北京会談までの経緯1
投稿者: remember140917 投稿日時: 2003/12/31 16:23 投稿番号: [98168 / 232612]
(救う会山口の西岡さんの講演より)
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今回の北京での会談には、平沢さんのところに北朝鮮側から会いたいというふうに言ってきました。
北朝鮮側が良くやってくる手なんです。
「日本政府は信用できないが、先生なら信用できる。」
そう言って、日本の政治家を相当騙してきたんです。
平沢さんは、拉致議連の事務局長だが、拉致議連というのは実は一度解散して新しくできています。
去年の3月に古い拉致議連が解散した。
その理由は、古い拉致議連の会長だった中山正暉という者が、2000年に日朝友好議連の会長になりました。拉致議連の会長兼日朝友好議連の会長ということになって、拉致議連の会長を辞めてくれればいいが、辞めてくれない。
友好議連の会長になって、朝鮮総連のインタビューを受けて、「拉致は幽霊のようなものだ。明るくなったらなくなっちゃう。」拉致議連の会長が、そんなことを言った。
中山正暉も、家族会が出来た直後に拉致議連を作った時は、元気だった。
日本政府の作った拉致被害者のリストを持って北朝鮮に行って、今回の大使よりももっと上の人に会って、激しくやりとりをして、リストを相手に渡して帰ってきた。それが97年の10月。
そして帰ってきて、今度は98年の3月に二度目に行って、それから帰ってきたら、急におかしくなった。
帰ってきてから記者会見をやって、「拉致議連の名前を変えたい。行方不明議連にする。」と、北朝鮮は拉致というのはでっちあげだと言っているから、行方不明者議連にすると。で、北朝鮮に米支援しようと。
そして、一人か二人帰ってきたら、国交正常化して大規模に経済援助しようと。
後の人は、国交正常化した後に探せば良い。
そういうふうになってしまった。
これは メッセージ 98167 (remember140917 さん)への返信です.
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