更にいえば、『解体新書「捕鯨論争」』では、
「調査捕鯨は利権」という指摘がなされているのだけれども、
せいぜい5億円だの12億円だのの規模…道路だの、建設だの、原子力だの
といった利権に比べれば、相当に小さい
利権の規模がとても小さいのだけれども、
議論だけがなんだかとても大きくなってしまうという点においても、
やはり「OO<で>生きていきたい人々」の世界の話とシンクロ率高い気がする
これは メッセージ 54898 (r13812 さん)への返信です.
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