捕鯨問題に関する国内世論の喚起(9)
投稿者: r13812 投稿日時: 2010/07/15 21:26 投稿番号: [45866 / 62227]
機能を発揮した「捕鯨懇」
論説委員対策と並行して、われわれはオピニオン・リーダーのグループ化をすすめた。そのねらいは、捕鯨の重要性について、国内世論を喚起する核をつくることだった。
名称は当初、「日本の捕鯨を守る会」という案を考えたが、いかにも業界のお先棒をかつぐという印象を与えるため、「捕鯨問題懇談会」とした。
「捕鯨懇」の設立趣意書には一応次のような目的をうたった。「国際的論争となっている捕鯨問題について、客観的立場から検討し、解決に資する意見を出す」――。しかし、これはあくまで建前であり、本音は、捕鯨のシンパサイザーを発掘し、養成することであった。
果してどれだけの人の賛同を得られるか。不安はあったが、ともかく当たってみることにした。行動を開始したのは77年の年明け早々であった。1〜2月にかけて、作家、文化人、学者を対象に約30人の著名人とコンタクトした。
反応は良好だった。ほとんどの人が反捕鯨の主張に疑問を抱いていたのである。もちろん日本の捕鯨に否定的な考えを持っている人もいた。「反捕鯨団体の主張を入れて、いったん中止してみたらどうか」「獲るだけでなく養殖技術の開発を研究すべき」などの意見がそうだ。
結局、次の15人が捕鯨懇のメンバーとなることに同意した。これらの人たちに共通していた点は、当然のことではあるが、大の鯨肉愛好家ということであった。
秋山庄太郎(写真家)、阿刀田高(作家)、宇田道隆(水産学者)、岡部冬彦(漫画家)、影山裕子(総理府婦人問題企画推進本部・参与)、木本正次(作家)、清宮竜(政治評論家)、小松錬平(テレビ・ニュースキャスター)、滝谷節雄(画家)、多田鉄之助(食味評論家)、中村武志(作家)、林謙一(作家)、兵藤節郎(日本学校給食会・常務理事)、大和勇三(評論家)、十返千鶴子(評論家)。
初会合は77年3月10日に開かれた。クジラ好きの人たちばかりであったため、種々のクジラ料理を用意した。
「捕鯨懇」の運営で、われわれがもっとも留意した点は、捕鯨協会の応援グループではなく、自主的な、独立した機関という性格を持たせることであった。そのため、「捕鯨懇」の結成に、もっとも熱意を示した、清宮竜、大和勇三両氏に、代表世話人に就任してもらい、会合の座長を交互に務めてもらうことにした。捕鯨協会と国際PRは事務局として、あくまで裏方の役目に回ったのである。
第1回目の会合では、捕鯨協会から捕鯨問題の現状について説明があり、活発な意見交換があった。そしてクジラと日本人の結びつき、捕鯨問題の実態をオピニオン・リーダーに広く認識させるため、PR誌を捕鯨懇の名前で発行することを申し合わせた。PR誌は「日本人とクジラ」というタイトルで、4月に第1号を発行、送付対象者は、オピニオン・リーダーとプレス関係者二千人。編集は国際PRが担当し、捕鯨懇メンバーに交互に執筆協力を仰いだ。以来、79年12月まで第9号を発行している。
捕鯨懇は79年11月までに7回の会合を開いた。当初、捕鯨問題に関しては漠然とした知識しかなかった各メンバーは、いまやこの問題の専門家である。そして結成以来3年間で、重要な機能を発揮するようになった。そのおもな活動をあげてみよう。
論説委員対策と並行して、われわれはオピニオン・リーダーのグループ化をすすめた。そのねらいは、捕鯨の重要性について、国内世論を喚起する核をつくることだった。
名称は当初、「日本の捕鯨を守る会」という案を考えたが、いかにも業界のお先棒をかつぐという印象を与えるため、「捕鯨問題懇談会」とした。
「捕鯨懇」の設立趣意書には一応次のような目的をうたった。「国際的論争となっている捕鯨問題について、客観的立場から検討し、解決に資する意見を出す」――。しかし、これはあくまで建前であり、本音は、捕鯨のシンパサイザーを発掘し、養成することであった。
果してどれだけの人の賛同を得られるか。不安はあったが、ともかく当たってみることにした。行動を開始したのは77年の年明け早々であった。1〜2月にかけて、作家、文化人、学者を対象に約30人の著名人とコンタクトした。
反応は良好だった。ほとんどの人が反捕鯨の主張に疑問を抱いていたのである。もちろん日本の捕鯨に否定的な考えを持っている人もいた。「反捕鯨団体の主張を入れて、いったん中止してみたらどうか」「獲るだけでなく養殖技術の開発を研究すべき」などの意見がそうだ。
結局、次の15人が捕鯨懇のメンバーとなることに同意した。これらの人たちに共通していた点は、当然のことではあるが、大の鯨肉愛好家ということであった。
秋山庄太郎(写真家)、阿刀田高(作家)、宇田道隆(水産学者)、岡部冬彦(漫画家)、影山裕子(総理府婦人問題企画推進本部・参与)、木本正次(作家)、清宮竜(政治評論家)、小松錬平(テレビ・ニュースキャスター)、滝谷節雄(画家)、多田鉄之助(食味評論家)、中村武志(作家)、林謙一(作家)、兵藤節郎(日本学校給食会・常務理事)、大和勇三(評論家)、十返千鶴子(評論家)。
初会合は77年3月10日に開かれた。クジラ好きの人たちばかりであったため、種々のクジラ料理を用意した。
「捕鯨懇」の運営で、われわれがもっとも留意した点は、捕鯨協会の応援グループではなく、自主的な、独立した機関という性格を持たせることであった。そのため、「捕鯨懇」の結成に、もっとも熱意を示した、清宮竜、大和勇三両氏に、代表世話人に就任してもらい、会合の座長を交互に務めてもらうことにした。捕鯨協会と国際PRは事務局として、あくまで裏方の役目に回ったのである。
第1回目の会合では、捕鯨協会から捕鯨問題の現状について説明があり、活発な意見交換があった。そしてクジラと日本人の結びつき、捕鯨問題の実態をオピニオン・リーダーに広く認識させるため、PR誌を捕鯨懇の名前で発行することを申し合わせた。PR誌は「日本人とクジラ」というタイトルで、4月に第1号を発行、送付対象者は、オピニオン・リーダーとプレス関係者二千人。編集は国際PRが担当し、捕鯨懇メンバーに交互に執筆協力を仰いだ。以来、79年12月まで第9号を発行している。
捕鯨懇は79年11月までに7回の会合を開いた。当初、捕鯨問題に関しては漠然とした知識しかなかった各メンバーは、いまやこの問題の専門家である。そして結成以来3年間で、重要な機能を発揮するようになった。そのおもな活動をあげてみよう。
これは メッセージ 45865 (r13812 さん)への返信です.
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