Re: エリノア・オストロム
投稿者: aplzsia 投稿日時: 2009/10/23 20:43 投稿番号: [38913 / 62227]
>俺は秋田の全面禁漁の例の考察を求めたが、山形で全面禁漁があったとは知らんかったなあ(ゲラ)
>いい加減な妄想を訊いてんじゃなくて、資源管理のための全面禁漁の成功例として
>何が要件かの考察を問うてんだけどな(笑)
秋田と山形取り違えたのはワシが悪かった。だけど山形でも全面禁漁はあった。
秋田と山形ってよく取り違えないか?
ワシもついさっき、「滑って転んで山形県」が正しいのか「滑って転んで秋田県」
が正しいのかわからなくなって15分間悩んだw
どっちにしても、法律あるいは条約が「持続的利用」や「産業の秩序ある発展」
をうたっているからといって毎年の着実な漁獲を保障する事はできない
という事実の例として、ハタハタの休漁例が不適切であり(法律や条約と
無関係だから)、商業捕鯨モラトリアムや鯉養殖の事実上の禁止、
ノルウェー&旧ソ連/ロシアのカラフトシシャモ協定(数年ごとに
数年間の禁漁期間がある)が適切な例だというのは見やすい事実だな。
問題は水産庁の森下丈二参事官等が、国際捕鯨取締条約前文の文言、
「捕鯨産業の秩序ある発展」という一語を楯に、あたかも日本の捕鯨
船団が毎年持続的に捕鯨をする権利を持っているような主張をしてる
ことだ。こういうのを原理主義と言います。法典が世界を作ってる
と勘違いしてるイスラム原理主義と同じね。
>減らせたメカニズムの筆頭は、鯨油という国際商品の資源としての乱獲だよ。
これも小松正之氏や森下丈二氏のような、現実を知らない原理主義者の
セリフ、「アメリカ人やヨーロッパ人は油だけ絞ってあとは捨ててた、
それに対してわれわれ日本人は...」という言い方の言い換えだね。
結論的に言うと、こういう杜撰で間違ったディベートは日本以外の
先進国では馬鹿にされるだけだから止めたほうがよいよ。
論点は二つあって1)「油だけ」の間違い、2)食用オッケー、
燃焼用、工業用バツの誤導効果の問題だ。
19世紀ヤンキー捕鯨以前のバスク人商業捕鯨では鯨油だけで
なく背美鯨、ホッキョククジラの髭板も国際商品にしてた。
19世紀ヤンキー捕鯨の主要目的は、マッコウクジラ、マッコウ油
であって、日本人が食用目的で捕るヒゲクジラ類の鯨油ではない。
1870年代のヤンキー捕鯨終末期で、ベーリング海峡、アラスカへ
出漁してホッキョククジラを捕っていた捕鯨帆船だと、鯨油は
もはやまともな収入源にはならず、当時米国で急速に需要を増して
いたコルセット、スカート用髭板が採算の損益分岐点を決めていた。
髭板価格はホッキョククジラ髭板>セミクジラ髭板だから、
日本近海のセミクジラなんてのはほとんど関心を引いてはいない。
1930年頃にピークを迎えたノルウェー+英国寡占のヒゲクジラ漁
だと、確かに国際市場が形成されているけれど、用途のほとんど
はマーガリン原料で食用だ。近代捕鯨誌史のスタンダード本、テネセン&
ヨーンセンの「近代捕鯨史」(原著ノルウェー語)だと、南ヨーロッパ
でオリーブ油が果たしていた役割を、北ヨーロッパでは鯨油が果たして
いたと説明している。「油を搾るだけ」と言っても、ちゃんと食用
なんだよ。ユニリーバ勃興の原動力だ。もちろん枯渇の原動力
に間違いないけれど、バスクや江戸時代日本沿岸の商業捕鯨が
沿岸種枯渇を招いたのとメカニズムは同じだ。集落内消費を
越える捕獲を追求する商業主義だ。
ユニリーバが国際価格を支配し始めた亜頃に作られた日本初の国産
遠洋捕鯨母船、日新丸は1936年10月7日に神戸港を出発して南極へ
向かい、1116頭の鯨を獲ってそのまま日本へは帰らず、直接ロッ
テルダムで1937年5月15日にユニリーバへ鯨油を売り渡した。
鯨肉はもちろん殆ど捨てた。油だけ絞って後は捨てた商業主義
だね。
NHK教育で江戸時代の日本式沿岸商業捕鯨を礼賛した秋道さんの
お友達、フリーマンが編集した極地民族の本でアラスカ・イヌイット
のホッキョククジラ利用法を見ると、江戸時代ニッポン商業捕鯨との
明らかな違いが読み取れて面白い。彼らはアザラシなどの脂肪層は
内陸部イヌイットとの交易に使うのだけれど、クジラの脂皮は
捕鯨集落内部の消費だけに限定しているのだね。交易には鯨は
使わない(ヤンキー捕鯨時代に、いらない髭板を肉と交換した
という事例はあるけどね)。「生態系に埋め込まれた野生生物利用」
というのはそういうことだ(ヤンキー捕鯨がアラスカまで進出した
15年間ほどを例外としてね)。
>いい加減な妄想を訊いてんじゃなくて、資源管理のための全面禁漁の成功例として
>何が要件かの考察を問うてんだけどな(笑)
秋田と山形取り違えたのはワシが悪かった。だけど山形でも全面禁漁はあった。
秋田と山形ってよく取り違えないか?
