>査読もされていない投稿記事をどうしてわざわざ「論文」というの?
どうしてでしょうねえ。卒論とか、査読されてなくても言わないですか?
それよりもっと他のことをお訊きになりたかったのかな?
たとえば’Science’といえば自然科学雑誌のはずなのに、なんで
ドミニカのIWC代表ロイド・パスカル (Lloyd Pascal)やアンティグア・
バブーダ代表のデイヴン・ジョセフ(Daven Joseph)が日本利権に完全に
絡めとられた政治ゴロになってるような記述を示唆する文章があるんだ
とか。(
http://jp.youtube.com/watch?v=JsfB8oKe6MA&feature=relatedではPascal;パッセル、Daven;ダーバンになってますね。ヴィデオ
制作者のほうが私よりこの方々について詳しいと思われるので、実際には
こう発音するのかもしれません。)
生態系、いわゆる「エコ」関係の問題だと、ほとんど必ず人間の活動が
システムの重要要素として機能してますから、ずいぶん前から政策判断
や政策的意思決定の歪みなんてものも「自然科学的」論文で論じられて
います。
「自然科学」だからといって、人間行動の動態やクセを無視したり除外したり
すると、かえって「意図せざる偏向」が生まれるはずです。
水産庁が「科学的根拠(=IWC科学委員会の合意)の内容を狭く定義して、
それをごり押しする態度に「(機械論的)自然科学原理主義」が見てとれます。
たとえばサンクチュアリ(保護区、禁漁区)の設定に科学的根拠が無い
と言って、十分安全に捕獲できる頭数がいるのだから獲らせろという主張
ですね。
世界の鳥獣保護区、算術的にはたいていどこでもとってかまわない余剰分
というのはいるものです。だけど、制度として禁漁区をつくっておかないと、
突然変異、亜種形成用の余剰分が出ないとか、一定空間内での種の多様性は
生産性を高めるとか、経済が不況になると禁漁区以外ではすぐ獲り尽く
されるとか、資源環境倫理のわかりやすい教育が浸透しにくいとか、
そういう「算術」以上の確率論的あるいは政策科学的配慮が必要でそう
なっているのですがね。
そういうシステム論的なもの、マネージメント科学を、水産官僚さん
たちは認めたくないのでしょう。というか、そういうものを官僚権限で
強引に無視することに、快感を覚えているような気配さえあるな。