捏造がわかる台湾側との相違
投稿者: fabyounkana 投稿日時: 2004/01/11 16:35 投稿番号: [99935 / 232612]
台湾人の"強制連行"が教科書に書かれることはない。事実を書くと反日教科書の編集方針と合わなくなるからか?(笑)
韓国人の「反日」 台湾人の『親日」 黄文雄 1999 光文社
「朝鮮人の強制連行」問題の著作物は、地方の公立図書館へ行くと、意外なほど多い。戦前の日本国内では、朝鮮人の犯罪者が多かったので、いかにして朝鮮半島からの人の流入を釜山港で阻止するかに悩み、たびたび朝鮮総督府に有効な対策を求めていた。だが、「朝鮮人の強制連行」問題の著書があれほど多くても、「犯罪」「入国阻止」関連研究書は、大学図書館でさえほとんど見いだすことが困難だ。
(中略)
韓国人の著述には、「日帝36年」について「強制連行」「強制労働」「強制徴集・徴用」と表現することが多いが、その「強制連行」とは、じつは大陸文化そのもので、戦争や動乱があるたびに、住民が「強制連行」されたことは、中国史にも、朝鮮史にも繰り返し書かれている。しかし、日本文化は、中国社会や朝鮮社会とはかなり異なる。近代になって、台湾に対しても、朝鮮半島に対しても、いかなる公的な義務労働であろうとも、多かれ少なかれ、工賃を払うのが日本的なやり方であった。このことからも、日本文化は、中国や韓国の社会文化とはまったく違うことが判明する。
台湾領有初期の日本軍の征伐戦争・戦記、日記を見ると、住民を略奪しながら敗退、逃亡した清国兵士に対してさえも、米と銭を与え、船で港から大陸へ送還した。地方の村長、長老を集めて訓示した後でも銭を与え、細かい気配りをしていた。そのような日本的気配りは、中国や朝鮮半島では、絶対に見られないことだ。
韓国人の「日帝」糾弾のバターンは、たいてい決まっている。それはあたかも日帝のすべての悪事悪行が隠蔽されてきたが、それが次から次へと考古学や犯罪事件摘発のように発掘されていくという図式である。
第二次大戦末期に、台湾からも多くの少年工が来日している。しかし、彼らは「強制連行」ではなく、厳しい選考をへて、来日が許可されたのだった。
「強制連行」については、台湾人の子供まで連行され、海軍飛行場の建設工場で、酷使され、息を引き取ったと韓国有力紙に報道されたこともある。
この「子供強制徴用の実態」に関して、あたかも「歴史発掘」のように、韓国では一時、歴史捏造に狂奔した。
「東亜日報」(91年10月23日付)は、「神奈川県で12から18歳の台湾少年工8000名が、軍需工場で強制労働させられていたことが明らかになった。しかし、8歳の少年強制労働と火葬というのは、ひょっとすると日本全国で初めて確認されたことではないだろうか」と日本の大学教授の発言を引用して報道している。
日本の反日大学教授も不勉強であるが、韓国のマスコミも「反日」の話題でさえあれば、なんでもかんでも派手に報道するという姿勢は問題であろう。
じつは、台湾少年工についての歴史捏造と歪曲ほどひどいものはない。
戦争末期、台湾から日本に来た8000名の台湾少年工は、主に名古屋、大和市、群馬県の戦闘機工場で働いた。彼らは「強制連行」ではなく、厳しい筆記試験に合格、さらに身体検査にも合格、校長と両親の許可を得て来日したものであった。「強制連行」どころか、現在でいえば「東大入試」の狭き門をパスした誇りある少年たちである。私が直接彼らから聞いたところでは、「隼」以外に「ゼロ戦」をつくったという人もいた。
彼らは現在「高座会」をつくり、生存者は70歳前後になっているものの、なおも5000人以上の会員を有している。会誌も発行されている。十数歳の台湾少年工の作詞、作曲した会歌は、日本の寮歌に似ていて、合唱するとじつに感動的である。
彼らは日本人の友人との絆が強く、94年の大和市の大会では、2000人以上の会員が台湾から来日し、大和市は、交通大渋滞となるほどであった。当時、日本のマスコミは、彼らを「強制連行」と報道したため、自尊心を傷つけられ、会長が会員全員を引き連れ、新聞社へ抗議に行くという話もあったほどだ。
戦争末期の米軍空襲下でともに働いてきた台湾人と日本人は、上官と部下の関係のみでなく、その絆もなかなかに強い。私は台湾から来た昔の少年兵を連れ、かつての日本人仲間の病気見舞いや、老後の不遇者の生活の面倒に奔走する戦友を案内したこともあった。日帝の「暴挙」ばかりを追及してきた韓国人には、日本国民として育てられ、ともに国家の存亡をかけた情熱と戦友としての絆は理解できないだろう。この5000人以上の証人について、日本人ももっと「歴史」を勉強する必要があるのではないだろうか。
