犯罪者!捏造者!嘘つき!国家1
投稿者: netuzouhanntai 投稿日時: 2003/10/13 19:51 投稿番号: [89934 / 232612]
北朝鮮の国家犯罪
日本人拉致と麻薬
2002年10月15日北朝鮮に拉致されていた5人が20数年ぶりに帰国した。行方不明になった当時から警察などの捜査によって北朝鮮に拉致されていたのではないか、と言われていたが多くのマスコミからは無視され続けてきた。北朝鮮シンパの者たちが、北朝鮮がやったという明確な証拠がない、日本人を拉致する必然性がないのででっち上げである、と言いつづけそれに左翼マスコミが同調していたのだ。しかし歴史を見れば、拉致は北朝鮮の伝統なのである。北朝鮮建国以前つまり日本統治時代に、共産主義者ら(当時、共産匪と呼ばれていた)が間島地方を中心とする満州で、抗日ゲリラ闘争を展開していた時代から現地人を拉致していた前科があったのだ。これらの共産匪が北朝鮮建国にともない帰国して国家運営に参加したのであるが、ゲリラ時代の「人さらい」をやめることなく伝統として継承されてきたのである。
「若き将軍の朝鮮戦争」 白善○ 2000年 草思社 (○の漢字は[火+華])
(灰色文字は管理人注)
(著者の白善[火+華](はくぜんよう)氏は日本敗戦時に満州国陸軍中尉、戦後は韓国軍陸軍大将、参謀総長をつとめる)
ゲリラとの戦い
白頭山を中心とする鴨緑江と豆満江の上流一帯(朝鮮と満州の国境地帯)は、ことに治安が悪いところであった。大森林地帯であり、隠れ家には事欠かない。測量ができないので地図が白く、白色地帯とも言われていた。日露戦争前後から、反日という政治的な目的を持った武装団体がこの一帯に入ったが、1920(大正9)年の間島出兵は、それに対する日本の最初の反応であった。1931年の満州事変以降、抗日ゲリラはこの一帯で最も粘り強く戦った。その中核になったは、中国共産党が主導する抗日連軍第一路軍と言われるものであった。中国人、満州人、朝鮮人の連合部隊で、司令官は中国人の楊靖宇であった。彼は1940年2月に日本軍によって射殺された。金日成や崔庸健といった、のちに北で権勢をきわめる人々の多くは、この抗日連軍第一路軍にいたと言われてている。彼らは、日本軍や満州国軍の討伐が本格的となり、また中国本土との連絡が途絶したことからソ連領に逃げ延び、1945年8月のソ連軍侵攻とともに韓半島に帰還し、ソ連軍の武力を背景に独裁国家を建設したわけである。
(中略)
ゲリラ戦と言うと、何かロマンチックな反権力の響きがあるようで、とかくゲリラが善玉で、討伐側は悪玉というイメージがある。さらには空想が飛躍して、ゲリラ活動は清く正しいものとされがちであるが、とんでもない間違いである。ゲリラはどのように行動し、住民はどんな生活を強いられていたのか。ゲリラはほとんど生産的な活動はしておらず、密営地と称する山間部の根拠地では食糧の生産すらできない。どうやって生きていくのかと言うと、「補給闘争」と称する略奪によっている。子供や婦女子を拉致して洗脳し、戦力化する。これでは住民はたまったものではない。それでなくても貧しい生活なのに、正規の税金を取られ、ゲリラの補給闘争の目標になり、婦女子のみならず成人男子まで労働力、戦闘力として連れ去られる。
2002年10月15日北朝鮮に拉致されていた5人が20数年ぶりに帰国した。行方不明になった当時から警察などの捜査によって北朝鮮に拉致されていたのではないか、と言われていたが多くのマスコミからは無視され続けてきた。北朝鮮シンパの者たちが、北朝鮮がやったという明確な証拠がない、日本人を拉致する必然性がないのででっち上げである、と言いつづけそれに左翼マスコミが同調していたのだ。しかし歴史を見れば、拉致は北朝鮮の伝統なのである。北朝鮮建国以前つまり日本統治時代に、共産主義者ら(当時、共産匪と呼ばれていた)が間島地方を中心とする満州で、抗日ゲリラ闘争を展開していた時代から現地人を拉致していた前科があったのだ。これらの共産匪が北朝鮮建国にともない帰国して国家運営に参加したのであるが、ゲリラ時代の「人さらい」をやめることなく伝統として継承されてきたのである。
「若き将軍の朝鮮戦争」 白善○ 2000年 草思社 (○の漢字は[火+華])
(灰色文字は管理人注)
(著者の白善[火+華](はくぜんよう)氏は日本敗戦時に満州国陸軍中尉、戦後は韓国軍陸軍大将、参謀総長をつとめる)
ゲリラとの戦い
白頭山を中心とする鴨緑江と豆満江の上流一帯(朝鮮と満州の国境地帯)は、ことに治安が悪いところであった。大森林地帯であり、隠れ家には事欠かない。測量ができないので地図が白く、白色地帯とも言われていた。日露戦争前後から、反日という政治的な目的を持った武装団体がこの一帯に入ったが、1920(大正9)年の間島出兵は、それに対する日本の最初の反応であった。1931年の満州事変以降、抗日ゲリラはこの一帯で最も粘り強く戦った。その中核になったは、中国共産党が主導する抗日連軍第一路軍と言われるものであった。中国人、満州人、朝鮮人の連合部隊で、司令官は中国人の楊靖宇であった。彼は1940年2月に日本軍によって射殺された。金日成や崔庸健といった、のちに北で権勢をきわめる人々の多くは、この抗日連軍第一路軍にいたと言われてている。彼らは、日本軍や満州国軍の討伐が本格的となり、また中国本土との連絡が途絶したことからソ連領に逃げ延び、1945年8月のソ連軍侵攻とともに韓半島に帰還し、ソ連軍の武力を背景に独裁国家を建設したわけである。
(中略)
ゲリラ戦と言うと、何かロマンチックな反権力の響きがあるようで、とかくゲリラが善玉で、討伐側は悪玉というイメージがある。さらには空想が飛躍して、ゲリラ活動は清く正しいものとされがちであるが、とんでもない間違いである。ゲリラはどのように行動し、住民はどんな生活を強いられていたのか。ゲリラはほとんど生産的な活動はしておらず、密営地と称する山間部の根拠地では食糧の生産すらできない。どうやって生きていくのかと言うと、「補給闘争」と称する略奪によっている。子供や婦女子を拉致して洗脳し、戦力化する。これでは住民はたまったものではない。それでなくても貧しい生活なのに、正規の税金を取られ、ゲリラの補給闘争の目標になり、婦女子のみならず成人男子まで労働力、戦闘力として連れ去られる。
これは メッセージ 89929 (mzkucom さん)への返信です.