朝鮮日報社説
投稿者: sofiansky2003 投稿日時: 2003/11/24 03:58 投稿番号: [93720 / 232612]
戦闘警察をデモ隊の餌食のままにしておくのか
韓国社会の暴力デモは昨日今日の問題ではないが、先日の扶安(プアン)事態と全国民主労働組合総連盟(民主労総)や農民の街頭デモの形態は、国家の公権力が現在どのように認識され、どのように扱われているのかという重大かつ本質的な疑問を抱かせる状況にまで及んでいる。
先日、ソウル市内を連日麻痺させたデモの形態を見ると、韓国社会で公権力は「誰でも、いつでも、どのようにでも」踏みつけ滅茶苦茶にしても構わない対象に転落しているという印象を受けるほどだ。
なぜ公権力がここまで墜落してしまったのか、また、それらが私達に何を意味しているのかについて現政権の最高責任者は深刻に考えてみる時がきた。
公権力が市民的な権利を抑圧していた暗い過去があるからだという説明はもう通用しない。軍事政権の抑圧的な公権力が退いてからもはや十数年が経過しているからだ。
20歳前後の年若い戦闘警察がデモ隊の電気のこぎりや鉄の棒で無残に打ちのめされる騒ぎが繰り返されても、公権力の対応は無気力に一貫してきた。政府首脳部のこのような傍観のために、戦闘警察の負傷は昨年より2倍も増え、重傷者は8倍も増加するという「公権力の重態状況」に追い詰められることになったのだ。
このような状況は政府自らが公権力に関する認識を成立できないでいることが原因だ。政府の公権力という「社会秩序の維持」のため“最小限”を行動半径にしていることを考えた時、公権力の崩壊とは、社会存立に必要な最小限の秩序さえ政府が保障できないことを意味する。
近来、大統領や首相が戦闘警察の安否を懸念し、負傷した戦闘警察を慰めたという話を聞いたことがないもの偶然ではないだろう。
にもかかわらず盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は「デモ文化の確立が必要であり…武力で公権力と衝突するのは間違っている」とした。公権力が集中治療室に運ばれている時に大統領はこれを“文化”のせいにしているのだ。
このような政府を信じて国民が大切な我が子を戦闘警察に送ろうと思うはずはなく、公権力の最後の盾を軽視している政府が権威を立て直すことなどできないだろう。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2003/11/23/20031123000038.html
これは メッセージ 93719 (sofiansky2003 さん)への返信です.
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