明星
投稿者: netuzouhanntaii 投稿日時: 2003/10/12 22:06 投稿番号: [89897 / 232612]
SAPIO
2003年2月26日号
(灰色文字は管理人注)
明成皇后(閔妃)ブームの怪(下) 「朝鮮のジャンヌダルク」どころか亡国の女帝 金完燮
朝鮮王も畏怖・非難した閔妃の残虐性と浪費
事実、閔妃はその攻治的な性向から、改革に激しく抵抗した反逆者であったが、人格的にもそれほど肯定できる人物ではなかった。閔妃は王妃になって以来、高宗の愛妾たちをことごとく捕らえて拷問したり殺害したと伝えられている。当時の宮中の権力は王妃が管掌する内命婦(宮中の女官)と王が管掌する外命婦(王族の娘、妻、高官の妻の総称)に分かれていたが、王といえども内命婦のことに関与できなかった。従って皇后には王と同衾(一緒に寝ること)する女官たちを拷問したり殺害する権限もあったということだ。閔妃は高宗の愛妾たちに性器を火で焼く宮刑を加え殺したが、なかには高宗の哀願により死を免れ、王宮を追い出された女官もいた。閔妃は高宗の愛妾たちを虐待することで高宗を掌握したのである。
閔妃は無知で欲深く利己的だった。彼女はあらゆる心配事を迷信に頼って解決した。かつて閔妃は2歳になる自分の息子(後の朝鮮最後の王、純宗)を世子にするため清国に銀2万両というとんでもない賄賂を贈った。息子が清国から世子の冊封を受けた後は、金剛山(江原道にある名山)の1万2000の峰ひとつひとつに1000両(朝鮮の1両は銭10枚、日本では4000枚)のカネと米1石、絹織物1疋(ぴき)を棒げ「世子の無病長寿を祈った。国庫金1200万両を迷信に使ってしまったわけだ。当時米1石が1両、牡牛1預が20両だったから、これがどれほどの金額かわかる。いつも宮中にムーダン(巫女)を呼ぴ入れ、儀式がない日はなかったという。腕のいい占い師には即座に絹100疋とカネ一万両を渡すなど、国のカネを湯水のように使った。
閔妃が政権を掌握した後、このような4年間が流れると、朝鮮の国庫は破綻し全ての公務員への支給が途絶えることとなった。以来5年間、朝鮮の文武百官は政府から一文の給料ももらえなかった。禄俸が出ないと官僚たちは利権ブローカーとなって蓄財し、人民の暮らしは日に日に悪化していったが、閔妃だけは違った。閔妃が朝鮮の国政を独占した22年間、閔妃の親戚たちである驪興閔氏は朝鮮のあらゆる要職を独り占めし、民の膏血をむさばった。閔妃の執権期間中、公職を得た驪興閔氏は2000名を超えたという。つまり閔妃は朝鮮の自主独立を願った救国の希望ではなく、朝鮮を滅ぼした亡国の元凶だったのだ。閔妃は決して「朝鮮のジャンヌダルク」ではなく、むしろ中国の西太后と肩を並べる人物であったといえる。西太后は清国末期に48年間も君臨し、中国の改革を妨げた女帝である。
欧米列強の植民地化の危機の時代にありながらも、このような非道な人物が朝鮮の実権を掌握していたのだ。閔妃を暗殺し奸臣を宮廷から排除しないことには朝鮮の独立も近代化も実現しない、というのが反閔妃派の朝鮮人政客の思いであり、閔妃のロシア接近に危機感を持った日本人政客の考えとも一致した。
韓国で閔妃を主人公にした「明成皇后」という反日ミュージカルが好評を博し外国公演まで行なわれているが、内容の是非はともかく李朝時代の上層階級の女性を主人公にして演劇が成立するのか疑問がある。"儒教原理主義"の朝鮮では「男女七歳にして席を同じゅうせず」という『礼記』の教えを忠実に守っており、上層階級の成人男女が面会することも直接話をするということもなく居住空間も厳密に区別されていたのである(当サイトのこちらを参照1)(キーセン等は奴婢身分だから自由にできた)。李朝末期の朝鮮を訪れた外国人の紀行文には、ソウルでは男女別に外出できる時間が決められていることが記されている。それほど男女の別が徹底していたのである(当サイトのこちらを参照2)。ところがミュージカル「明成皇后」では男女が同じ舞台に立って演技をしているのだが、、、(まぁ演劇ではありますが、笑)。実際のところ閔妃暗殺事件に参加した日本人は、誰一人として閔妃の顔を知らなかったのである。
