小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

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強制連行の嘘3

投稿者: ahoahoahochan4 投稿日時: 2003/02/02 22:03 投稿番号: [47014 / 232612]
第二次大戦末期に、台湾からも多くの少年工が来日している。しかし、彼らは「強制連行」ではなく、厳しい選考をへて、来日が許可されたのだった。
「強制連行」については、台湾人の子供まで連行され、海軍飛行場の建設工場で、酷使され、息を引き取ったと韓国有力紙に報道されたこともある。

この「子供強制徴用の実態」に関して、あたかも「歴史発掘」のように、韓国では一時、歴史捏造に狂奔した。

「東亜日報」(91年10月23日付)は、「神奈川県で12から18歳の台湾少年工8000名が、軍需工場で強制労働させられていたことが明らかになった。しかし、8歳の少年強制労働と火葬というのは、ひょっとすると日本全国で初めて確認されたことではないだろうか」と日本の大学教授の発言を引用して報道している。

日本の反日大学教授も不勉強であるが、韓国のマスコミも「反日」の話題でさえあれば、なんでもかんでも派手に報道するという姿勢は問題であろう。

じつは、台湾少年工についての歴史捏造と歪曲ほどひどいものはない。

戦争末期、台湾から日本に来た8000名の台湾少年工は、主に名古屋、大和市、群馬県の戦闘機工場で働いた。彼らは「強制連行」ではなく、厳しい筆記試験に合格、さらに身体検査にも合格、校長と両親の許可を得て来日したものであった。「強制連行」どころか、現在でいえば「東大入試」の狭き門をパスした誇りある少年たちである。私が直接彼らから聞いたところでは、「隼」以外に「ゼロ戦」をつくったという人もいた。

彼らは現在「高座会」をつくり、生存者は70歳前後になっているものの、なおも5000人以上の会員を有している。会誌も発行されている。十数歳の台湾少年工の作詞、作曲した会歌は、日本の寮歌に似ていて、合唱するとじつに感動的である。

彼らは日本人の友人との絆が強く、94年の大和市の大会では、2000人以上の会員が台湾から来日し、大和市は、交通大渋滞となるほどであった。当時、日本のマスコミは、彼らを「強制連行」と報道したため、自尊心を傷つけられ、会長が会員全員を引き連れ、新聞社へ抗議に行くという話もあったほどだ。

戦争末期の米軍空襲下でともに働いてきた台湾人と日本人は、上官と部下の関係のみでなく、その絆もなかなかに強い。私は台湾から来た昔の少年兵を連れ、かつての日本人仲間の病気見舞いや、老後の不遇者の生活の面倒に奔走する戦友を案内したこともあった。日帝の「暴挙」ばかりを追及してきた韓国人には、日本国民として育てられ、ともに国家の存亡をかけた情熱と戦友としての絆は理解できないだろう。この5000人以上の証人について、日本人ももっと「歴史」を勉強する必要があるのではないだろうか。

彼ら韓国人が、いかに「強制連行」「虐殺」「追害」だけを喚(わめ)いているかを示唆するような話ではないだろうか。


徴用を強制連行と呼ばせるのは悪質な反日プロパガンダ

韓国人が強制連行を問題とするなら、なぜこれが取り上げられないのか?

これからの米中関係上いる人だ。

投稿者: japan_koumei 投稿日時: 2003/02/02 22:02 投稿番号: [47013 / 232612]
中国を勝手に悪くいうとんでもない奴だ。これからの市場は中国が一番頼もしくなるのだ。

チャイナスクールのトップが中国大使

投稿者: remember140917 投稿日時: 2003/02/02 22:00 投稿番号: [47012 / 232612]
  害務省内のチャイナスクールの代表が中国大使になるのだが、中国の言うことを何でも聞いてしまおうとするのは、この特性によるものである。

  過去の中国大使の中には、媚中派とまで呼ばれた奴まで居たようだ。
  「大使とは喧嘩をしに行くのではない。仲良くするために行くのである。」これがそいつの言葉だ。

  外交の本質も理解しない者が大使になるとは、税金の無駄使い以外の何物でもないな。

どっちが先よ。ちゃんとしなよ。

投稿者: japan_koumei 投稿日時: 2003/02/02 21:59 投稿番号: [47011 / 232612]
ほんとう優柔不断な日本人の特質だね。イエス、ノーくらいはっきりしなきゃ。
アメリカがいつまでもわれらのために戦うわけないだろうが甘ったれるな!
ちゃんと自国で防衛できる方法を考えるべきだ。なんのための有事法案なんだ!
核弾頭はなくても核になる物質はあるんだよ、だからみんな騒いでいるんだろうがわからんかな(笑)

強制連行の嘘2

投稿者: ahoahoahochan4 投稿日時: 2003/02/02 21:57 投稿番号: [47010 / 232612]
台湾人の"強制連行"が教科書に書かれることはない。事実を書くと反日教科書の編集方針と合わなくなるからか?(笑)
韓国人の「反日」   台湾人の『親日」   黄文雄   1999   光文社
「朝鮮人の強制連行」問題の著作物は、地方の公立図書館へ行くと、意外なほど多い。戦前の日本国内では、朝鮮人の犯罪者が多かったので、いかにして朝鮮半島からの人の流入を釜山港で阻止するかに悩み、たびたび朝鮮総督府に有効な対策を求めていた。だが、「朝鮮人の強制連行」問題の著書があれほど多くても、「犯罪」「入国阻止」関連研究書は、大学図書館でさえほとんど見いだすことが困難だ。
(中略)
韓国人の著述には、「日帝36年」について「強制連行」「強制労働」「強制徴集・徴用」と表現することが多いが、その「強制連行」とは、じつは大陸文化そのもので、戦争や動乱があるたびに、住民が「強制連行」されたことは、中国史にも、朝鮮史にも繰り返し書かれている。しかし、日本文化は、中国社会や朝鮮社会とはかなり異なる。近代になって、台湾に対しても、朝鮮半島に対しても、いかなる公的な義務労働であろうとも、多かれ少なかれ、工賃を払うのが日本的なやり方であった。このことからも、日本文化は、中国や韓国の社会文化とはまったく違うことが判明する。

