Re: 【SS元船長 判決】
投稿者: aplzsia 投稿日時: 2010/07/07 23:21 投稿番号: [45548 / 62227]
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裁判長「SSは調査捕鯨は違法であるとの主義主張に基づき、調査船のスクリューに
|絡ませるために海中にロープを投じたり、調査船に向けて酪酸などの入った瓶を発射するなど、
|危険で悪質な妨害行為を組織的に繰り返している。主義主張を実現するためにこのような
|暴力的手段を用いることは決して許されるものではなく、現に国際捕鯨委員会ではこれを
|容認しないという決議、声明も出されている。それにもかかわらず、その後もSSは
|暴力的な妨害行為を続けてきていることがうかがわれ、本件もこの一環として行われたものといえる」
この部分がもっとも脆弱ですね。
「調査捕鯨は違法である」というのは主義主張であるかもしれないけれど、
同時に法解釈のありうる一分肢です。
文理解釈上、一応国際捕鯨取締条約第8条に許容された範囲内とはいえ、
「調査捕鯨」が実質的に適法かどうかの判断を避けた、というのは司法の怠慢でしょう。
実際、国際捕鯨委員会はくりかえし、日本政府に対して致死調査を控えるよう
決議を出しているわけだから、こちらの決議を無視して、海上危険行為に
対する批難決議だけを参照するのは衡平性に欠ける判断でしょう。
もっとも国際捕鯨委員会を国際法解釈に関する権威とはみなさないならば、
不衡平という批判は避けられますが、そうなると「現に国際捕鯨委員会では
これを容認しないという決議」という一句は、素人っぽい政治談義という
ことになります。
国際法解釈の権威と言えば、国際司法裁判所なわけですが、ここがオースト
ラリアの提訴を受けて、日本の調査捕鯨の科学性如何に判断を下すか否かが
興味深いところですね。
1998年ミナミマグロ事件仲裁審の時のシュベーベル裁判長のように、
「ミナミマグロ実験捕獲」の科学性に関して、司法は判断し得ないという
法律形式主義の立場を国際司法裁判所が踏襲するかどうかが世界の人々の
法意識に大きな影響を与えるでしょう。
日本のような先進国には科学性を厳密に要求し、リビアのような国には
科学性をあまり要求しない、というのも国際司法裁判所としては採りにくい
裁量だろうし、難しいところですね。
そういう制約条件の無い先進国日本の国内裁判所が、調査捕鯨の科学性に
言及しなかったというのは、日本国内で科学に携わっている人々にとって
かえすがえすも不幸なことだったと思います。
科学性の実質内容に踏み込むことを避けたければ、「科学性>実利」か
「実利>科学性」か、どちらが優勢だったかというのを徹底的に外形で
立証するというのも可能ですが、ものすごく手間がかかるでしょう。
裁判官が「捕鯨の科学」を理解して、わかりやすく判決文に書くほうが
人々の幸せに貢献するのだと思いますが。
筋を通すのならば、ベスーンが控訴すべきところなのだけれど、
一個人にそこまでの負担を要求するのも無理だしねえ。
もう一度「現に国際捕鯨委員会ではこれを容認しないという決議」だけれど、
基本的に国際法解釈の保守的立場だと、国際法は個人や民間団体を
対象とはせず、古典的国際法主体は国家だけなのだから、拘束力は
国家に対してより強く働く、というのが保守法学の常識でしょうね
(革新的法学の立場を採るならば、当然「調査捕鯨」の科学性に踏み
込まなければなりません)。
そういうわけで、IWCが民間団体に対して出した決議よりも、日本政府に
対して出した調査捕鯨放棄決議のほうが強いはずだと、形式主義、
保守主義の強い日本の裁判官が判断しなかったというのは、形式的、
保守的に言って非常に不均衡です。
やっぱり日本はシステムとしてガタガタになってるのだという印象だな。
|絡ませるために海中にロープを投じたり、調査船に向けて酪酸などの入った瓶を発射するなど、
|危険で悪質な妨害行為を組織的に繰り返している。主義主張を実現するためにこのような
|暴力的手段を用いることは決して許されるものではなく、現に国際捕鯨委員会ではこれを
|容認しないという決議、声明も出されている。それにもかかわらず、その後もSSは
|暴力的な妨害行為を続けてきていることがうかがわれ、本件もこの一環として行われたものといえる」
この部分がもっとも脆弱ですね。
「調査捕鯨は違法である」というのは主義主張であるかもしれないけれど、
同時に法解釈のありうる一分肢です。
文理解釈上、一応国際捕鯨取締条約第8条に許容された範囲内とはいえ、
「調査捕鯨」が実質的に適法かどうかの判断を避けた、というのは司法の怠慢でしょう。
実際、国際捕鯨委員会はくりかえし、日本政府に対して致死調査を控えるよう
決議を出しているわけだから、こちらの決議を無視して、海上危険行為に
対する批難決議だけを参照するのは衡平性に欠ける判断でしょう。
もっとも国際捕鯨委員会を国際法解釈に関する権威とはみなさないならば、
不衡平という批判は避けられますが、そうなると「現に国際捕鯨委員会では
これを容認しないという決議」という一句は、素人っぽい政治談義という
ことになります。
国際法解釈の権威と言えば、国際司法裁判所なわけですが、ここがオースト
ラリアの提訴を受けて、日本の調査捕鯨の科学性如何に判断を下すか否かが
興味深いところですね。
1998年ミナミマグロ事件仲裁審の時のシュベーベル裁判長のように、
「ミナミマグロ実験捕獲」の科学性に関して、司法は判断し得ないという
法律形式主義の立場を国際司法裁判所が踏襲するかどうかが世界の人々の
法意識に大きな影響を与えるでしょう。
日本のような先進国には科学性を厳密に要求し、リビアのような国には
科学性をあまり要求しない、というのも国際司法裁判所としては採りにくい
裁量だろうし、難しいところですね。
そういう制約条件の無い先進国日本の国内裁判所が、調査捕鯨の科学性に
言及しなかったというのは、日本国内で科学に携わっている人々にとって
かえすがえすも不幸なことだったと思います。
科学性の実質内容に踏み込むことを避けたければ、「科学性>実利」か
「実利>科学性」か、どちらが優勢だったかというのを徹底的に外形で
立証するというのも可能ですが、ものすごく手間がかかるでしょう。
裁判官が「捕鯨の科学」を理解して、わかりやすく判決文に書くほうが
人々の幸せに貢献するのだと思いますが。
筋を通すのならば、ベスーンが控訴すべきところなのだけれど、
一個人にそこまでの負担を要求するのも無理だしねえ。
もう一度「現に国際捕鯨委員会ではこれを容認しないという決議」だけれど、
基本的に国際法解釈の保守的立場だと、国際法は個人や民間団体を
対象とはせず、古典的国際法主体は国家だけなのだから、拘束力は
国家に対してより強く働く、というのが保守法学の常識でしょうね
(革新的法学の立場を採るならば、当然「調査捕鯨」の科学性に踏み
込まなければなりません)。
そういうわけで、IWCが民間団体に対して出した決議よりも、日本政府に
対して出した調査捕鯨放棄決議のほうが強いはずだと、形式主義、
保守主義の強い日本の裁判官が判断しなかったというのは、形式的、
保守的に言って非常に不均衡です。
やっぱり日本はシステムとしてガタガタになってるのだという印象だな。
これは メッセージ 45526 (r13812 さん)への返信です.
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