確かに一時代の終わり②
投稿者: sofiansky2003 投稿日時: 2003/11/01 23:39 投稿番号: [91353 / 232612]
金容淳書記を最後に直接見たのは、昨年8月下旬のロシア極東ウラジオストクである。
この地方を訪れた金正日総書記を追って、筆者はソウルから出張した。書記もやはり同行していた。
帝政期の面影をも残す駅舎のホームで総書記は専用のリムジンに乗り換えて駅頭にすべり出た。そのまま大通りを進む。書記ら随行員は駅頭まで歩いて出て、バスに乗って街に消えた。現代的なショッピングモールでは、書記らはショールやマトリョーシカなどを見て回る総書記の後をただ黙って付き従う。
「あれーっ、年とったなあ……」。書記の10年前の姿と重ね合わせ、少し驚いた。顔つきに精彩さを欠き、足取りに力ない。疲れているようだった。
北朝鮮の発表によると、金容淳書記は今年6月16日に交通事故に遭って入院治療を続け、10月26日に死亡した。
平壌北西の平安南道平原で34年に生まれ、金日成総合大学を出てモスクワ大に留学した。90年から対外的に目立つ存在になり、現代財閥など韓国との事業窓口であり、外貨資金も扱うアジア太平洋平和委員会の委員長なども務めた。北朝鮮指導部に入る人間の多くがそうであるように、失脚説や重病説などの対象に何回もなったりした。
書記は、昨年9月の日朝首脳会談で日本人拉致の事実を認めて謝罪したほうがよい、と事前に進言したひとりだろう、という話が日本国内の関係筋などに出ている。北朝鮮からすればその後の予想以上に強硬な日本の反応、日朝関係の閉塞状況と、今回の死亡をからめて見ようとする向きもないではない。
書記は6月13日に総書記に同行して黄海北道のヤギ種畜場を訪れ、これ以降、死亡まで書記の動静報道は途絶えていた。ラヂオプレス(RP)によると、視察翌々日の15日は同じ種畜場を各地方指導者らが訪れており、書記はそれにも参加したと思われる。17日には黄海南道の牧場視察予定があり、事故当日の16日はまさに移動日と見るのが自然だ。交通事故の話は韓国政府を含めて複数ルートから出てもいた。
「とすれば、この事故が要因になっての死亡はたぶん本当だろう」と、ある北朝鮮ウォッチャーは言う。
その裏付けにもなるだろうか、北朝鮮の国会に当たる最高人民会議の常任委員会(金永南委員長)は10月27日、金容淳書記に英雄称号を与える政令を出した。「金容淳同志は朝鮮労働党中央委員会の重要な職責に長く従事し、党の対外的権威を高め、祖国統一の偉業に貢献した」としている。
このところ、書記が日本との関係を仕切っている形跡は見えず、北朝鮮の核問題を左右する6者協議などでは外務省が前面に立ち、韓国との会談でも内閣責任参事がこなしてくるなど、書記が表に出ることはなく、時代はすでに流れつつあった。彼の死は、ひとつの時代の終わりをさらに実感させる。 (03/10/30 17:59)
http://www.asahi.com/international/w-watch/TKY200310300293.html
この地方を訪れた金正日総書記を追って、筆者はソウルから出張した。書記もやはり同行していた。
帝政期の面影をも残す駅舎のホームで総書記は専用のリムジンに乗り換えて駅頭にすべり出た。そのまま大通りを進む。書記ら随行員は駅頭まで歩いて出て、バスに乗って街に消えた。現代的なショッピングモールでは、書記らはショールやマトリョーシカなどを見て回る総書記の後をただ黙って付き従う。
「あれーっ、年とったなあ……」。書記の10年前の姿と重ね合わせ、少し驚いた。顔つきに精彩さを欠き、足取りに力ない。疲れているようだった。
北朝鮮の発表によると、金容淳書記は今年6月16日に交通事故に遭って入院治療を続け、10月26日に死亡した。
平壌北西の平安南道平原で34年に生まれ、金日成総合大学を出てモスクワ大に留学した。90年から対外的に目立つ存在になり、現代財閥など韓国との事業窓口であり、外貨資金も扱うアジア太平洋平和委員会の委員長なども務めた。北朝鮮指導部に入る人間の多くがそうであるように、失脚説や重病説などの対象に何回もなったりした。
書記は、昨年9月の日朝首脳会談で日本人拉致の事実を認めて謝罪したほうがよい、と事前に進言したひとりだろう、という話が日本国内の関係筋などに出ている。北朝鮮からすればその後の予想以上に強硬な日本の反応、日朝関係の閉塞状況と、今回の死亡をからめて見ようとする向きもないではない。
書記は6月13日に総書記に同行して黄海北道のヤギ種畜場を訪れ、これ以降、死亡まで書記の動静報道は途絶えていた。ラヂオプレス(RP)によると、視察翌々日の15日は同じ種畜場を各地方指導者らが訪れており、書記はそれにも参加したと思われる。17日には黄海南道の牧場視察予定があり、事故当日の16日はまさに移動日と見るのが自然だ。交通事故の話は韓国政府を含めて複数ルートから出てもいた。
「とすれば、この事故が要因になっての死亡はたぶん本当だろう」と、ある北朝鮮ウォッチャーは言う。
その裏付けにもなるだろうか、北朝鮮の国会に当たる最高人民会議の常任委員会(金永南委員長)は10月27日、金容淳書記に英雄称号を与える政令を出した。「金容淳同志は朝鮮労働党中央委員会の重要な職責に長く従事し、党の対外的権威を高め、祖国統一の偉業に貢献した」としている。
このところ、書記が日本との関係を仕切っている形跡は見えず、北朝鮮の核問題を左右する6者協議などでは外務省が前面に立ち、韓国との会談でも内閣責任参事がこなしてくるなど、書記が表に出ることはなく、時代はすでに流れつつあった。彼の死は、ひとつの時代の終わりをさらに実感させる。 (03/10/30 17:59)
http://www.asahi.com/international/w-watch/TKY200310300293.html
これは メッセージ 91352 (sofiansky2003 さん)への返信です.