台湾領有初期の日本軍の征伐戦争・戦記、日記を見ると、住民を略奪しながら敗退、逃亡した清国兵士に対してさえも、米と銭を与え、船で港から大陸へ送還した。地方の村長、長老を集めて訓示した後でも銭を与え、細かい気配りをしていた。そのような日本的気配りは、中国や朝鮮半島では、絶対に見られないことだ。

韓国人の「日帝」糾弾のバターンは、たいてい決まっている。それはあたかも日帝のすべての悪事悪行が隠蔽されてきたが、それが次から次へと考古学や犯罪事件摘発のように発掘されていくという図式である。

第二次大戦末期に、台湾からも多くの少年工が来日している。しかし、彼らは「強制連行」ではなく、厳しい選考をへて、来日が許可されたのだった。
「強制連行」については、台湾人の子供まで連行され、海軍飛行場の建設工場で、酷使され、息を引き取ったと韓国有力紙に報道されたこともある。

この「子供強制徴用の実態」に関して、あたかも「歴史発掘」のように、韓国では一時、歴史捏造に狂奔した。

「東亜日報」(91年10月23日付)は、「神奈川県で12から18歳の台湾少年工8000名が、軍需工場で強制労働させられていたことが明らかになった。しかし、8歳の少年強制労働と火葬というのは、ひょっとすると日本全国で初めて確認されたことではないだろうか」と日本の大学教授の発言を引用して報道している。

日本の反日大学教授も不勉強であるが、韓国のマスコミも「反日」の話題でさえあれば、なんでもかんでも派手に報道するという姿勢は問題であろう。

  嘘つきが多いし、自分が中心でないとすまない連中も多いね。困ったもんだ。。

そりゃアメリカの後ろ盾があったから。

投稿者: japan_koumei 投稿日時: 2003/02/02 21:54 投稿番号: [47009 / 232612]
今はちょっと違うのは当然だろうね。
チャイナスクールは昔と関係はもうここ何年と変わってない。
そりゃ米中関係が1980年代くらいから固定されているからだろうね。

強制連行の嘘

投稿者: ahoahoahochan4 投稿日時: 2003/02/02 21:50 投稿番号: [47008 / 232612]
朝鮮人の強制連行(徴用)について中学校教科書に書かれたものです。
「国民の油断」   西尾幹二・藤岡信勝   1996年   PHP研究所
次の教科書の記述を見てほしいのです。

[強制連行のようす]
町を歩いている者や、田んぼで仕事をしている者など手あたりしだい、役にたちそうな人はかたっぱしから、そのままトラックに乗せて船まで送り、日本に連れてきた。徴用というが、人さらいですよ。(大阪書籍、260ぺ−ジ)

[朝鮮人強制連行]
警察官や役人が土足で家に上がり、寝ている男を家から連れ出すこともありました。抵抗する者は木刀でなぐりつけ、泣きさけびながらトラックに追いすがる妻子を上からけりつけたともいわれます。(東京書籍、264ぺージ)

[朝鮮・中国から強制連行された人々]
金大植さんは、1943年2月、家で寝ているところを警察官と役場の職員に徴用令状をつきつけられ、集結地まで手錠をかけられたまま、125名の朝鮮人同胞とともに日本に連行されてきた。(教育出版、262ぺ−ジ)

すべてこういう調子です。



戦争末期に深刻化してきた内地の労働者不足を補うための朝鮮人労働者内地移入では一部に行過ぎがあったようで、強制連行を主張する韓国人の証言を読んでいると、農作業中などに無理矢理トラックに乗せられて日本内地へ送り出された、というのがあるが、それらを実行したのは内地人ではなく朝鮮人なのである。
「朝鮮新話」   鎌田沢一郎   昭和25年   創元社
(灰色文字は管理人注)
(著者の鎌田澤(沢)一郎は、戦前の朝鮮に16年間滞在し、京城郊外に民族経済文化研究所を設立した朝鮮研究家で、6ヶ年にわたる宇垣総督の政策顧問を勤めて、農村振興運動の推進に大いに貢献し、朝鮮の民生向上に大きく貢献した人物で、戦後その経験を買われて、セマウル運動(新しい村運動、実質的には宇垣政策を発展させたもの)の指導のために何度も韓国に招かれている。)

もつともひどいのは労務の徴用である。戦争が次第に苛烈になるにしたがつて、朝鮮にも志願兵制度しかれる一方、労務徴用者の割り当てが相当厳しくなつて来た。納得の上で応募させてゐたのでは、その予定数に仲々達しない。そこで郡とか面(村)とかの労務係が深夜や早暁、突如男手のある家の寝込みを襲ひ、或ひは田畑で働いてゐる最中に、トラックを廻して何げなくそれに乗せ、かくてそれらで集団を編成して、北海道や九州の炭鉱へ送り込み、その責を果たすといふ乱暴なことをした。但(ただし)総督がそれまで強行せよと命じたわけではないが、上司の鼻息を窺ふ朝鮮出身の末端の官吏や公吏がやつてのけたのである。



歴史教科書の一部には強制連行の実態として『田畑で働いていた朝鮮人を有無を言わせずトラックに乗せ日本内地の炭鉱などに送り込んだ』等と書いているが、総督府の方針を曲解暴走して人さらい同然の行動を起こしたのは朝鮮人自身であったことを明記すべきだ。

