NHK教育テレビ「視点・論点」
投稿者: crawlingchaos_g 投稿日時: 2006/07/23 12:30 投稿番号: [13365 / 62227]
6月27日放送分を見逃していたのですが、水産経済新聞の7月18日版に小松氏の番組内容に沿った投稿がありましたので、貼っておきます。
http://www.suikei.co.jp/newsfile/NFindex.htm
<捕鯨の歴史と未来/小松正之(水産総合研究センター)理事>
日本は捕鯨の将来像示せ/捕鯨情報の透明性を確保する
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
6月20日、第58回国際捕鯨委員会(IWC)の総会が、その正常化を促す決議を33対32の1票差で可決し、終了しました。この宣言は、カリブ海の開催国にちなみ、「セントクリストファー・ネービス宣言」と呼ばれます。15年前には捕鯨推進国と反捕鯨国の数がおおむね6対20であったことを鑑みれば、まことに感慨深いものがあります。また、13年にわたり捕鯨の再開に全力投入してきた者として、心から喜ばしく思います。本決議には何ら拘束力はなく、T圭WCでは捕鯨の再開には4分の3の多数の支持が必要です。今後は欧米諸国を中心とする世界各国の理解と支持を得ることが必要であり、この決議の採択を契機に、わが国の捕鯨の歴史、文化についての認識、日本の当面する課題、そして将来の捕鯨のあり方について私の考えを述べたいと思います。
◎9000年前から鯨とかかわり
第一に、日本人と鯨類のかかわりは、約9000年前の縄文時代に遡(さかのぼ)ります。石川県真脇遺跡などから、小型のクジラであるイルカの骨が大量に発掘されています。室町時代には織田信長が朝廷にクジラを献上しています。専業の職業集団、鯨組が、捕鯨を職業(なりわい)としたのが1606年であり、今年は日本の捕鯨が開始されて400年です。イワシ網漁からヒントを得て開発されたとみられる網取式の捕鯨が導入され、飛躍的に捕獲頭数が伸び、文化・文政時代(1802〜1830年)には、西日本だけでなく、江戸にも豊かな鯨食文化が花開きます。イノシシを山クジラと称したほど、クジラは庶民の食べ物になりました。1人当たり、現在の20倍の鯨肉を食べていたと考えられます。
クジラ全体を余すところなく68か所についての調理法を記した長崎生月島に根拠を置く、鯨組の益富組による「鯨肉調味方」が1833年に編纂(さん)されました。2007年に生誕100年を迎える民俗学者宮本常一は、農村、漁村を16万キロにわたって歩きました。彼は、瀬戸内海の田島、倉橋島、周防大島、牛島などの技術者や漁業者集団が江戸時代に最も捕鯨が盛んだった長崎・五島列島の有川、宇久島、生月島、佐賀の呼子、小川島、山口の長門などの鯨組の網大工、船大工、そして水夫(かこ)としてその活動を支えたことを掘り起こしました。
明治時代にノルウェーから導入された捕鯨砲の技術と資本が結び付いて、沿岸捕鯨の近代化が図られ、最終的に昭和9年に南氷洋へ進出する母船式捕鯨業となりました。それは、クジラの体を余すところなく利用する江戸時代の捕鯨の特質を受け継いだものであり、脂皮(クジラノカワ)から鯨油だけを取り、残り80%に及ぶ鯨体を海洋に投棄した英国、ノルウェーや米国の捕鯨と全く異なります。このようなわが国の捕鯨と食文化の特質を、国内外に情報発信することが重要です。
反捕鯨NGOは、日本の捕鯨と鯨食は、戦後の学校給食から始まったと誤った主張をしています。
http://www.suikei.co.jp/newsfile/NFindex.htm
<捕鯨の歴史と未来/小松正之(水産総合研究センター)理事>
日本は捕鯨の将来像示せ/捕鯨情報の透明性を確保する
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
6月20日、第58回国際捕鯨委員会(IWC)の総会が、その正常化を促す決議を33対32の1票差で可決し、終了しました。この宣言は、カリブ海の開催国にちなみ、「セントクリストファー・ネービス宣言」と呼ばれます。15年前には捕鯨推進国と反捕鯨国の数がおおむね6対20であったことを鑑みれば、まことに感慨深いものがあります。また、13年にわたり捕鯨の再開に全力投入してきた者として、心から喜ばしく思います。本決議には何ら拘束力はなく、T圭WCでは捕鯨の再開には4分の3の多数の支持が必要です。今後は欧米諸国を中心とする世界各国の理解と支持を得ることが必要であり、この決議の採択を契機に、わが国の捕鯨の歴史、文化についての認識、日本の当面する課題、そして将来の捕鯨のあり方について私の考えを述べたいと思います。
◎9000年前から鯨とかかわり
第一に、日本人と鯨類のかかわりは、約9000年前の縄文時代に遡(さかのぼ)ります。石川県真脇遺跡などから、小型のクジラであるイルカの骨が大量に発掘されています。室町時代には織田信長が朝廷にクジラを献上しています。専業の職業集団、鯨組が、捕鯨を職業(なりわい)としたのが1606年であり、今年は日本の捕鯨が開始されて400年です。イワシ網漁からヒントを得て開発されたとみられる網取式の捕鯨が導入され、飛躍的に捕獲頭数が伸び、文化・文政時代(1802〜1830年)には、西日本だけでなく、江戸にも豊かな鯨食文化が花開きます。イノシシを山クジラと称したほど、クジラは庶民の食べ物になりました。1人当たり、現在の20倍の鯨肉を食べていたと考えられます。
クジラ全体を余すところなく68か所についての調理法を記した長崎生月島に根拠を置く、鯨組の益富組による「鯨肉調味方」が1833年に編纂(さん)されました。2007年に生誕100年を迎える民俗学者宮本常一は、農村、漁村を16万キロにわたって歩きました。彼は、瀬戸内海の田島、倉橋島、周防大島、牛島などの技術者や漁業者集団が江戸時代に最も捕鯨が盛んだった長崎・五島列島の有川、宇久島、生月島、佐賀の呼子、小川島、山口の長門などの鯨組の網大工、船大工、そして水夫(かこ)としてその活動を支えたことを掘り起こしました。
明治時代にノルウェーから導入された捕鯨砲の技術と資本が結び付いて、沿岸捕鯨の近代化が図られ、最終的に昭和9年に南氷洋へ進出する母船式捕鯨業となりました。それは、クジラの体を余すところなく利用する江戸時代の捕鯨の特質を受け継いだものであり、脂皮(クジラノカワ)から鯨油だけを取り、残り80%に及ぶ鯨体を海洋に投棄した英国、ノルウェーや米国の捕鯨と全く異なります。このようなわが国の捕鯨と食文化の特質を、国内外に情報発信することが重要です。
反捕鯨NGOは、日本の捕鯨と鯨食は、戦後の学校給食から始まったと誤った主張をしています。
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1834578/a45a4a2a1aabdt7afa1aaja7dfldbja4c0a1aa_1/13365.html