>>封建制
投稿者: mutekinozerosen 投稿日時: 2003/12/31 15:30 投稿番号: [98163 / 232612]
はじめまして
中国の封建制の有無をめぐっての議論と思いますが、fujiwaraさんとrachiさんの議論の発端となった投稿をしたものです。
以前から言われているように、近代社会を生む母体となった日本と西欧の封建制度は類似している点が多くあるのに対して、中国の封建制度は近代社会とは無関係であり、制度自体も西欧と日本のそれとはかなり相違があるようです。中国や他のアジア諸国にみられない封建制度が日本でのみ発達し、近代社会を生み出す母胎となりました。詳しくは時間に余裕がなく、今記述できませんが、日本と西欧にだけ近代社会を生み出す封建制度が発生したことだけ申し上げておきたいと思います。
① 『日本はその土地所有の純封建的な組織とその発達した小農民経営とをもって多くはブルジョア的偏見により書かれた我々の歴史書よりもはるかにヨーロッパ中世の姿に忠実な像を示している』 カール・マルクス「資本論」より
② 日本やヨーロッパにも封建制度があった。ヨーロッパの場合、主君と家臣の間にある、家臣は主君に忠誠を誓い、主君は家臣を保護するという関係は個人と個人の間での契約(契約だから主君が約束を守らない場合は、家臣も約束を守らなくてもよい)の上に成り立っていた。
これに対して周の封建制度では、主君と家臣の関係は、本家と分家の関係でつながれているのである。これが周の封建制度の特色である。中国では宗族が重視される。宗族というのは父系の同族集団、つまり同じ祖先から分かれてきた同じ姓の家で共通の祖先の祭祀を行い団結する、そして同姓不婚(同じ姓のもの同士は結婚しない)という原則があった。そして宗族間では本家が優越し、分家は本家を中心に団結しなければならないという宗法(そうほう)というきまりがあった。
周の封建制度では周の王(本家)と一族の諸侯(分家)の関係にもそれが当てはめられる、分家の諸侯は本家の周の王を中心に団結しなければならないという社会のきまりを周の支配に利用したということで、氏族的性格が濃いとか血縁関係を重視しているのが特色だといわれる。
http://www.sqr.or.jp/usr/akito-y/kodai/38-china1.html
③ アメリカの文化人類学者コールボーンの『歴史における封建制』によると、封建制度は次のような意義をもっているという。
静態的には、「封土」を分け与えてくれるものに対して「家臣」として忠誠をちかう、という個人的で相互的な関係の十全な発展を条件とする体制。
動態的には、高度な文明をもつ大帝国の崩壊に対する帝国周辺部の後進社会の反応。
上山春平『日本文明史』第1巻、「受容と創造の軌跡」
そして、コールボーンは、西ヨーロッパと日本が「たった二つの完全に立証された封建制の例だ」といっているようです。そして、2.の意義については、次のように詳説しています。
「高度の文明をもつ古代帝国が崩壊したあとには、二つの異なった秩序回復の道が見いだされる。その一つは帝国再興の道であり、もう一つは封建制への道である。前者が旧帝国の中心部に見いだされるのに対して、後者はその周辺部に見いだされる。前者の道は、東ローマ帝国を継承したビザンツ帝国、漢帝国をを継承した隋・唐帝国などによって代表され、後者の道は、唐帝国の周辺部にあつては封建制を確立した鎌倉幕府、ローマ帝国の周辺部にあって封建制を確立した西ヨーロッパのカロリング王朝などによって代表される」
上山春平『日本文明史』第1巻、「受容と創造の軌跡」
http://www3.justnet.ne.jp/~amazoi/kaku4-8.htm
中国の封建制の有無をめぐっての議論と思いますが、fujiwaraさんとrachiさんの議論の発端となった投稿をしたものです。
以前から言われているように、近代社会を生む母体となった日本と西欧の封建制度は類似している点が多くあるのに対して、中国の封建制度は近代社会とは無関係であり、制度自体も西欧と日本のそれとはかなり相違があるようです。中国や他のアジア諸国にみられない封建制度が日本でのみ発達し、近代社会を生み出す母胎となりました。詳しくは時間に余裕がなく、今記述できませんが、日本と西欧にだけ近代社会を生み出す封建制度が発生したことだけ申し上げておきたいと思います。
① 『日本はその土地所有の純封建的な組織とその発達した小農民経営とをもって多くはブルジョア的偏見により書かれた我々の歴史書よりもはるかにヨーロッパ中世の姿に忠実な像を示している』 カール・マルクス「資本論」より
② 日本やヨーロッパにも封建制度があった。ヨーロッパの場合、主君と家臣の間にある、家臣は主君に忠誠を誓い、主君は家臣を保護するという関係は個人と個人の間での契約(契約だから主君が約束を守らない場合は、家臣も約束を守らなくてもよい)の上に成り立っていた。
これに対して周の封建制度では、主君と家臣の関係は、本家と分家の関係でつながれているのである。これが周の封建制度の特色である。中国では宗族が重視される。宗族というのは父系の同族集団、つまり同じ祖先から分かれてきた同じ姓の家で共通の祖先の祭祀を行い団結する、そして同姓不婚(同じ姓のもの同士は結婚しない)という原則があった。そして宗族間では本家が優越し、分家は本家を中心に団結しなければならないという宗法(そうほう)というきまりがあった。
周の封建制度では周の王(本家)と一族の諸侯(分家)の関係にもそれが当てはめられる、分家の諸侯は本家の周の王を中心に団結しなければならないという社会のきまりを周の支配に利用したということで、氏族的性格が濃いとか血縁関係を重視しているのが特色だといわれる。
http://www.sqr.or.jp/usr/akito-y/kodai/38-china1.html
③ アメリカの文化人類学者コールボーンの『歴史における封建制』によると、封建制度は次のような意義をもっているという。
静態的には、「封土」を分け与えてくれるものに対して「家臣」として忠誠をちかう、という個人的で相互的な関係の十全な発展を条件とする体制。
動態的には、高度な文明をもつ大帝国の崩壊に対する帝国周辺部の後進社会の反応。
上山春平『日本文明史』第1巻、「受容と創造の軌跡」
そして、コールボーンは、西ヨーロッパと日本が「たった二つの完全に立証された封建制の例だ」といっているようです。そして、2.の意義については、次のように詳説しています。
「高度の文明をもつ古代帝国が崩壊したあとには、二つの異なった秩序回復の道が見いだされる。その一つは帝国再興の道であり、もう一つは封建制への道である。前者が旧帝国の中心部に見いだされるのに対して、後者はその周辺部に見いだされる。前者の道は、東ローマ帝国を継承したビザンツ帝国、漢帝国をを継承した隋・唐帝国などによって代表され、後者の道は、唐帝国の周辺部にあつては封建制を確立した鎌倉幕府、ローマ帝国の周辺部にあって封建制を確立した西ヨーロッパのカロリング王朝などによって代表される」
上山春平『日本文明史』第1巻、「受容と創造の軌跡」
http://www3.justnet.ne.jp/~amazoi/kaku4-8.htm
これは メッセージ 98159 (fujiwara_fuhito さん)への返信です.