このような非道な行動を起こす朝鮮人の性格を警告している文章があるので紹介しよう。
李朝末期の朝鮮に滞在したアメリカのメソディスト派宣教師で、ジャーナリストでもあり歴史学者でもあったホーマー・ハルバートは著書「朝鮮亡滅」(「醜い韓国人」朴泰赫   1993年   光文社より)の中で、『朝鮮人は、自分の知的水準を引き上げ、精神世界を拡大しようとするいう努力があわれにもないのに、社会的地位を高めようという激しい欲望だけはある。   自分のものでなくとも少しばかりの金を自由に動かすことができるとか、何人か働くのを監督するとか、ともかく物の面、金の面で人間を支配できるようになると、おしなべて有頂天になる。朝鮮人は、有力者になる、あるいは名声を博すということだけで、まるで逆上してしまい、ますます尊大な態度をとるようになる。朝鮮人特有のこの感心できない性向が、じつは企業、あるいは教育、宗教の分野で、朝鮮人を登用する際に起こる、ごたごたの原因の一つなのである』と述べている。

おいおいその先を考えろ。

投稿者: japan_koumei 投稿日時: 2003/02/02 21:49 投稿番号: [47007 / 232612]
昔、日成が軍隊がいつも勝つとは限らんと正成に言ったときに
あの馬鹿正成は世界を滅ぼすと嘯いた馬鹿だぞ。

そんなことしたら狙いはどこかわかっとるだろう。日本だって。
ちょっとは考えて戦略を練れ。煽てて内部崩壊を待った方が正解だぞ。

神は米国より強かった

投稿者: abba_sound_abba 投稿日時: 2003/02/02 21:49 投稿番号: [47006 / 232612]
「天罰」「かわいそう」…   シャトル事故でイラク市民


  米スペースシャトルの事故に対し、バグダッドの街角では2日、「天罰が下った」などと米国への敵意を示す人がいる一方、「かわいそう」などと語る人もいた。もっとも多くの市民は事故が起きたことさえ知らず、イラクの大量破壊兵器開発疑惑を調べる国連査察団の活動ほどには関心を持たれていないようだ。

  バグダッドではこの日朝、国会議員らが反米、フセイン政権支持の演説集会を開いた。参加していた市内のモスク指導者でイスラム大学教授も兼ねるフセイン・アルシェブリ議員(45)は「これは神の意思だ。すべてを支配する神の前では、米国も小さな存在に過ぎないことを示した」と語った。ニュースを聞いた時には心が晴れた気分になったが、それは米国の政策に対して罰が下ったと思ったからという。「米国の宇宙飛行士だって一人の市民。罰せられたらいいのはブッシュ(大統領)だ」。バース党所属のヒシャム・サミール議員(48)も「かわいそうだね。ブッシュ政権は最悪だが、宇宙飛行士に罪はないよ」と話した。

  市内中心部のアルサドゥーン街で、フリーターのマフムド・ジバールさん(37)は「米国は大金をはたいて神を超えようとした。だけど結局、神は米国より強かった」と話していた。

  地元有力紙の中では、バース党機関紙1紙のみが通信社電で事実を伝え、論評は避けた。

イラクには6隻目が内定しています。

投稿者: japan_koumei 投稿日時: 2003/02/02 21:47 投稿番号: [47005 / 232612]
もはやあちらにかかりきりですからね。
しかし、北には未だ平和的解決がブッシュの政権内の雰囲気だから派遣は尚早でしょうね。

moriya99さんへ

投稿者: japan_koumei 投稿日時: 2003/02/02 21:47 投稿番号: [47004 / 232612]
うんうん。読むのは問題ないです。
ただもりやさんのように知識がある人ならその違いとかニュアンスが取れると思います。
しかし、なんも知らない坊主が読むにはどうかと思う本ですからね。
もちろんそれを噛み砕けるもりやさんなら大丈夫だと信じています。

もちろん言論には寛容が入りますし、許容範囲は広い方がいい。
昔の言論統制(戦中)、や焚書坑儒のような類は最悪のことですからね。
そういう意味で独裁国家の言論はむちゃくちゃだと思っています。
そうだからこそ、開国していろいろな情報が入るようにする必要があるのです。
今回、彼女たちというかホッケーの選手なんかが身でどう感じて帰ったか気になります。
その見た感じを素直に心に思っていて貰いたいですね。それが内部改革のエネルギーになります。

そんなに、米が欲しいか?

投稿者: kitachousendeikirai 投稿日時: 2003/02/02 21:46 投稿番号: [47003 / 232612]
お前の仲間のために、そんなに、米が欲しいか?
だめだ。米一粒もやらない。

金正日は、自国民300万人を餓死に追い込んで、軍事力を増強した悪魔だ。
恨むなら奴を恨め。

これからは、ピョンヤンに住む人間にも飢えるようになる。

木の皮や蛇やネズミを食って、将軍様マンセイと叫んでいればいいんだよ。

日本には、野良猫やカラスにやる残飯はあっても、乞食国家にやるものはない。

飢えは、ピョンヤンにもひろがる。軍人も食えない。
やがて、秘密警察にも食料がなくなる。

密告・監視制度が崩れた時が、地獄の国家が崩壊する時だ。
無実の政治犯が解放され、喜びの声がかの国で満ち溢れる。

日本は、そのとき食料支援を行い、隣人としての友情を示すだろう。

チャイナスクールの特性

投稿者: remember140917 投稿日時: 2003/02/02 21:41 投稿番号: [47002 / 232612]
  売国代議士鈴木宗男に牛耳られる前のロシアンスクールは、冷戦時代に旧ソ連の外交官と侃々諤々の議論をし、対等に渡り合っていたらしい。

  しかし、チャイナスクールは中国との関係を密接にすることだけに専念していたという。
  北朝鮮の言うことを何でも聞いてしまおうとするのは、こいつらの習性なのだろう。

