まさに正論
投稿者: borninjapan04 投稿日時: 2004/01/03 22:59 投稿番号: [98633 / 232612]
ある首相靖国参拝批判論への回答
投稿者:KABU
投稿日:01月03日(土)14時03分58秒 [ID:frMkzW4UMFk]
小泉首相の元旦靖国参拝についてある友人からメールをいただいた。考えさせられた。
現在、北日本のある大学で商法を教えておられる方である。私信なので直接の引用は避け、考えさせられた下記2点につきコメントする。尚、この方は、私なんかよりも遥かに靖国神社を大切に思われ、米国留学中もドミトリーの部屋に日章旗を飾っておられた方である。
・首相が「小泉純一郎」個人として参拝されるのはむしろ当然と思うが、近隣諸国との外交においてわざわざ日本に不利なカードを「漏れなく与える」のは外交的には拙劣なのではないか?
・拉致被害者(とその家族)の一刻もはやい帰国を目指す上で、中国・韓国との外交関係を不良にするのは得策ではない。少なくとも、中国・韓国とのトップレヴェルの外交交渉を難しくすることは、その損得勘定からいっていかがなものかと思う。
◎KABUのコメント
何故に、首相靖国参拝が「不利なカード」になるのか? それは、大東亜戦争後の戦後民主主義が流布した、①外交において争いがあることは拙い状態であり、②日本が近隣諸国との外交において(就中、明治維新から大東亜戦争にかけて日本が「侵略」した亜細亜太平洋地域の国々との外交において、)争いを抱える場合、日本の方に責任があるか、少なくとも、日本がその解決に向けて譲歩すべきである、というような錯覚に捕われた者の感覚ではなかろうか。
実に、外交などは紛争を前提として始めて意味を持つものである。紛争のない多国間関係などは、論理的に、最早、外交関係などではなく(否、政治関係でもなく)、ある1個の政治権力が統治する領域内の出来事に過ぎまい。要は、日本と近隣諸国の間で紛争があること自体は豪も日本の外交の拙劣さを意味しないのではないか。
近隣諸国と日本の間の紛争については常に日本に非があるのか? 非がないまでも日本がより譲歩すべきものなのか? 論外である。問題外の外である。何故ならば、(イ)日本は国際法上大東亜戦争に関するその総ての戦争責任と戦後責任を国家として完全に果し終えていること。そう、ドイツの如き、戦前の一部の国家主義者=「ナチス」にその責任を押し付けるような不誠実な対応ではなく、「国家として完全に果し終えている」こと。(ロ)明治維新から大東亜戦争に至る日本の道程に関しては、少なくとも、国際法的には何ら他国民から非難されるべき筋合いはないこと。もちろん、帝国主義や現在のグルーバル化した世界経済自体を<悪>と見なすような論者はこれからも存在しよう。しかし、逆に、明治維新から日清・日露を通して大東亜戦争に至る日本の近代国家建設を<亜細亜民衆の誇り>と感じ、大東亜戦争後の焦土からの経済復興を<世界経済の奇蹟>と称賛する人々が日本国内だけでなく世界の圧倒的多数派であることも厳然たる事実である。畢竟、近隣諸国と日本の間の紛争については常に日本に非があるなどいうことはなく。まして、そのような紛争解決の交渉において日本がより譲歩すべきことなど断じてないのである。而して、首相靖国参拝が自動的に日本に「不利なカード」になることもありえず、それを、有利に使うか不利に使うかは単に日本政府の外交能力に収斂するのではないか、と私は考えている。
拉致被害者(とその家族)の即時奪還は、そもそも、中国・韓国に周旋をお願いして実現すべき問題ではない。そこでは人権の侵害と同時に主権の侵害がなされたのであり、そのような、人権&主権侵害を行いながら豪も原状回復の責務を感じないような不埒なならず者国家に対しては、本来、圧力あるのみであって条件を漸次詰めるという意味での交渉などありえないのである。まして、隣国にそれとの交渉仲介を期待するなどは、国賊・田中均と朝日新聞の繰り出す<催眠術>に嵌った者の認識ではないか。古田武彦流に言えば、「そう言っても言い過ぎではなかろう」と私は思う。北朝鮮という国家(私は、自国民の1〜2割を餓死せしめるような政治体制を近代的な意味での「国家」とは呼べないと思うけれど、)とある程度以上の貿易を行っている国には日本はODAを与えない、等々。日本がその憲法の範囲内で取れる圧力は幾らでもあるではないか。これらの人事を尽さずして、「中国・韓国とのトップレヴェルの外交交渉を難しくすることは、その損得勘定からいっていかがなものか」というような認識は、首相ではなく靖国の社に鎮められたまう200数十万の英霊の御霊に失礼ではないだろうか。私はそう考える。
http://www31.ocn.ne.jp/~matsuo2000/newpage2.htm
小泉首相の元旦靖国参拝についてある友人からメールをいただいた。考えさせられた。
現在、北日本のある大学で商法を教えておられる方である。私信なので直接の引用は避け、考えさせられた下記2点につきコメントする。尚、この方は、私なんかよりも遥かに靖国神社を大切に思われ、米国留学中もドミトリーの部屋に日章旗を飾っておられた方である。
・首相が「小泉純一郎」個人として参拝されるのはむしろ当然と思うが、近隣諸国との外交においてわざわざ日本に不利なカードを「漏れなく与える」のは外交的には拙劣なのではないか?
