環境保護ねえ
投稿者: ts657738 投稿日時: 2004/08/07 00:57 投稿番号: [2927 / 62227]
鯨類の資源を管理する。
管理するということは要するに資源を傷つけないようにしましょうということ。
鯨類の資源を傷つけないようにする。自然保護運動やら、環境保護運動のお題目になる”貴重な生物を絶滅の危機から救おう”ということの目的とは一致する。
捕鯨の手段というのは再三指摘しているように、最大持続生産量を確保した上での捕鯨だということ。資源量の確認を行って、生体サンプルを捕獲して生態を調べてその上で、自然増加分の一部を利用する。
従って、捕獲以前の資源を減らさない。対象の資源は増加することを前提に捕獲する。
捕鯨再開後でも資源確認が義務付けられて、怠ると捕鯨枠が削減される。管理するというのはそういうことだ。
IWCに限界があるとすると鯨類の管理以外は範囲外ということ。
日本近海で魚と鯨類が競合する。これを調べて、管理する、という機能はIWCには担えないということ。サバが減ったと調べて管理するのは日本の水産庁であって、IWCではないということ。
日本の経済水域内で日本人の利用する水産資源は最終的には日本政府がこれを管理せざるを得ない。日本は国連海洋法条約に批准したから自国水産資源のTACを導入した。
だから、政府の責任で適正に水産資源の管理を行わねばならない。持続的な資源利用ということは、生物の種の多様性を保障する。
自然というのは常に変化する。地球環境は人間が全く関与しなくても環境は変化してきた。恐竜のいた時代と現代では地球上の環境は全くといって別物だろう。
現在、求められる環境保護とは結局人間が将来にも渡って生存可能な地球環境を保つことに尽きる。環境破壊が何故いけないのか。それをやるとやった直後はいいかも知れぬが、将来人間の生存に悪影響があるかもしれないからだ。
畜産を人間がおこなったのは、狩猟・採集生活よりも安定して食うためだ。
安定して食うために、本来野生にいた生物を人間が飼育しやすいように品種改良していった。早く大きくなるように、病気になり難いようにと野生生物に手を加えていった。
同時に自然を開拓して牧場をつくり、あるいは自然環境を人間が変えて穀物を作れる畑にして飼料を作って畜産飼料に使った。
畜産というのは自然を人間が利用している一形態に過ぎない。
肥育飼料を作るために水を使う。これは人間が作り出しているのではなく、自然の恵みに過ぎない。肥育飼料を作るのに利用する肥料。石油由来の化学肥料であっても、魚由来のものだろうが地球から産出するものに過ぎない。
畜産だろうが、天然生物資源の利用だろうが、それは人間が自然にどれだけ干渉して、自然を利用するのかの「差」にしか過ぎない。
天然生物資源は余裕を見て自然を利用しなければならなかったし、かつては技術的に制約を受けながらしか利用できなかった。それでは供給不足であったから人間が自然に干渉して本来生息しなかった品種を作り出して家畜と称して利用した。人間が増えるには畜産や養殖技術があったからともいえる。
天然生物資源の利用が環境保護に役立たないということでは決してない話。同じように畜産がないと人間が困るということも確かな話。対立させるからおかしくなる。
管理するということは要するに資源を傷つけないようにしましょうということ。
鯨類の資源を傷つけないようにする。自然保護運動やら、環境保護運動のお題目になる”貴重な生物を絶滅の危機から救おう”ということの目的とは一致する。
捕鯨の手段というのは再三指摘しているように、最大持続生産量を確保した上での捕鯨だということ。資源量の確認を行って、生体サンプルを捕獲して生態を調べてその上で、自然増加分の一部を利用する。
従って、捕獲以前の資源を減らさない。対象の資源は増加することを前提に捕獲する。
捕鯨再開後でも資源確認が義務付けられて、怠ると捕鯨枠が削減される。管理するというのはそういうことだ。
IWCに限界があるとすると鯨類の管理以外は範囲外ということ。
日本近海で魚と鯨類が競合する。これを調べて、管理する、という機能はIWCには担えないということ。サバが減ったと調べて管理するのは日本の水産庁であって、IWCではないということ。
日本の経済水域内で日本人の利用する水産資源は最終的には日本政府がこれを管理せざるを得ない。日本は国連海洋法条約に批准したから自国水産資源のTACを導入した。
だから、政府の責任で適正に水産資源の管理を行わねばならない。持続的な資源利用ということは、生物の種の多様性を保障する。
自然というのは常に変化する。地球環境は人間が全く関与しなくても環境は変化してきた。恐竜のいた時代と現代では地球上の環境は全くといって別物だろう。
現在、求められる環境保護とは結局人間が将来にも渡って生存可能な地球環境を保つことに尽きる。環境破壊が何故いけないのか。それをやるとやった直後はいいかも知れぬが、将来人間の生存に悪影響があるかもしれないからだ。
畜産を人間がおこなったのは、狩猟・採集生活よりも安定して食うためだ。
安定して食うために、本来野生にいた生物を人間が飼育しやすいように品種改良していった。早く大きくなるように、病気になり難いようにと野生生物に手を加えていった。
同時に自然を開拓して牧場をつくり、あるいは自然環境を人間が変えて穀物を作れる畑にして飼料を作って畜産飼料に使った。
畜産というのは自然を人間が利用している一形態に過ぎない。
肥育飼料を作るために水を使う。これは人間が作り出しているのではなく、自然の恵みに過ぎない。肥育飼料を作るのに利用する肥料。石油由来の化学肥料であっても、魚由来のものだろうが地球から産出するものに過ぎない。
畜産だろうが、天然生物資源の利用だろうが、それは人間が自然にどれだけ干渉して、自然を利用するのかの「差」にしか過ぎない。
天然生物資源は余裕を見て自然を利用しなければならなかったし、かつては技術的に制約を受けながらしか利用できなかった。それでは供給不足であったから人間が自然に干渉して本来生息しなかった品種を作り出して家畜と称して利用した。人間が増えるには畜産や養殖技術があったからともいえる。
天然生物資源の利用が環境保護に役立たないということでは決してない話。同じように畜産がないと人間が困るということも確かな話。対立させるからおかしくなる。
これは メッセージ 2918 (kujira77777 さん)への返信です.
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