(灰色文字は管理人注)
明成皇后(閔妃)ブームの怪(下) 「朝鮮のジャンヌダルク」どころか亡国の女帝 金完燮
朝鮮王も畏怖・非難した閔妃の残虐性と浪費
事実、閔妃はその攻治的な性向から、改革に激しく抵抗した反逆者であったが、人格的にもそれほど肯定できる人物ではなかった。閔妃は王妃になって以来、高宗の愛妾たちをことごとく捕らえて拷問したり殺害したと伝えられている。当時の宮中の権力は王妃が管掌する内命婦(宮中の女官)と王が管掌する外命婦(王族の娘、妻、高官の妻の総称)に分かれていたが、王といえども内命婦のことに関与できなかった。従って皇后には王と同衾(一緒に寝ること)する女官たちを拷問したり殺害する権限もあったということだ。閔妃は高宗の愛妾たちに性器を火で焼く宮刑を加え殺したが、なかには高宗の哀願により死を免れ、王宮を追い出された女官もいた。閔妃は高宗の愛妾たちを虐待することで高宗を掌握したのである。
閔妃は無知で欲深く利己的だった。彼女はあらゆる心配事を迷信に頼って解決した。かつて閔妃は2歳になる自分の息子(後の朝鮮最後の王、純宗)を世子にするため清国に銀2万両というとんでもない賄賂を贈った。息子が清国から世子の冊封を受けた後は、金剛山(江原道にある名山)の1万2000の峰ひとつひとつに1000両(朝鮮の1両は銭10枚、日本では4000枚)のカネと米1石、絹織物1疋(ぴき)を棒げ「世子の無病長寿を祈った。国庫金1200万両を迷信に使ってしまったわけだ。当時米1石が1両、牡牛1預が20両だったから、これがどれほどの金額かわかる。いつも宮中にムーダン(巫女)を呼ぴ入れ、儀式がない日はなかったという。腕のいい占い師には即座に絹100疋とカネ一万両を渡すなど、国のカネを湯水のように使った。
閔妃が政権を掌握した後、このような4年間が流れると、朝鮮の国庫は破綻し全ての公務員への支給が途絶えることとなった。以来5年間、朝鮮の文武百官は政府から一文の給料ももらえなかった。禄俸が出ないと官僚たちは利権ブローカーとなって蓄財し、人民の暮らしは日に日に悪化していったが、閔妃だけは違った。閔妃が朝鮮の国政を独占した22年間、閔妃の親戚たちである驪興閔氏は朝鮮のあらゆる要職を独り占めし、民の膏血をむさばった。閔妃の執権期間中、公職を得た驪興閔氏は2000名を超えたという。つまり閔妃は朝鮮の自主独立を願った救国の希望ではなく、朝鮮を滅ぼした亡国の元凶だったのだ。閔妃は決して「朝鮮のジャンヌダルク」ではなく、むしろ中国の西太后と肩を並べる人物であったといえる。西太后は清国末期に48年間も君臨し、中国の改革を妨げた女帝である。
欧米列強の植民地化の危機の時代にありながらも、このような非道な人物が朝鮮の実権を掌握していたのだ。閔妃を暗殺し奸臣を宮廷から排除しないことには朝鮮の独立も近代化も実現しない、というのが反閔妃派の朝鮮人政客の思いであり、閔妃のロシア接近に危機感を持った日本人政客の考えとも一致した。
韓国で閔妃を主人公にした「明成皇后」という反日ミュージカルが好評を博し外国公演まで行なわれているが、内容の是非はともかく李朝時代の上層階級の女性を主人公にして演劇が成立するのか疑問がある。"儒教原理主義"の朝鮮では「男女七歳にして席を同じゅうせず」という『礼記』の教えを忠実に守っており、上層階級の成人男女が面会することも直接話をするということもなく居住空間も厳密に区別されていたのである(当サイトのこちらを参照1)(キーセン等は奴婢身分だから自由にできた)。李朝末期の朝鮮を訪れた外国人の紀行文には、ソウルでは男女別に外出できる時間が決められていることが記されている。それほど男女の別が徹底していたのである(当サイトのこちらを参照2)。ところがミュージカル「明成皇后」では男女が同じ舞台に立って演技をしているのだが、、、(まぁ演劇ではありますが、笑)。実際のところ閔妃暗殺事件に参加した日本人は、誰一人として閔妃の顔を知らなかったのである。
これは メッセージ 89871 (sinjin8888 さん)への返信です.