彼ら韓国人が、いかに「強制連行」「虐殺」「追害」だけを喚(わめ)いているかを示唆するような話ではないだろうか。
韓国人の「反日」 台湾人の『親日」 黄文雄 1999 光文社
「朝鮮人の強制連行」問題の著作物は、地方の公立図書館へ行くと、意外なほど多い。戦前の日本国内では、朝鮮人の犯罪者が多かったので、いかにして朝鮮半島からの人の流入を釜山港で阻止するかに悩み、たびたび朝鮮総督府に有効な対策を求めていた。だが、「朝鮮人の強制連行」問題の著書があれほど多くても、「犯罪」「入国阻止」関連研究書は、大学図書館でさえほとんど見いだすことが困難だ。
(中略)
韓国人の著述には、「日帝36年」について「強制連行」「強制労働」「強制徴集・徴用」と表現することが多いが、その「強制連行」とは、じつは大陸文化そのもので、戦争や動乱があるたびに、住民が「強制連行」されたことは、中国史にも、朝鮮史にも繰り返し書かれている。しかし、日本文化は、中国社会や朝鮮社会とはかなり異なる。近代になって、台湾に対しても、朝鮮半島に対しても、いかなる公的な義務労働であろうとも、多かれ少なかれ、工賃を払うのが日本的なやり方であった。このことからも、日本文化は、中国や韓国の社会文化とはまったく違うことが判明する。
台湾領有初期の日本軍の征伐戦争・戦記、日記を見ると、住民を略奪しながら敗退、逃亡した清国兵士に対してさえも、米と銭を与え、船で港から大陸へ送還した。地方の村長、長老を集めて訓示した後でも銭を与え、細かい気配りをしていた。そのような日本的気配りは、中国や朝鮮半島では、絶対に見られないことだ。
韓国人の「日帝」糾弾のバターンは、たいてい決まっている。それはあたかも日帝のすべての悪事悪行が隠蔽されてきたが、それが次から次へと考古学や犯罪事件摘発のように発掘されていくという図式である。
第二次大戦末期に、台湾からも多くの少年工が来日している。しかし、彼らは「強制連行」ではなく、厳しい選考をへて、来日が許可されたのだった。
「強制連行」については、台湾人の子供まで連行され、海軍飛行場の建設工場で、酷使され、息を引き取ったと韓国有力紙に報道されたこともある。
この「子供強制徴用の実態」に関して、あたかも「歴史発掘」のように、韓国では一時、歴史捏造に狂奔した。
「東亜日報」(91年10月23日付)は、「神奈川県で12から18歳の台湾少年工8000名が、軍需工場で強制労働させられていたことが明らかになった。しかし、8歳の少年強制労働と火葬というのは、ひょっとすると日本全国で初めて確認されたことではないだろうか」と日本の大学教授の発言を引用して報道している。
日本の反日大学教授も不勉強であるが、韓国のマスコミも「反日」の話題でさえあれば、なんでもかんでも派手に報道するという姿勢は問題であろう。
じつは、台湾少年工についての歴史捏造と歪曲ほどひどいものはない。
戦争末期、台湾から日本に来た8000名の台湾少年工は、主に名古屋、大和市、群馬県の戦闘機工場で働いた。彼らは「強制連行」ではなく、厳しい筆記試験に合格、さらに身体検査にも合格、校長と両親の許可を得て来日したものであった。「強制連行」どころか、現在でいえば「東大入試」の狭き門をパスした誇りある少年たちである。私が直接彼らから聞いたところでは、「隼」以外に「ゼロ戦」をつくったという人もいた。
彼らは現在「高座会」をつくり、生存者は70歳前後になっているものの、なおも5000人以上の会員を有している。会誌も発行されている。十数歳の台湾少年工の作詞、作曲した会歌は、日本の寮歌に似ていて、合唱するとじつに感動的である。
彼らは日本人の友人との絆が強く、94年の大和市の大会では、2000人以上の会員が台湾から来日し、大和市は、交通大渋滞となるほどであった。当時、日本のマスコミは、彼らを「強制連行」と報道したため、自尊心を傷つけられ、会長が会員全員を引き連れ、新聞社へ抗議に行くという話もあったほどだ。
戦争末期の米軍空襲下でともに働いてきた台湾人と日本人は、上官と部下の関係のみでなく、その絆もなかなかに強い。私は台湾から来た昔の少年兵を連れ、かつての日本人仲間の病気見舞いや、老後の不遇者の生活の面倒に奔走する戦友を案内したこともあった。日帝の「暴挙」ばかりを追及してきた韓国人には、日本国民として育てられ、ともに国家の存亡をかけた情熱と戦友としての絆は理解できないだろう。この5000人以上の証人について、日本人ももっと「歴史」を勉強する必要があるのではないだろうか。
彼ら韓国人が、いかに「強制連行」「虐殺」「追害」だけを喚(わめ)いているかを示唆するような話ではないだろうか。
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.