金正日がやってるのです

投稿者: ahoahoahochan4 投稿日時: 2003/02/02 21:40 投稿番号: [47001 / 232612]
現実を見よう。

強制連行は北朝鮮で行われて

投稿者: ahoahoahochan4 投稿日時: 2003/02/02 21:39 投稿番号: [47000 / 232612]
300万人以上が死んだ。。。

強制連行の実態(6)

投稿者: ahoahoahochan4 投稿日時: 2003/02/02 21:38 投稿番号: [46999 / 232612]
まずは典型的な反日コリアンの"お説教"から
「朝日ジャーナル」1988年2月26日号   (在日韓国・朝鮮人に問う   佐藤勝己   1991   亜紀書房より)
1988年2月26日付「朝日ジャーナル」誌上で辛淑玉さんは
「仮に北が日本人を拉致したとしても日本人は批判できるだろうか。戦争中、膨大な数の朝鮮人を国家の名の下に拉致した歴史的な事実がある。いまなぜ日本に多くの朝鮮人がいるか考えてみてほしい。自国の歴史を忘れた発言が多すぎる」
と言っている。



反日コリアンが日本人を黙らせる「決めゼリフ」 で「われわれは日本政府によって強制連行されてきた」というのがあります。

反日マスコミや左翼教師に洗脳された人たちがこの言葉を聞くと、『銃剣で脅されてトラックに無理矢理乗せられた善良な朝鮮人達が、日本に送り込まれて炭坑で重労働させられる』   という酷い場面等を想像して思考停止に陥り、相手に反論できず言い分を聞いてしまうということが多いようです。
まるで水戸黄門の印籠を見せられた小役人のようです。   (笑)  

しかし資料を見ると実は強制連行でそのまま住みついたという人々はごく少数であることが分かります。反日マスコミや反日コリアンはこの事実を知ったうえでの報道・発言でしょうか?

在日コリアン1世のほとんどが強制連行(徴用)と関係ないことは彼ら自身の調査で明らかです。
「アボジ聞かせて   あの日のことを   -我々の歴史を取り戻す運動報告書-」   1988   在日本大韓民国青年会中央本部刊
アンケート調査実施の概要

1.調査の対象   在日韓国人で1910年〜45年の間に日本に渡航してきた者(ただし、渡航時に満12歳未満の者は除く)
2.調査の時期   1982年10月25日〜1983年1月15日
3.調査の方法   国民登録台帳をもとに各地方に居住する在日朝鮮人の人数にほぼ比例するように調査票を割り当て、訪問面接による聴取を行なった。
  アンケート回収数   1106名


これによると、大部分は本人の自発的な意思で渡日したもので、いわゆる"強制連行"が原因で日本に住みついた人は全体の13.3%しかいないことが分かります。しかし早い時期に渡日した人はすでに亡くなっていること、また家族の一員として渡って来た12歳未満の子供は含まれていないので割合はこれより下がります。さらに戦後渡ってきた者(密航?)を含めるとさらに低下します。

上記資料の分析で徴用(強制連行)数に疑問を呈しています。どうやら本当の強制連行者はさらに少なくなるようだ。

モリヤさん

投稿者: nishibox 投稿日時: 2003/02/02 21:36 投稿番号: [46998 / 232612]
ハゲ同です!

>原子力空母1隻

投稿者: nishibox 投稿日時: 2003/02/02 21:33 投稿番号: [46997 / 232612]
ほうほう・・・
でも原子力なら日本には派遣しませんよね。
でもそんな余裕があるかな?
イラクには5〜6隻必要だと思うけど

強制連行の実態(5)

投稿者: ahoahoahochan4 投稿日時: 2003/02/02 21:30 投稿番号: [46996 / 232612]
産経新聞   平成12年9月26日   西岡力氏の寄稿
自民党の野中広務幹事長の「かつてわが国が36年間植民地支配をした時代に、朝鮮半島から(強制)連行してきた人たちが、今70万人といわれる在日を構成している」という発言を本紙で読み、事実に対するここまでの無知はないと驚きを超えて怒りすら覚えた。明確な事実誤認が三つある。

第一は、昭和14年から開始された朝鮮人内地移送計画により渡日した者とその子孫は現在の在日の中にほとんどいないという点だ。終戦時の在日人口は約200万人であり、そのうち移送計画による労働者は32万人に過ぎない。占領軍の命令によって日本政府は引き揚げ船を準備し、運賃無料、持ち帰り荷物制限230キロまでという条件で帰国させた。昭和21年末までに約140万人が朝鮮に帰っていき、自分の意志で残留を希望した約60万人が日本にとどまった。引き揚げにあたっては移送計画により渡日した労働者が優先とされている。結果として、32万人の「連行者」はほとんどこのとき帰国している。このことは在日一世の渡日時期調査によっても裏付けられている。

第二は、そもそも上記の朝鮮人内地移送計画の実態が「強制連行」などというものではなかったという点だ。計画期間中、在日人口は120万人増加する。各種統計を総合すると、このうち出稼ぎ渡航者とその家族が63万人で過半数となる。戦時中、労働者不足が激しかった内地に向かい朝鮮人は自分の意志で大量に渡航していたのだ。前記の32万人が終戦時における戦時動員労働者である。残り25万人は「官斡旋(あっせん)」「徴用」で渡日した後、現場を逃走し条件のよい飯場などで働く「自由労働者」(当時の用語)となった者である。昭和20年内地における朝鮮人土建労働者を見ると、計画による動員労働者一に対して自由労働者七の割合であった。日本政府は移送計画実施期間中も内地に密航した朝鮮人を取り締まり朝鮮に送り返していた。こちらこそが本当の強制連行だ。「官斡旋」「徴用」は出稼ぎで建設現場などで働こうとしていた朝鮮人労働者の働き先を炭鉱、金属鉱山など軍事産業に転換させるというものであり、それは全渡日者のうち四分の一だけしか対象にできず、ほぼ失敗した政策だったのだ。

