さあ!諸君!捕鯨問題だ!

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確かに

投稿者: crawlingchaos_g 投稿日時: 2006/08/19 22:30 投稿番号: [14061 / 62227]
日本語の通じないk7ちゃんを相手にするのはシンドイけど

間違ってk7ちゃんの妄想を真に受けるやつがいないとも限らんのでな。^ ^;;;;;;;;


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小松氏のテレビでの発言

◎9000年前から鯨とかかわり
  第一に、日本人と鯨類のかかわりは、約9000年前の縄文時代に遡(さかのぼ)ります。石川県真脇遺跡などから、小型のクジラであるイルカの骨が大量に発掘されています。室町時代には織田信長が朝廷にクジラを献上しています。専業の職業集団、鯨組が、捕鯨を職業(なりわい)としたのが1606年であり、今年は日本の捕鯨が開始されて400年です。イワシ網漁からヒントを得て開発されたとみられる網取式の捕鯨が導入され、飛躍的に捕獲頭数が伸び、文化・文政時代(1802〜1830年)には、西日本だけでなく、江戸にも豊かな鯨食文化が花開きます。イノシシを山クジラと称したほど、クジラは庶民の食べ物になりました。1人当たり、現在の20倍の鯨肉を食べていたと考えられます。
  クジラ全体を余すところなく68か所についての調理法を記した長崎生月島に根拠を置く、鯨組の益富組による「鯨肉調味方」が1833年に編纂(さん)されました。2007年に生誕100年を迎える民俗学者宮本常一は、農村、漁村を16万キロにわたって歩きました。彼は、瀬戸内海の田島、倉橋島、周防大島、牛島などの技術者や漁業者集団が江戸時代に最も捕鯨が盛んだった長崎・五島列島の有川、宇久島、生月島、佐賀の呼子、小川島、山口の長門などの鯨組の網大工、船大工、そして水夫(かこ)としてその活動を支えたことを掘り起こしました。
  明治時代にノルウェーから導入された捕鯨砲の技術と資本が結び付いて、沿岸捕鯨の近代化が図られ、最終的に昭和9年に南氷洋へ進出する母船式捕鯨業となりました。それは、クジラの体を余すところなく利用する江戸時代の捕鯨の特質を受け継いだものであり、脂皮(クジラノカワ)から鯨油だけを取り、残り80%に及ぶ鯨体を海洋に投棄した英国、ノルウェーや米国の捕鯨と全く異なります。このようなわが国の捕鯨と食文化の特質を、国内外に情報発信することが重要です。
反捕鯨NGOは、日本の捕鯨と鯨食は、戦後の学校給食から始まったと誤った主張をしています。

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と、日本の捕鯨の歴史的変遷を述べているだけ。


> 『昭和9年の日本の南極海捕鯨は
>「クジラの体を余すところなく利用する」といった
>江戸時代の捕鯨の特質を受け継いだもので
>脂皮以外の鯨体を海に捨てていた国々とは全く異なっていた、ってことは
>脂皮以外の鯨体も海に捨ててはいなかったんだなあ』
>と解します。


などとk7ちゃんのように妄想に耽る必要もなく、

実際は南極海捕鯨をどうこうではなく、同じ時間軸の他国の鯨体利用を比較として出しているだけ。

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ま、ここを見てる人が分かればそれでいいわけだが。^ ^;;;;;;;;
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