台湾少年工///誇りある台湾の人々
投稿者: sa_bo_ten_02 投稿日時: 2003/11/21 22:19 投稿番号: [93511 / 232612]
台湾少年工
投稿者 trycomp 投稿日時 2003-11-21 20:24:39 (43 ヒット)
●台湾少年工とは
先の大戦中、国は優秀な労働力の欠乏に悩んでいました。そこで着目されたのが、台湾の少年たちの強い向学心を刺激する方法でした。小学校高等科を卒業した者が、当時の本土で働きながら勉強をすれば、旧制中等学校卒業資格を得られるという制度でした。日本内地の少年にも、同じような制度は考えられていました。
多くの台湾の優秀な少年がこれに応募し、厳しい選抜試験を突破して日本内地へやって来ました。その数八千四百名。だが戦局はすでに困難な段階だったので、国は彼らに約束した完全な教育を施すことなく、戦闘機製造の職場へ動員しました。南国の少年たちの一番の試練は、経験したことのない厳しい冬の寒さでした。しかし霜焼けに苦しみ、シラミと闘い、食糧の不足に耐えながら、それでも彼らは真剣にその責務を果たし、職場では「すずめ部隊」と可愛がられたということです。
彼らの主に生産した戦闘機は、B29に対抗できる新鋭戦闘機「雷電」でした。緒戦に活躍したゼロ戦は、高高度でやって来るB29に太刀打ち出来なかったからです。もちろん、彼らが生産にタッチしたのは、雷電ばかりではありません。その能力を買われ、全国各地の航空機生産工場へ派遣され活躍しました。
航空機の生産能力が雌雄を決する言われた第二次大戦では、その生産工場は敵の格好な爆撃対象でした。彼らは派遣された先々で爆撃の対象となり、多くの犠牲者が出しました。その数はわかっているだけで六十柱、現在靖国神社へ合祀されています。
戦局我に利あらず、日本の敗戦により台湾少年工は、父母の元へ帰って行きました。帰郷してからの生活も、極めて厳しいものでした。それと言うのも、毛沢東率いる中国共産党との戦いに敗れて、中国本土から逃げ込んで来た蒋介石国民党政府の圧政が長く続いたからです。国民党政府は、台湾にほぼ四十年近く世界最長の戒厳令を実施し、反逆する人間を抑えこみました。そうした圧政下でも、彼らは粘り強く生き抜き、台湾経済の土台造りのために、習得した技術と持ち前の忍耐力で貢献しました。
http://www.freeml.com/message/taioan@freeml.com/0001114
この台湾少年工を「強制連行」された被害者として反日に利用しようとする勢力があります。例えば韓国の「東亜日報」(1991/10/23)は、「神奈川県で12歳から18歳の台湾少年工八千人が軍需工場で強制労働されていたことがあきらかになった」と報じたりしています。また、日本でも「反日集会」で元台湾少年工を呼んで日本告発の材料に利用しようとしたりしています(少年工の親日的発言で意図は挫かれる)。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/kokumin-shinbun/100915yokohama.html
つづく
投稿者 trycomp 投稿日時 2003-11-21 20:24:39 (43 ヒット)
●台湾少年工とは
先の大戦中、国は優秀な労働力の欠乏に悩んでいました。そこで着目されたのが、台湾の少年たちの強い向学心を刺激する方法でした。小学校高等科を卒業した者が、当時の本土で働きながら勉強をすれば、旧制中等学校卒業資格を得られるという制度でした。日本内地の少年にも、同じような制度は考えられていました。
多くの台湾の優秀な少年がこれに応募し、厳しい選抜試験を突破して日本内地へやって来ました。その数八千四百名。だが戦局はすでに困難な段階だったので、国は彼らに約束した完全な教育を施すことなく、戦闘機製造の職場へ動員しました。南国の少年たちの一番の試練は、経験したことのない厳しい冬の寒さでした。しかし霜焼けに苦しみ、シラミと闘い、食糧の不足に耐えながら、それでも彼らは真剣にその責務を果たし、職場では「すずめ部隊」と可愛がられたということです。
彼らの主に生産した戦闘機は、B29に対抗できる新鋭戦闘機「雷電」でした。緒戦に活躍したゼロ戦は、高高度でやって来るB29に太刀打ち出来なかったからです。もちろん、彼らが生産にタッチしたのは、雷電ばかりではありません。その能力を買われ、全国各地の航空機生産工場へ派遣され活躍しました。
航空機の生産能力が雌雄を決する言われた第二次大戦では、その生産工場は敵の格好な爆撃対象でした。彼らは派遣された先々で爆撃の対象となり、多くの犠牲者が出しました。その数はわかっているだけで六十柱、現在靖国神社へ合祀されています。
戦局我に利あらず、日本の敗戦により台湾少年工は、父母の元へ帰って行きました。帰郷してからの生活も、極めて厳しいものでした。それと言うのも、毛沢東率いる中国共産党との戦いに敗れて、中国本土から逃げ込んで来た蒋介石国民党政府の圧政が長く続いたからです。国民党政府は、台湾にほぼ四十年近く世界最長の戒厳令を実施し、反逆する人間を抑えこみました。そうした圧政下でも、彼らは粘り強く生き抜き、台湾経済の土台造りのために、習得した技術と持ち前の忍耐力で貢献しました。
http://www.freeml.com/message/taioan@freeml.com/0001114
この台湾少年工を「強制連行」された被害者として反日に利用しようとする勢力があります。例えば韓国の「東亜日報」(1991/10/23)は、「神奈川県で12歳から18歳の台湾少年工八千人が軍需工場で強制労働されていたことがあきらかになった」と報じたりしています。また、日本でも「反日集会」で元台湾少年工を呼んで日本告発の材料に利用しようとしたりしています(少年工の親日的発言で意図は挫かれる)。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/kokumin-shinbun/100915yokohama.html
つづく
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.