第三は、戦前から継続して日本に在留しつづけている在日韓国・朝鮮人(子孫含む)でいまだに外国籍を維持したままの者は70万人ではなく約52万である。日本政府は彼らに「特別永住」という他の外国人にはない特別に優遇した法的地位を与えている。社会保障制度も日本人と同じ扱いがされ、その地位は子孫代々まで保障されている。この52万人以外の在日韓国・朝鮮人はいわゆる戦後入国者だ。

外国人地方参政権付与は基本的事実関係すら知らない与党幹部によって推進されている。事実に基づかない安易な贖(しょく)罪意識は百害あって一利なしだ。参政権が欲しければ帰化手続きにより日本国籍をとればよい。すでに23万人以上の韓国・朝鮮人がそれを選択している

北朝鮮、韓国の相手をするのは

投稿者: remember140917_2 投稿日時: 2003/02/02 21:25 投稿番号: [46995 / 232612]
  害務省の中には、チャイナスクール、ロシアンスクールなど派閥があるが、韓国スクール、北朝鮮スクールなどというものはない。
  チャイナスクールがまとめて面倒を見ているらしい。

  まあ、この程度の国家にはその程度で十分だろう。

>おいおい扶桑社のこと誰が信じる

投稿者: moriya99 投稿日時: 2003/02/02 21:23 投稿番号: [46994 / 232612]
私は読みたいですね。

買って読むのは、なかなかできませんから。

読んだ後、それを鵜呑みにするか、しないかは私の問題ですから、人から読めとも読むなとも言われたくないですわ。

教科書でも、朝鮮問題ならトピづれでも、ないと思う。

言論には、寛容が必要だと思うけどな。罵倒じゃないですから。それに反対情報を読む機会も日本にはありますから、両方を読んで置きたいですけど…。

原子力空母1隻

投稿者: t2daisuki47 投稿日時: 2003/02/02 21:22 投稿番号: [46993 / 232612]
追加らしいですよ。

拉致問題と大量破壊兵器の解決が先

投稿者: kitachousendeikirai 投稿日時: 2003/02/02 21:22 投稿番号: [46992 / 232612]
それまでは、米一粒もやらず、かわりに朝鮮総連を締め上げ送金を止める、スパイどもを捕まえる。

やがて、アメリカの空母がやってくる。

乞食の軍隊は、経済制裁を宣戦布告ととらざるをえない。

飛んで火にいる夏の虫かな。
おい、北朝鮮には、核弾頭がないのを忘れてないかね?

強制連行の実態(4)

投稿者: ahoahoahocha4 投稿日時: 2003/02/02 21:17 投稿番号: [46991 / 232612]
昭和14年から開始された朝鮮人内地移送計画の実態
「日韓2000年の真実」   名越二荒之助   平成9年   国際企画
◇その多くは自発的に来日

誤解の第一は、終戦時約200万人を数えた朝鮮人労働者の大部分は本人の自発的な意志によって渡航して来たもので、『強制的』に『連行』されたものではない、ということである。いわゆる『強制連行』は、大東亜戦争勃発に伴う労働力不足を補完するため、戦争中の昭和17年(1942)に、それまで自由募集であった朝鮮人労働者を『官斡旋』、すなわち朝鮮総督府が募集することにし、間に立った朝鮮人ブローカーが強引な徴用を行ったことを指して言う場合多いようだが、その実態ははなはだ不明瞭である。

そもそも日韓併合以降、貧しい韓国から豊かな日本へ移住しようとする朝鮮人は引きも切らぬ有り様だったのであり、朝鮮総督府や日本政府は法律の網の目をくぐってでも日本で働こうとする朝鮮人の密航者には、終始頭を痛めていた。法律を犯してでも日本に入国しようとする朝鮮人が一杯いたというのに、何で『強制連行』の必要があるのだろうか。その必要はなかったし、むしろ日本側は迷惑していた。昭和4年(1929)の『瀬戸方面に於ける朝鮮労働者事情』(名古屋地方職業紹介所)によれば、朝鮮と日本内地の賃金格差は二倍もあり、これに加えて毎年30万人に及ぶ朝鮮人の人口増加により、内地のみならず満州やシベリアへも多数の朝鮮人が移住しつつあった。日本内地への渡航希望者は度重なる日本側の規制にも拘わらず増加の一途をたどったのである。

昭和14年(1939)、内務省次官通牒『朝鮮人労務者内地移住に関する件』で、8万5000人の朝鮮人労働者の移住が認められると、炭坑の募集係のところには朝鮮人農民がどっと押し寄せ、夜中から列をなして待っていた有り様であったという。

また、同年の国民徴用令の公布をもって朝鮮人『強制連行』の起源と誤解している著作が多数見受けられるが(朝鮮人強制連行真相調査団「強制連行、強制労働の記録」、朴在一「在日朝鮮人に関する総合調査研究」等)、国民徴用令が朝鮮人にも適用されたのは昭和19年9月のことであり、厳密に言えば朝鮮人の徴用が行なわれた期間は昭和19年9月から関釜連絡船の閉鎖された昭和20年3月までの6ヶ月間に過ぎない。

◇徴用は強制連行ではない

誤解の第二は、『徴用』は『強制連行』ではないということだ。当時、内地でも日本人は戦時『徴用』されていた。併合の結果として日本に編入された以上(植民地ではない)、日本人たる朝鮮人を戦時『徴用』しても、『強制連行』の概念には当らない。今日の価値観を、体制の異なる戦時中にそのまま適用するのは歴史解釈として間違っている。

現状認識の無い日本人あり!!!

