「正和丸」(太地町漁協所有)だった・・
投稿者: r13812 投稿日時: 2011/04/26 06:52 投稿番号: [53564 / 62227]
東日本大震災:石巻離れ、釧路で調査捕鯨
被災者28人も決意の船出
http://mainichi.jp/hokkaido/shakai/news/20110426hog00m040003000c.html
捕鯨船を背景に、三陸再生への思いを語る「鮎川捕鯨」の奧海さん(左)と伊藤さん
http://mainichi.jp/hokkaido/shakai/news/images/20110426hog00m040001000p_size5.jpg
例年、宮城県石巻市の鮎川港を拠点にしていたミンククジラの沿岸調査捕鯨が、東日本大震災の影響で今春は北海道の釧路港に場所を移して始まる。捕獲と解体に携わる47人のうち、約6割の28人は古里の復興を期して働く石巻の関係者だ。震災で職を失い、捕鯨船乗組員として第2の人生をスタートさせる被災者もいる。
沿岸調査捕鯨は、捕鯨業者団体が水産庁の許可を受けて毎年実施しており、春は鮎川港、秋は釧路港が拠点。今春は4月11日から始まる予定だったが、鮎川港が大きな被害を受け、捕鯨船4隻も打ち上げられて使えなくなった。そこで調査海域を釧路に移すことになり、和歌山と千葉から3隻が用意された。
そのうちの1隻「正和丸」(15・2トン)に乗り込む男性(41)は鮎川の元鮮魚店主。捕鯨は初めての仕事だ。被災で収入が断たれたところ、地元の「鮎川捕鯨」社員で今回の現場責任者を務める奧海良悦さん(70)から「うちで働いて、生活を立て直さないか」と声をかけられた。
地震当日、大きな揺れに「津波が来る」と直感し、自分の子が通う保育所に走った。布団をかぶって震えている園児たち。男性は避難をためらう所長を「必ず津波が来ますから」とせき立て、乳児や保育士らを軽トラックに乗せて指定避難所の公民館へ逃げた。
さらに「予想される津波の高さは6メートル」という放送を聞き、27人全員を高台の牡鹿総合支所へ。その1〜2分後、大津波が押し寄せて来た。とっさの判断が園児らの命を救い、男性は「隠れた有名人」(奧海さん)になっていたという。
40年以上、捕鯨船で世界の海を回っていた奧海さんは、今回の調査捕鯨について「技術の継承と陸上の生活を守ることが大切」と語る。鮎川捕鯨の伊藤信之営業課長(48)は「必ず再開する決意で捕鯨の1ページを作りたい。お父さんは、こういうふうに震災と闘ったんだぞ、と言えるように」と意気込む。
25日に予定されていた初出港は、天候不順により26日以降に見送られた。6月上旬までに最大60頭を捕獲し、1頭目は中央水産試験場でサンプルの放射線測定をする。【本間浩昭】
毎日新聞 2011年4月26日 1時39分
http://mainichi.jp/hokkaido/shakai/news/20110426hog00m040003000c.html
捕鯨船を背景に、三陸再生への思いを語る「鮎川捕鯨」の奧海さん(左)と伊藤さん
http://mainichi.jp/hokkaido/shakai/news/images/20110426hog00m040001000p_size5.jpg
例年、宮城県石巻市の鮎川港を拠点にしていたミンククジラの沿岸調査捕鯨が、東日本大震災の影響で今春は北海道の釧路港に場所を移して始まる。捕獲と解体に携わる47人のうち、約6割の28人は古里の復興を期して働く石巻の関係者だ。震災で職を失い、捕鯨船乗組員として第2の人生をスタートさせる被災者もいる。
沿岸調査捕鯨は、捕鯨業者団体が水産庁の許可を受けて毎年実施しており、春は鮎川港、秋は釧路港が拠点。今春は4月11日から始まる予定だったが、鮎川港が大きな被害を受け、捕鯨船4隻も打ち上げられて使えなくなった。そこで調査海域を釧路に移すことになり、和歌山と千葉から3隻が用意された。
そのうちの1隻「正和丸」(15・2トン)に乗り込む男性(41)は鮎川の元鮮魚店主。捕鯨は初めての仕事だ。被災で収入が断たれたところ、地元の「鮎川捕鯨」社員で今回の現場責任者を務める奧海良悦さん(70)から「うちで働いて、生活を立て直さないか」と声をかけられた。
地震当日、大きな揺れに「津波が来る」と直感し、自分の子が通う保育所に走った。布団をかぶって震えている園児たち。男性は避難をためらう所長を「必ず津波が来ますから」とせき立て、乳児や保育士らを軽トラックに乗せて指定避難所の公民館へ逃げた。
さらに「予想される津波の高さは6メートル」という放送を聞き、27人全員を高台の牡鹿総合支所へ。その1〜2分後、大津波が押し寄せて来た。とっさの判断が園児らの命を救い、男性は「隠れた有名人」(奧海さん)になっていたという。
40年以上、捕鯨船で世界の海を回っていた奧海さんは、今回の調査捕鯨について「技術の継承と陸上の生活を守ることが大切」と語る。鮎川捕鯨の伊藤信之営業課長(48)は「必ず再開する決意で捕鯨の1ページを作りたい。お父さんは、こういうふうに震災と闘ったんだぞ、と言えるように」と意気込む。
25日に予定されていた初出港は、天候不順により26日以降に見送られた。6月上旬までに最大60頭を捕獲し、1頭目は中央水産試験場でサンプルの放射線測定をする。【本間浩昭】
毎日新聞 2011年4月26日 1時39分
これは メッセージ 53563 (r13812 さん)への返信です.
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