ワシもついさっき、「滑って転んで山形県」が正しいのか「滑って転んで秋田県」
が正しいのかわからなくなって15分間悩んだw
どっちにしても、法律あるいは条約が「持続的利用」や「産業の秩序ある発展」
をうたっているからといって毎年の着実な漁獲を保障する事はできない
という事実の例として、ハタハタの休漁例が不適切であり(法律や条約と
無関係だから)、商業捕鯨モラトリアムや鯉養殖の事実上の禁止、
ノルウェー&旧ソ連/ロシアのカラフトシシャモ協定(数年ごとに
数年間の禁漁期間がある)が適切な例だというのは見やすい事実だな。
問題は水産庁の森下丈二参事官等が、国際捕鯨取締条約前文の文言、
「捕鯨産業の秩序ある発展」という一語を楯に、あたかも日本の捕鯨
船団が毎年持続的に捕鯨をする権利を持っているような主張をしてる
ことだ。こういうのを原理主義と言います。法典が世界を作ってる
と勘違いしてるイスラム原理主義と同じね。
>減らせたメカニズムの筆頭は、鯨油という国際商品の資源としての乱獲だよ。
これも小松正之氏や森下丈二氏のような、現実を知らない原理主義者の
セリフ、「アメリカ人やヨーロッパ人は油だけ絞ってあとは捨ててた、
それに対してわれわれ日本人は...」という言い方の言い換えだね。
結論的に言うと、こういう杜撰で間違ったディベートは日本以外の
先進国では馬鹿にされるだけだから止めたほうがよいよ。
論点は二つあって1)「油だけ」の間違い、2)食用オッケー、
燃焼用、工業用バツの誤導効果の問題だ。
19世紀ヤンキー捕鯨以前のバスク人商業捕鯨では鯨油だけで
なく背美鯨、ホッキョククジラの髭板も国際商品にしてた。
19世紀ヤンキー捕鯨の主要目的は、マッコウクジラ、マッコウ油
であって、日本人が食用目的で捕るヒゲクジラ類の鯨油ではない。
1870年代のヤンキー捕鯨終末期で、ベーリング海峡、アラスカへ
出漁してホッキョククジラを捕っていた捕鯨帆船だと、鯨油は
もはやまともな収入源にはならず、当時米国で急速に需要を増して
いたコルセット、スカート用髭板が採算の損益分岐点を決めていた。
髭板価格はホッキョククジラ髭板>セミクジラ髭板だから、
日本近海のセミクジラなんてのはほとんど関心を引いてはいない。
1930年頃にピークを迎えたノルウェー+英国寡占のヒゲクジラ漁
だと、確かに国際市場が形成されているけれど、用途のほとんど
はマーガリン原料で食用だ。近代捕鯨誌史のスタンダード本、テネセン&
ヨーンセンの「近代捕鯨史」(原著ノルウェー語)だと、南ヨーロッパ
でオリーブ油が果たしていた役割を、北ヨーロッパでは鯨油が果たして
いたと説明している。「油を搾るだけ」と言っても、ちゃんと食用
なんだよ。ユニリーバ勃興の原動力だ。もちろん枯渇の原動力
に間違いないけれど、バスクや江戸時代日本沿岸の商業捕鯨が
沿岸種枯渇を招いたのとメカニズムは同じだ。集落内消費を
越える捕獲を追求する商業主義だ。
ユニリーバが国際価格を支配し始めた亜頃に作られた日本初の国産
遠洋捕鯨母船、日新丸は1936年10月7日に神戸港を出発して南極へ
向かい、1116頭の鯨を獲ってそのまま日本へは帰らず、直接ロッ
テルダムで1937年5月15日にユニリーバへ鯨油を売り渡した。
鯨肉はもちろん殆ど捨てた。油だけ絞って後は捨てた商業主義
だね。
NHK教育で江戸時代の日本式沿岸商業捕鯨を礼賛した秋道さんの
お友達、フリーマンが編集した極地民族の本でアラスカ・イヌイット
のホッキョククジラ利用法を見ると、江戸時代ニッポン商業捕鯨との
明らかな違いが読み取れて面白い。彼らはアザラシなどの脂肪層は
内陸部イヌイットとの交易に使うのだけれど、クジラの脂皮は
捕鯨集落内部の消費だけに限定しているのだね。交易には鯨は
使わない(ヤンキー捕鯨時代に、いらない髭板を肉と交換した
という事例はあるけどね)。「生態系に埋め込まれた野生生物利用」
というのはそういうことだ(ヤンキー捕鯨がアラスカまで進出した
15年間ほどを例外としてね)。
これは メッセージ 38896 (monnkuii5gou さん)への返信です.
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