投稿者: japan_koumei 投稿日時: 2003/02/02 21:16 投稿番号: [46990 / 232612]
過去の清算もできないとんでもない野郎だ。ちゃんと反省しろよな。

売国官僚槇田邦彦の認識

投稿者: remember140917_2 投稿日時: 2003/02/02 21:15 投稿番号: [46989 / 232612]
  売国官僚槇田邦彦は、あるインタビューでこんなことを言ったらしい。

  「日本は中国に対していろんなことをしてきたが、それが過去の歴史の扉の中に納められるには100年ぐらいの時間が必要ではないかと思う。」

  チャイナスクールの連中は、あと何年中国に謝罪外交を続け、ODAを垂れ流すつもりなのか、実に明快に説明してくれている。

強制連行の実態(3)

投稿者: ahoahoahocha4 投稿日時: 2003/02/02 21:11 投稿番号: [46988 / 232612]
戦前の新聞記事見出しより
『四百廿余名の密航鮮人/内地へ続々と侵入』 福岡日日 1938/1/30
『福岡沿岸に密航鮮人頻々/ブローカーと連絡/本年に入つて五百名』 福岡日日 1938/3/3
『また密航鮮人/西戸崎で六十五名逮捕』 福岡日日 1938/3/3
『密航鮮人四十名西戸崎に上陸(粕屋郡志賀島村)』 福岡日日 1938/3/29
『密航鮮人団上陸/トラック運転手の気転で大半は逮捕される(遠賀郡水巻村)』 福岡日日 1938/5/2
『鮮人の内地密航あの手この手/驚くべき大胆な玄海突破や九ヶ月苦心の方法』 神戸新聞 1938/5/21
『鮮人十五名が小倉へ密航(小倉市)』 福岡日日 1938/7/24
『密航鮮人団四十二名 悉く逮捕さる(宗像郡津屋崎町)』 福岡日日 1938/8/26
『・こ奴怪しい・六感的中/果して密航半島人!/海田市署の槍玉へ』 中国 1938/9/1
『密航鮮人丗一名一網打尽に(宗像郡神湊町)』 福岡日日 1938/12/17
『津屋崎沖に不敵な密航船/鮮人十八名を逮捕す(宗像郡津屋崎町)』 福岡日日 1938/12/20
『又も密航鮮人/怪船行方を晦ます』 福岡日日 1938/12/21
『九十余名の鮮人が密航/五十余名を検挙す(宗像郡岬村)』 福岡日日 1939/2/3
『密航半島人二名/倉橋島村で検挙す/発動機船で二十五名潜入/一味検挙に着手』 呉日日 1939/2/12
『半島人密航団か/怪機船倉橋島に出没/呉、江田島署が厳重捜査中』 中国日報 1939/2/13
『密航者丗八名八幡で捕はる(八幡市)』 福岡日日 1939/5/18
『密航半島人遠賀へ十九名(遠賀郡岡垣村)』 福岡日日 1939/6/5
『密航はしたけれど/途方に暮れる気の毒な鮮人/今度は逆戻り失敗(兵庫)』 神戸又新日報 1939/6/20 夕
『密航青年を半島へ送還(兵庫協和会)』 大阪毎日 1939/6/20 神版
『全面的検挙は困難/県の密航鮮人狩り/今後は取締りを厳重に』 中国 1939/11/30
『手荷物の箱詰め人間/密航?の半島人、小倉で発見さる』 大阪毎日 1940/1/14 夕



在日朝鮮人人口の推移
在日朝鮮人人口動態   内務省警保局統計   他
年度 在日朝鮮人数 増加人口数(前年比) 特記
1910 . . 韓国併合・朝鮮で「土地調査事業」〜1918
1915 3989
1916 5638 1649
1917 1万4501 8863
1918 2万2262 7761 第一次世界大戦終了・日本で米騒動
1919 2万8272 6010 朝鮮で3.1独立運動起こる・朝鮮人の渡日制限〜1922
1920 3万0175 1903 朝鮮で「産米増殖計画」〜1934
1921 3万5876 5693
1922 5万9865 2万3989 日本への「自由渡航制」
1923 8万0617 2万0752 関東大震災
1924 12万0238 3万9621
1925 13万3710 1万3472 再び日本への「渡航制限」〜1938
1926 14万8503 1万4793
1927 17万5911 2万7408
1928 24万3328 6万7417
1929 27万6031 3万2703
1930 29万8091 2万2060 日本に世界恐慌が波及
1931 31万8212 2万0121 満州事変(日中15年戦争の始まり)
1932 39万0543 7万2331 満州国建国
1933 46万6217 7万5674
1934 53万7576 7万1359
1935 62万5678 8万8102
1936 69万0501 6万4823
1937 73万5689 4万5188 盧溝橋事件で戦火拡大
1938 79万9865 6万4176 国家総動員法が成立
1939(昭和14年) 96万1591 16万1726 国民徴用令が成立(朝鮮に適用されたのは 1944年9月から)
「募集」   日本企業が朝鮮で自由に労働者を募集することを許可
1940 119万0444 22万8853
1941 146万9230 27万8786 真珠湾攻撃で日米開戦
1942 162万5054 15万5824 「官斡旋」   総督府が朝鮮人労働者を募集
1943 188万2456 25万7402
1944 193万6843 5万4387 「徴用」   法律により労働を強制された
1945(昭和20年) 210万0000
(諸説あり) . 終戦
1946年3月18日 64万7006 . 厚生省による在日朝鮮人の登録   (この時登録しない者がいたので100万人程いたと書く本もあり)
.
1999年末 54万6553 . .