・拉致被害者(とその家族)の一刻もはやい帰国を目指す上で、中国・韓国との外交関係を不良にするのは得策ではない。少なくとも、中国・韓国とのトップレヴェルの外交交渉を難しくすることは、その損得勘定からいっていかがなものかと思う。
◎KABUのコメント
何故に、首相靖国参拝が「不利なカード」になるのか? それは、大東亜戦争後の戦後民主主義が流布した、①外交において争いがあることは拙い状態であり、②日本が近隣諸国との外交において(就中、明治維新から大東亜戦争にかけて日本が「侵略」した亜細亜太平洋地域の国々との外交において、)争いを抱える場合、日本の方に責任があるか、少なくとも、日本がその解決に向けて譲歩すべきである、というような錯覚に捕われた者の感覚ではなかろうか。
実に、外交などは紛争を前提として始めて意味を持つものである。紛争のない多国間関係などは、論理的に、最早、外交関係などではなく(否、政治関係でもなく)、ある1個の政治権力が統治する領域内の出来事に過ぎまい。要は、日本と近隣諸国の間で紛争があること自体は豪も日本の外交の拙劣さを意味しないのではないか。
近隣諸国と日本の間の紛争については常に日本に非があるのか? 非がないまでも日本がより譲歩すべきものなのか? 論外である。問題外の外である。何故ならば、(イ)日本は国際法上大東亜戦争に関するその総ての戦争責任と戦後責任を国家として完全に果し終えていること。そう、ドイツの如き、戦前の一部の国家主義者=「ナチス」にその責任を押し付けるような不誠実な対応ではなく、「国家として完全に果し終えている」こと。(ロ)明治維新から大東亜戦争に至る日本の道程に関しては、少なくとも、国際法的には何ら他国民から非難されるべき筋合いはないこと。もちろん、帝国主義や現在のグルーバル化した世界経済自体を<悪>と見なすような論者はこれからも存在しよう。しかし、逆に、明治維新から日清・日露を通して大東亜戦争に至る日本の近代国家建設を<亜細亜民衆の誇り>と感じ、大東亜戦争後の焦土からの経済復興を<世界経済の奇蹟>と称賛する人々が日本国内だけでなく世界の圧倒的多数派であることも厳然たる事実である。畢竟、近隣諸国と日本の間の紛争については常に日本に非があるなどいうことはなく。まして、そのような紛争解決の交渉において日本がより譲歩すべきことなど断じてないのである。而して、首相靖国参拝が自動的に日本に「不利なカード」になることもありえず、それを、有利に使うか不利に使うかは単に日本政府の外交能力に収斂するのではないか、と私は考えている。
拉致被害者(とその家族)の即時奪還は、そもそも、中国・韓国に周旋をお願いして実現すべき問題ではない。そこでは人権の侵害と同時に主権の侵害がなされたのであり、そのような、人権&主権侵害を行いながら豪も原状回復の責務を感じないような不埒なならず者国家に対しては、本来、圧力あるのみであって条件を漸次詰めるという意味での交渉などありえないのである。まして、隣国にそれとの交渉仲介を期待するなどは、国賊・田中均と朝日新聞の繰り出す<催眠術>に嵌った者の認識ではないか。古田武彦流に言えば、「そう言っても言い過ぎではなかろう」と私は思う。北朝鮮という国家(私は、自国民の1〜2割を餓死せしめるような政治体制を近代的な意味での「国家」とは呼べないと思うけれど、)とある程度以上の貿易を行っている国には日本はODAを与えない、等々。日本がその憲法の範囲内で取れる圧力は幾らでもあるではないか。これらの人事を尽さずして、「中国・韓国とのトップレヴェルの外交交渉を難しくすることは、その損得勘定からいっていかがなものか」というような認識は、首相ではなく靖国の社に鎮められたまう200数十万の英霊の御霊に失礼ではないだろうか。私はそう考える。
http://www31.ocn.ne.jp/~matsuo2000/newpage2.htm
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.