masaさん> 東条英機元日本国・・(2)
投稿者: yayoijin_matsuei 投稿日時: 2004/01/08 00:11 投稿番号: [99147 / 232612]
>アジア人・アフリカ人は、インディアンと同じ「猿」(アメリカ軍のプロパガンダ)に属していたそうですから、
括弧書きで入れらたように、プロパガンダですね。これは、日米の戦争が始まってからのこと
でしょう。日露戦争の仲介は米国がしたのですからね。戦争以前は感情面での問題というのは、
それほど問題ではなかったと思います。
戦争に入って、特に以前触れましたが、日本軍による捕虜虐待ですね。特に例を上げれば、
「バターン死の行進」は、規模の大きさといい、彼らにとっては、衝撃的で、一挙に日本に
対する怒り・憎悪を掻き立てる材料になりました。
今でさえ、英語で、BATAAN DEATH MARCH をGOOGLEで検索すると三万件以上のホームページが
ヒットします。
如何に衝撃的だったかということです。まだ「余韻」が残っています。これについては、以前の文で、
日本軍の前線には、捕虜についての国際的感覚が決定的に欠けていたということも不幸の
原因だと述べました。(No.98725)
>昭和16年(1941年)9月6日の御前会議において永野修身海軍軍司令部総長のこのような発言があります。
「戦わざれば亡国必至、戦うもまた亡国を免れぬとすれば、戦わずして亡国にゆだねるは身も心も民族永遠の亡国であるが、戦って護国の精神に徹するならば、たとい戦い勝たずとも祖国護持の精神が残り、われらの子孫はかならず再起三起するであろう」
しかし、永野軍令部総長は、この戦争の落ちどころをどう考えていたのでしょうかね?
ここは難しいところですね。そこを考えないであったなら、暴発と変わらないと思います。
終戦時、「徹底抗戦」、「一億層玉砕」を主張した考えと同じだとするなら、精神論だけですね。
現実は、終戦が長引けば長引くほど、ソ連軍が日本に迫ってくる。日本本土に上陸して、
日本が東西分割占領の事態も現実化する。精神論は精神論として、現実はこうですね。
>東条英機氏であろうとなかろうと、遅かれ早かれ開戦していた思います。その道が正しいかどうかという問題ではなく、その道しかないように追い詰められていったような気がします。
これは、「積み上げ」式理論からは、それ以外は難しいかもしれない。しかも、撤退は恥という
考えが強固に軍にはあったでしょうし、国民もそういう感覚にどっぷり浸かっていたことでしょう。
こういうときは、現状に囚われない飛躍的な思考をするタイプでないと別な発想はでてこない
でしょうね。石原莞爾は、その数年前になりますが、「当面は、ソ連に対する防備が重要である。
従って、当分、アメリカとは事を構えるべきでない」という説を打ち出しますが、全く
支持が得られなかった。石原は天才・カルト型で、昭和天皇も「あの男はよう分からん」と
言っていたそうですから、止むを得ないですが。
しかし、石橋湛山にしろ、アメリカと事を構えるべきでない、という主張は当時!でも
色々あったけれども、そのためには、中国から撤兵するなどのことが必要で、問題は、
こういうことは、極めて強力な政治力がなければ到底不可能だったでしょう。そして、
確かに、その当時の政治状況においては、実行不可能な状況に陥っていたでしょう。
結果としては、敗戦して海外の権益については、全て放棄したのですからね。
なお、おつりで、「反日」というオマケまでついたのですから。
それは、「結果論」だ!と誰かが又言うかもしれませんが、私が言いたいことは、
あの当時・その歴史的・時点において、他の解決策・方策を主張する有力者がいたと
いうこと。
ただ、たしかに、其の当時の政治状況(軍部の状況を含めて。というよりこれが決定的
に大きいのですが)においては、到底抜本的な「異見」は受け入れられる状況には
なかったことは確かです。不幸といえば不幸。宿命といえば宿命ですかね。