靖国参拝を非難すれば

投稿者: sinjin8888 投稿日時: 2003/02/02 21:10 投稿番号: [46987 / 232612]
援助が貰えるの。

ハハハハー。

売国官僚槇田邦彦の過去の功績

投稿者: remember140917_2 投稿日時: 2003/02/02 21:09 投稿番号: [46986 / 232612]
94年の細川内閣当時
  首相の所信表明演説で中国と韓国に対する戦前の「侵略」や過去の「植民地支配」に対する謝罪コメント

同じく細川内閣
  河野洋平官房長官の「慰安婦関係調査結果に関する官房長官談話」

95年の村山内閣の訪朝時
  河野洋平外相が発表したお詫び談話

  これらの作成について、全て原案作成に関与しているらしい。
  どこの国の為に働いている官僚なのだろうか。

おいおい扶桑社のこと誰が信じる

投稿者: japan_koumei 投稿日時: 2003/02/02 21:09 投稿番号: [46985 / 232612]
笑われるぞそんなこというと、ここは教科書トピではないんだぞ(爆笑)
どっかから教科書トピに奴が舞い降りるぞ、そんなの掲載するとよ。

強制連行の実態(2)

投稿者: ahoahoahocha4 投稿日時: 2003/02/02 21:08 投稿番号: [46984 / 232612]
1944年11月末に徴用令を受け取った鄭忠海氏は次のように書いています。

「…後を振り返りながら、別れの言葉もそこそこに集合場所である永登浦区庁前の広場に向かった。広場は出発する人、見送る人で一杯だった。徴用者の点呼が終わると一同は隊伍を組んで商工会議所の前に集まり、各地から動員された人々と共に壮行会が催された」(「朝鮮人徴用工の手記」河合出版)

鄭氏は、その後広島の東洋工業に入社し、終戦時までここで働いて帰国しました。本書には、寄宿舎生活の様子や被爆体験、日本人との交流などが綴られています。

これは教科書が描き出す「強制連行」のイメージとはまったく異なっています。


「日韓誤解の深淵」   西岡力   1992   亜紀書房
また、いわゆる「強制連行」の実態に関しても、一般で認識されているのとはかなり違う実態があったことが少しずつ明らかになってきている。たとえば朝鮮総督府が行なった土建労働者の「官斡旋」による道外募集(いわゆる強制連行の一部とされている)では、使用者に対して賃金、待遇などで労働者を厚遇するようにかなり細かく指示している。たとえば飯場料は賃金の二分の一以下とするとされており、借金づけによるタコ部屋化を禁じている(くわしくは広瀬貞三「『官斡旋』と土建労働者」、『朝鮮史研究会論文集』第29集参照)。

また、1944年に広島の軍需工場に徴用された鄭忠海氏は90年に日本で出版した手記(『朝鮮人徴用工の手記』河合出版)の中で、新築の寄宿舎で新しい寝具が準備され、食事も十分で満足でき、仕事は日本人女子挺身隊員といっしょであり、「女性たちとの恋だの愛だのということに心をうばわれているようで、工場内の風紀は言葉にならないほどだった」と書いている。

先述のように戦争のために国家総動員法による徴用には法的強制力があった。それにより韓国人が強制連行されたが、同様に大多数の日本人も「強制連行」されたというのが歴史の真実なのである。


戦争初期には朝鮮人は日本人・台湾人に比して優遇されていたのが分かる。「官斡旋」の段階でも本人の希望で就職先を変えられることから"強制連行"というのは大げさな表現だ。

コリアン・反日左翼は「募集」の段階から"強制連行"だとしているが、当時朝鮮から日本内地へは渡航制限をしていたが、密航してでも出稼ぎしようとする朝鮮人が一杯いたというのに、何で強制連行の必要があるのだろうか。"強制連行"などしなくても労働者は確保できたのである。

「岩波講座   世界歴史19   移動と移民」   水野直樹・他 1999年   岩波書店
1930年代後半、西日本で『密航』の取締りが厳しくなされ、毎年2000人から5000人ほどの密航者が摘発され(1939年は7400人)、大半が朝鮮に送還された。その多くはブローカーの斡旋で労働を目的に渡航した者であったが、なかには『内地人を仮称』して連絡船に乗り込んだたため摘発された者もいる。

オレは両方とも信じていないよ。

投稿者: sinjin8888 投稿日時: 2003/02/02 21:07 投稿番号: [46983 / 232612]
オレは両方とも信じていないよ。

それなら何も言うな   アホ。

強制連行の実態

投稿者: ahoahoahocha4 投稿日時: 2003/02/02 21:06 投稿番号: [46982 / 232612]
徴用(強制連行)の実態
戦時中の朝鮮人労働者内地導入には3段階あったことと徴用令の関係を理解しましょう。
「教科書が教えない歴史 (4)」   藤岡信勝   平成9年   扶桑社
「1939年(昭和14年)から1945年までの間に約70万人もの朝鮮人の人々が強制連行によって日本につれてこられたとされています。」.

中学校の教科書では上のように強制連行という言葉を使っています。そして、いやがる人に暴行を加え、手錠をかけて無理矢理連れて行く様子を描いています。それが6年間続いたと教えているのですが、本当でしょうか。

1938年(昭和13年)に、日本の国会で国家総動員法(国民徴用令は1939年)が成立しました。この法律によって、15歳から45歳までの男子と、16歳から25歳までの女子を、国家は徴用できるようになりました。「徴兵」が兵士になる義務であるように、「徴用」とは、戦時に一定の労働に従事する義務のことです。多くの若者が出征し労働力不足が深刻になり、その穴を埋めるためにやむなくこの法律を作ったのです。

徴兵と同様に、国民は、通知された場所に出頭し、指定された軍需工場などで働きました。当時の日本国民のほとんどは、この徴用を国家非常時の当然の義務だと考えていましたから、進んでこれに応じました。

さて当時、法的には「日本国民」であった台湾や朝鮮では、この法律はどのように適用されたのでしょうか。台湾では、日本本土と同時に徴用令が施行されましたが、朝鮮では施行されませんでした。その代わり、日本企業が朝鮮で自由に労働者を「募集」することを許可しました。それまでは、朝鮮人労働者が大量に本土に流入すると失業者が増加するので、日本政府は朝鮮人労働者の移住を制限していたのです。制限を取り払ったので、多くの朝鮮人労働者が日本にやってきました。

