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在日は歴史の真実を認めよ

投稿者: fabyounkana 投稿日時: 2004/01/02 23:20 投稿番号: [98499 / 232612]
民団も韓国青年会も自認
この数字は在日韓国人自体の調査によっても裏付けられている。1988年2月に 発刊された「”我々の歴史を取り戻す運動”報告書」(在日本大韓民国青年会中央 本部)には、全国千百余人の一世から直接聞きとりした調査結果が収録されてい る。これによると、渡日の理由として「徴兵・徴用」は13.3%にすぎず、経済 的理由(39.6%)、「結婚・親族との同居」(17.3%)に次いで3番目で ある。この13.3%のうち、徴兵は0.5%で、残りが徴用ということになる。しかし、「渡日年度別に見た渡日理由」によると、徴用は1926〜30年に6 人、1931〜35年に9人、1936〜40年に51人とある。国民徴用令が公布されたのは1939年7月であって、これが朝鮮に適用されたのは前述のように 1949年9月であるから、この「徴用による渡日という」回答は思い違いによる ものと考えられる。従ってこの人数はのぞかねばならない。 1941〜45年の徴兵、徴用と答えた76人も、その大部分は記憶違いというよ りほかはない。徴用が実施されていた1944年9月以降終戦までの一年分だけを 前期の方法で算出すれば16人、すなわち全体の1.5%にしかならない。また、 法務省の数字のアンケート調査の場合と同様、官あっせんを徴用と考えても(1942年2月以降)59人=5.4%となり、徴兵を加えて5.9%である。  

民団発行の「法的地位に関する論文集」(1987)にも「1世の大半が1930年代初期に渡航して永住するに至った経緯からすると……」と、みずから、徴用による渡来が僅少であることを認めている。

このことは理屈の上から考えても当然のことであろう。着のみ着のまま徴集され、人里離れた炭坑や鉱山で虐待酷使されていた者が、日本に残ろうと考えることは想像しがたいことである。彼らは日本の一般社会とほとんど関係なく生活してきたのであって、言葉もろくに出来ず、日本で生活していく基盤ももっていない。彼らは日本に来て、一番長い者でも (官斡旋を徴用とみなしても) 5年そこそこなのであるから、故郷とのつながりは十分持続しているはずである。特に彼らは、妻子を置いて一人だけで徴用されており、その移動はきわめて容易であった。これら徴用された人々の大部分は終戦直後早々に、この、"恨みの島"から故郷へと飛ぶようにして帰ったものとみられる。

在日青年会の調査を分析すると本当の強制連行者といえるは1.5%に過ぎないようだ。広く解釈しても5.9%である。

実地調査でも「在日1世強制連行少数説」は裏付けられています。
「在日韓国・朝鮮人」   福岡安則   1993   中公新書
私は、1988年以降、若い世代の人たちを中心に150名余りの在日韓国・朝鮮人からの聞き取りを実施してきたが、自分の親もしくは祖父が「強制連行」で日本に連れてこられたという人には一人も出会わなかった。ただ一人伯父が「強制連行」で北海道の炭坑に連れてこられ、そこで「事故死」にあった("殺された"といっていいと思う)という事例を聞いているだけである。

(中略)
私の調査体験をもって、安易な結論を導き出すことは慎まなければならない。だがそれにしても、文字どおりの「強制連行」で日本に連れてこられた人達の大部分は母国に帰り、それ以前に仕事を求めて渡日してきた人たちが中心になって日本に残留した、という一般的傾向が認められると思う。
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