PS. この論議は尽きないかもしれませんね。長くなりました。 程よいところで・・・
括弧書きで入れらたように、プロパガンダですね。これは、日米の戦争が始まってからのこと
でしょう。日露戦争の仲介は米国がしたのですからね。戦争以前は感情面での問題というのは、
それほど問題ではなかったと思います。
戦争に入って、特に以前触れましたが、日本軍による捕虜虐待ですね。特に例を上げれば、
「バターン死の行進」は、規模の大きさといい、彼らにとっては、衝撃的で、一挙に日本に
対する怒り・憎悪を掻き立てる材料になりました。
今でさえ、英語で、BATAAN DEATH MARCH をGOOGLEで検索すると三万件以上のホームページが
ヒットします。
如何に衝撃的だったかということです。まだ「余韻」が残っています。これについては、以前の文で、
日本軍の前線には、捕虜についての国際的感覚が決定的に欠けていたということも不幸の
原因だと述べました。(No.98725)
>昭和16年(1941年)9月6日の御前会議において永野修身海軍軍司令部総長のこのような発言があります。
「戦わざれば亡国必至、戦うもまた亡国を免れぬとすれば、戦わずして亡国にゆだねるは身も心も民族永遠の亡国であるが、戦って護国の精神に徹するならば、たとい戦い勝たずとも祖国護持の精神が残り、われらの子孫はかならず再起三起するであろう」
しかし、永野軍令部総長は、この戦争の落ちどころをどう考えていたのでしょうかね?
ここは難しいところですね。そこを考えないであったなら、暴発と変わらないと思います。
終戦時、「徹底抗戦」、「一億層玉砕」を主張した考えと同じだとするなら、精神論だけですね。
現実は、終戦が長引けば長引くほど、ソ連軍が日本に迫ってくる。日本本土に上陸して、
日本が東西分割占領の事態も現実化する。精神論は精神論として、現実はこうですね。
>東条英機氏であろうとなかろうと、遅かれ早かれ開戦していた思います。その道が正しいかどうかという問題ではなく、その道しかないように追い詰められていったような気がします。
これは、「積み上げ」式理論からは、それ以外は難しいかもしれない。しかも、撤退は恥という
考えが強固に軍にはあったでしょうし、国民もそういう感覚にどっぷり浸かっていたことでしょう。
こういうときは、現状に囚われない飛躍的な思考をするタイプでないと別な発想はでてこない
でしょうね。石原莞爾は、その数年前になりますが、「当面は、ソ連に対する防備が重要である。
従って、当分、アメリカとは事を構えるべきでない」という説を打ち出しますが、全く
支持が得られなかった。石原は天才・カルト型で、昭和天皇も「あの男はよう分からん」と
言っていたそうですから、止むを得ないですが。
しかし、石橋湛山にしろ、アメリカと事を構えるべきでない、という主張は当時!でも
色々あったけれども、そのためには、中国から撤兵するなどのことが必要で、問題は、
こういうことは、極めて強力な政治力がなければ到底不可能だったでしょう。そして、
確かに、その当時の政治状況においては、実行不可能な状況に陥っていたでしょう。
結果としては、敗戦して海外の権益については、全て放棄したのですからね。
なお、おつりで、「反日」というオマケまでついたのですから。
それは、「結果論」だ!と誰かが又言うかもしれませんが、私が言いたいことは、
あの当時・その歴史的・時点において、他の解決策・方策を主張する有力者がいたと
いうこと。
ただ、たしかに、其の当時の政治状況(軍部の状況を含めて。というよりこれが決定的
に大きいのですが)においては、到底抜本的な「異見」は受け入れられる状況には
なかったことは確かです。不幸といえば不幸。宿命といえば宿命ですかね。
PS. この論議は尽きないかもしれませんね。長くなりました。 程よいところで・・・
これは メッセージ 99143 (yayoijin_matsuei さん)への返信です.