yayoijinさん>: 東条英機元日本国・・
投稿者: masa4618 投稿日時: 2004/01/06 23:27 投稿番号: [98953 / 232612]
お久しぶりです^^
レスどうもありがとうございます。意見が違うからまた良いんですよ。(微笑)
>「東条論」もありますが、大正期から昭和の敗戦までを一つの過程として捉えたいですね。
実はわたくし、「東条論」というものを読んだことがありません。ですので、そのような少ない知識で昨日、あの投稿したのは少し、横暴だったかなと反省しております。ですからご紹介いただいた本は興味あります。ありがとうございました。
ただし、もう少し、少ない知識で意見を述べさせていただければ、大正からというのではなくて、明治維新を経て、富国強兵から日清・日露戦争を戦い抜いて大正へと入っていったわけです。日露戦争は苦しい結果となりましたが、空気としては大国を相手に勝利したわが軍隊という流れの中にあったと思います。
また大東亜戦争の戦前の世界の状況はどうであったのでしょうか。世界は帝国主義がしのぎを削り、アジアの殆どが白人帝国主義の中で最底辺の植民地(インドネシアは350年間オランダによる支配)でしかありませんでした。日本人だけが、小柄な体で経済・武力とも白人と対等で同じ事をしていました。
海軍力もひけを取らないためにワシントン海軍軍縮条約などで英米はその比率から押さえ込もうと必死でした。
問題はここです。
欧米列強は、植民地支配を世界中で公然と行っている中、日本が同じことをしようとするとそれに対して「No」と答えてきたように思えます。満州建設についてその是非はともかく欧米列強と同じ路線ではなかったかと・・・
アメリカにとれば、アジア人・アフリカ人は、インディアンと同じ「猿」(アメリカ軍のプロパガンダ)に属していたそうですから、自分たちと同じことをしようとする日本を到底許さざる存在でったという感覚があった部分を否定できないと思います。
ですから対日石油禁止を行うアメリカに対して南仏進駐を行ったのは、「日本の答え」として意思表示として、対等の立場として当然であったと思うのです。
この戦前の構図、要するに明治以来、富国強兵のもと軍隊を整備してきた日本がアジア構想、大東亜建設のため欧米と衝突するベクトルは避けられなかったというのが昨日わたくしが「日本が他にとるべき道はなかったのではないか」と述べた所以であります。
昭和16年(1941年)9月6日の御前会議において永野修身海軍軍司令部総長のこのような発言があります。
「戦わざれば亡国必至、戦うもまた亡国を免れぬとすれば、戦わずして亡国にゆだねるは身も心も民族永遠の亡国であるが、戦って護国の精神に徹するならば、たとい戦い勝たずとも祖国護持の精神が残り、われらの子孫はかならず再起三起するであろう」
日本に対するある意味差別的な経済政策の中、開戦は避けて通れなかったのではないか。
東条英機氏であろうとなかろうと、遅かれ早かれ開戦していた思います。その道が正しいかどうかという問題ではなく、その道しかないように追い詰められていったような気がします。
>話題は変わって、「東条論」ということになれば、
「日本の近代 猪瀬直樹著作集 8」
「日本人はなぜ戦争をしたか」
「昭和16年夏の敗戦」
猪瀬直樹
これありがとうございました。
レスどうもありがとうございます。意見が違うからまた良いんですよ。(微笑)
>「東条論」もありますが、大正期から昭和の敗戦までを一つの過程として捉えたいですね。
実はわたくし、「東条論」というものを読んだことがありません。ですので、そのような少ない知識で昨日、あの投稿したのは少し、横暴だったかなと反省しております。ですからご紹介いただいた本は興味あります。ありがとうございました。
ただし、もう少し、少ない知識で意見を述べさせていただければ、大正からというのではなくて、明治維新を経て、富国強兵から日清・日露戦争を戦い抜いて大正へと入っていったわけです。日露戦争は苦しい結果となりましたが、空気としては大国を相手に勝利したわが軍隊という流れの中にあったと思います。
また大東亜戦争の戦前の世界の状況はどうであったのでしょうか。世界は帝国主義がしのぎを削り、アジアの殆どが白人帝国主義の中で最底辺の植民地(インドネシアは350年間オランダによる支配)でしかありませんでした。日本人だけが、小柄な体で経済・武力とも白人と対等で同じ事をしていました。
海軍力もひけを取らないためにワシントン海軍軍縮条約などで英米はその比率から押さえ込もうと必死でした。
問題はここです。
欧米列強は、植民地支配を世界中で公然と行っている中、日本が同じことをしようとするとそれに対して「No」と答えてきたように思えます。満州建設についてその是非はともかく欧米列強と同じ路線ではなかったかと・・・
アメリカにとれば、アジア人・アフリカ人は、インディアンと同じ「猿」(アメリカ軍のプロパガンダ)に属していたそうですから、自分たちと同じことをしようとする日本を到底許さざる存在でったという感覚があった部分を否定できないと思います。
ですから対日石油禁止を行うアメリカに対して南仏進駐を行ったのは、「日本の答え」として意思表示として、対等の立場として当然であったと思うのです。
この戦前の構図、要するに明治以来、富国強兵のもと軍隊を整備してきた日本がアジア構想、大東亜建設のため欧米と衝突するベクトルは避けられなかったというのが昨日わたくしが「日本が他にとるべき道はなかったのではないか」と述べた所以であります。
昭和16年(1941年)9月6日の御前会議において永野修身海軍軍司令部総長のこのような発言があります。
「戦わざれば亡国必至、戦うもまた亡国を免れぬとすれば、戦わずして亡国にゆだねるは身も心も民族永遠の亡国であるが、戦って護国の精神に徹するならば、たとい戦い勝たずとも祖国護持の精神が残り、われらの子孫はかならず再起三起するであろう」
日本に対するある意味差別的な経済政策の中、開戦は避けて通れなかったのではないか。
東条英機氏であろうとなかろうと、遅かれ早かれ開戦していた思います。その道が正しいかどうかという問題ではなく、その道しかないように追い詰められていったような気がします。
>話題は変わって、「東条論」ということになれば、
「日本の近代 猪瀬直樹著作集 8」
「日本人はなぜ戦争をしたか」
「昭和16年夏の敗戦」
猪瀬直樹
これありがとうございました。
これは メッセージ 98940 (yayoijin_matsuei さん)への返信です.