けれども、1942年(昭和17年)になると、さらに人手不足は深刻になりました。朝鮮でも、総督府が自ら乗り出して朝鮮人労働者を集めなければならない状況になりましたこれを「官斡旋」といいました。官斡旋は、面(村)ごとに人数を割り当てました。そのため、役所から就職先を斡旋された場合、それは義務に近いものとみなされされましたけれども、朝鮮における官斡旋は、本土や台湾における徴用と同じではありません。それは、官斡旋で労働現場に来た朝鮮人労働者が就職先を辞めても、罰則がなかったことです。例えば、ある朝鮮人労働者は、官斡旋で本土に来たのですが、なじめなかったかすぐに辞めています。そして、友人を頼って朝鮮人経営の土木会社に就職しました。正規に住居移転の手続きをして、食糧の配給も受けています。
朝鮮にも「徴用」令が施行されたのは、1944年(昭和19年)になってからでした。けれども、総督府では、なるべく自分の意思で徴用に応じてほしいと願い拒否した者への罰則の流用を控えました。そのため目標の達成率は79パーセントにとどまりました。

嘘つき

投稿者: sinjin8888 投稿日時: 2003/02/02 21:05 投稿番号: [46981 / 232612]
それだけ

それが如何したの

投稿者: sinjin8888 投稿日時: 2003/02/02 21:04 投稿番号: [46980 / 232612]
それが如何したの。

将軍様には関係ないでしょう。

特別永住権のからくり

投稿者: ahoahoahocha4 投稿日時: 2003/02/02 21:04 投稿番号: [46979 / 232612]
コリアン世界の旅」   野村進   1996   講談社
日本敗戦による「解放」の喜びもつかのま、済州島は大混乱の予兆をはらみつつあった。8月15日以降、日本本土のほか戦前の樺太や満州、南方などに徴用でとられたり移住したりしていた人たちが、一斉に帰郷してきたのである。15万人の島内人口は、あっというまに倍以上の30数万人に膨れ上がった。香川県ほどの広さの、痩せた火山島には、彼らを養う余地などどこにもなかった。食糧事情は、目に見えて悪化した。日本の植民地下では許されなかった買占めや売り惜しみが横行した。敗戦国・日本に見切りをつけて帰ってきたところが、故郷の窮状たるや日本どころではないではないか。やむなく日本にまた引き返していく人々が、皮肉なことに「解放」の翌年あたりから急増する。これに追い打ちを掛けるように、1948年から49年にかけて、済州島史上最悪の惨事が起きた。島全体が戦場と化して、虐殺と放火と強制移住に覆い尽くされた、いわゆる「済州島4・3事件」である。(島民3万人が殺された)
(中略)
逃げ場は日本しかなかった。命がけの選択の結果が日本への密航だった。彼ら密航者たちは『潜水艦組』と称され、近年の中国からの不法入国船と同様の小舟や漁船で、着の身着のまま日本に辿りついている。『潜水艦組の1人』という50代のある男性は、日本人の『常識』とは逆のことを私に告げた。
『済州島(出身者)だけじゃなく、在日の半分以上は、密航で来たんだと思うんですよ』
在日のほとんどは、強制連行で連れてこられた1世かその子孫ではないのか。
『いや強制連行で来て、今もいるという人は非常に少ないです。強制連行で来た人たちは、軍需工場なんかに徴用された人も、密航で働いた人も、戦後かなりの人が帰っているか亡くなっているんですよ』

次の2点を明記しておきたい。強制連行された朝鮮人のほとんどは、戦後間もなく日本政府の計画送還で帰国していること。在日1世の大半は、戦前から日本に住みつづけているか、戦後、密航できたのかどちらかであるということ。これらは研究者の間ではすでに定説となっているのだが、日本人一般には正反対の言説が『事実』であるかのように漠然と信じ込まれてきた。その最大の原因は日本のマスコミの認識不足だが、在日の特に知識人が往々にして『私たちは無理やり連れてこられた』といった言い方をしてきたことにも一因がある。   …だが『無理やり連れてこられた』といった表現には。明らかに強制連行のニュアンスがこめられている。日本人側が在日についてあまりにも知らないことが問題なのは言うまでもないが、在日側もこうした表現をいわば"切り札"にして日本人との議論を断ち切ってしまう場合が、ままあったのではなかろうか。

ノーテンキ

投稿者: sinjin8888 投稿日時: 2003/02/02 21:02 投稿番号: [46978 / 232612]
ノーテンキ

国と国との約束に個人など関係ない。

今はイラクに対して兵力がいるのだよ。

投稿者: japan_koumei 投稿日時: 2003/02/02 21:01 投稿番号: [46977 / 232612]
当局者によると、要請は数週間保留されている状態

ってのをちゃんと読みなさい。

戦争やるなら日本でいけ!!

投稿者: japan_koumei 投稿日時: 2003/02/02 20:59 投稿番号: [46976 / 232612]
>金豚が、日本人に土下座して、謝れば、古古米をほんの少しばかり恵んでやろうか?

こりゃいけるやらせよう!!!

でも、アメリカは日本のために戦争をするほどお人よしじゃないってことを認識不足です。
お前ら平和ボケ日本人がやれよ。

>米国の北朝鮮対策

投稿者: nishibox 投稿日時: 2003/02/02 20:59 投稿番号: [46975 / 232612]
今の布陣は・・・
横須賀と佐世保に

空母   一隻
強襲揚陸艦(軽空母)   一隻
イージス巡洋艦   二隻
イージス駆逐艦   三隻
補給艦   一隻
こんなところ?

それに空母が加わるの?
軽空母かな?
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