Re: k7君は妄想してるようだけど
投稿者: aguatibiapy 投稿日時: 2006/08/18 04:34 投稿番号: [13998 / 62227]
少し易しい言葉で書く人が参加してきたので、私も一寸だけ復帰しましょう。
>と、捕鯨の歴史的変遷を述べているだけ。
との話ですが、私が事実に即し「歴史的変遷」をあの人物の立場で書いてみるとこうなります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
第一に、日本人と鯨類のかかわりは、約9000年前の縄文時代に遡(さかのぼ)ります。石川県真脇遺跡などから、小型のクジラであるイルカの骨が大量に発掘されています。室町時代には織田信長が朝廷にクジラを献上しています。専業の職業集団、鯨組が、捕鯨を職業(なりわい)としたのが1606年であり、今年は日本の捕鯨が開始されて400年です。イワシ網漁からヒントを得て開発されたとみられる網取式の捕鯨が導入され、飛躍的に捕獲頭数が伸び、文化・文政時代(1802〜1830年)には、西日本だけでなく、江戸にも豊かな鯨食文化が花開きます。イノシシを山クジラと称したほど、クジラは庶民の食べ物になりました。1人当たり、現在の20倍の鯨肉を食べていたと考えられます。
クジラ全体を余すところなく68か所についての調理法を記した長崎生月島に根拠を置く、鯨組の益富組による「鯨肉調味方」が1833年に編纂(さん)されました。2007年に生誕100年を迎える民俗学者宮本常一は、農村、漁村を16万キロにわたって歩きました。彼は、瀬戸内海の田島、倉橋島、周防大島、牛島などの技術者や漁業者集団が江戸時代に最も捕鯨が盛んだった長崎・五島列島の有川、宇久島、生月島、佐賀の呼子、小川島、山口の長門などの鯨組の網大工、船大工、そして水夫(かこ)としてその活動を支えたことを掘り起こしました。
明治時代にノルウェーから導入された捕鯨砲の技術と資本が結び付いて、沿岸捕鯨の近代化が図られ、最終的に昭和9年に南氷洋へ進出する母船式捕鯨業となりました。 クジラの体を余すところなく利用する江戸時代の捕鯨の特質は辛うじて沿岸捕鯨まで受け継がれましたが、残念にも南極捕鯨に至ってこれは断絶しました。 その規模、母船の設計、船団の運用がこれまでと全く異なっていただけではありません。 脂皮(クジラノカワ)から鯨油だけを取り、残り80%に及ぶ鯨体を海洋に投棄した英国、ノルウェーや米国の捕鯨の内でも最も無駄が多かった最悪のケースと同じく、参入から7年間もの間、肉や内臓や骨を大部分投棄したのです。 わが国の捕鯨と食文化の特質を、国内外に情報発信することは重要ですが、戦前の南極捕鯨のあり方については出来れば歴史から抹消し、隠蔽してしていきたいものです。
反捕鯨NGOは、日本の捕鯨と鯨食は、戦後の学校給食から始まったと主張をしていますが、戦前、降って沸いたように発生した大量の鯨肉の供給は到底正常な経済の下では消化できず、戦後の飢餓状態の下でのみ広範な国民の消費が実現したことを考えると、正当な主張と言えましょう。
−−−−−−−−
とまあ、こんな風になってしまうのですが・・・・・
これも歴史的変遷なんですが、どうしてこんな反対な結論になってしまうのでしょうか? それは原文が事実を歪曲し、謂わば嘘を書いているからです。
貴方の事実を求めるひたむきな態度には何時も敬服しています。
持ち帰り鯨肉のデータを示されたのも貴方でした。 その少なさには誰もがショックを受けたのですが。
それならば私の改善版が正しいことは理解されると思います。
>と、捕鯨の歴史的変遷を述べているだけ。
との話ですが、私が事実に即し「歴史的変遷」をあの人物の立場で書いてみるとこうなります。
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第一に、日本人と鯨類のかかわりは、約9000年前の縄文時代に遡(さかのぼ)ります。石川県真脇遺跡などから、小型のクジラであるイルカの骨が大量に発掘されています。室町時代には織田信長が朝廷にクジラを献上しています。専業の職業集団、鯨組が、捕鯨を職業(なりわい)としたのが1606年であり、今年は日本の捕鯨が開始されて400年です。イワシ網漁からヒントを得て開発されたとみられる網取式の捕鯨が導入され、飛躍的に捕獲頭数が伸び、文化・文政時代(1802〜1830年)には、西日本だけでなく、江戸にも豊かな鯨食文化が花開きます。イノシシを山クジラと称したほど、クジラは庶民の食べ物になりました。1人当たり、現在の20倍の鯨肉を食べていたと考えられます。
クジラ全体を余すところなく68か所についての調理法を記した長崎生月島に根拠を置く、鯨組の益富組による「鯨肉調味方」が1833年に編纂(さん)されました。2007年に生誕100年を迎える民俗学者宮本常一は、農村、漁村を16万キロにわたって歩きました。彼は、瀬戸内海の田島、倉橋島、周防大島、牛島などの技術者や漁業者集団が江戸時代に最も捕鯨が盛んだった長崎・五島列島の有川、宇久島、生月島、佐賀の呼子、小川島、山口の長門などの鯨組の網大工、船大工、そして水夫(かこ)としてその活動を支えたことを掘り起こしました。
明治時代にノルウェーから導入された捕鯨砲の技術と資本が結び付いて、沿岸捕鯨の近代化が図られ、最終的に昭和9年に南氷洋へ進出する母船式捕鯨業となりました。 クジラの体を余すところなく利用する江戸時代の捕鯨の特質は辛うじて沿岸捕鯨まで受け継がれましたが、残念にも南極捕鯨に至ってこれは断絶しました。 その規模、母船の設計、船団の運用がこれまでと全く異なっていただけではありません。 脂皮(クジラノカワ)から鯨油だけを取り、残り80%に及ぶ鯨体を海洋に投棄した英国、ノルウェーや米国の捕鯨の内でも最も無駄が多かった最悪のケースと同じく、参入から7年間もの間、肉や内臓や骨を大部分投棄したのです。 わが国の捕鯨と食文化の特質を、国内外に情報発信することは重要ですが、戦前の南極捕鯨のあり方については出来れば歴史から抹消し、隠蔽してしていきたいものです。
反捕鯨NGOは、日本の捕鯨と鯨食は、戦後の学校給食から始まったと主張をしていますが、戦前、降って沸いたように発生した大量の鯨肉の供給は到底正常な経済の下では消化できず、戦後の飢餓状態の下でのみ広範な国民の消費が実現したことを考えると、正当な主張と言えましょう。
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とまあ、こんな風になってしまうのですが・・・・・
これも歴史的変遷なんですが、どうしてこんな反対な結論になってしまうのでしょうか? それは原文が事実を歪曲し、謂わば嘘を書いているからです。
貴方の事実を求めるひたむきな態度には何時も敬服しています。
持ち帰り鯨肉のデータを示されたのも貴方でした。 その少なさには誰もがショックを受けたのですが。
それならば私の改善版が正しいことは理解されると思います。
これは メッセージ 13991 (crawlingchaos_g さん)への返信です.
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