けなげな、大和なでしこ。何とかせねば
投稿者: kocohadokowatasihadare 投稿日時: 2003/10/12 21:57 投稿番号: [89894 / 232612]
曽我ひとみさんが手記「家族、ずっと待ちます」
帰国から間もなく1年を迎える新潟県真野町(佐渡島)の拉致被害者、曽我ひとみさん(44)が、北朝鮮に残した家族への思いをつづった直筆の手記を読売新聞社に寄せた。
「もうすぐ365日」と題された手記は原稿用紙3枚分。「私に出来る事は、ただ待つ事」「しかし人には限界というものがあります」――。離ればなれになった夫と2人の娘との再会を待ち焦がれる、苦しい胸の内が切々としたためられている。
曽我さんは、帰国からちょうど1年となる15日から、真野町の嘱託職員としてカルテの整理、検診補助など保健師の補助業務を担当することになっている。
25日には、一緒に拉致され、行方不明の母ミヨシさん(当時46歳)ら拉致被害者の救出を訴える「曽我ミヨシさんたちを救出する佐渡島民大集会」が佐和田町(佐渡島)で開かれる予定。曽我さんは「何か一つでも母のためにしてあげたい。全国の皆様に集まっていただけたら大変うれしい」と話している。
◆手記の全文◆
心躍らせながら、帰ってきた故郷。もうすぐ365日……。私が生まれてから1年の間に、こんなに色々な事があったのは、初めてだ。うれしい事、楽しい事、苦しい事、さびしい事、悲しい事、毎日こんな事が複雑に起こっていました。こんな中で、私は家族を待った。そして今も、これからも、ずっと、ずっと待ちます。私に出来る事は、ただ待つ事、じっと耐えながら……。
愛する家族の心配をしながら、みんなで抱き合い涙を流すことのできる、その日のために一生懸命待つしかない。会える日を信じて。今より、もっともっと愛してあげたい。私に出来る事は、それだけ。朝も昼も夜も、いつでも、この愛を送りたい……心を送りたい。しかし人には限界というものがあります。限界の日がいつなのか私にもわかりません。しかし限界というものは、必ずあります。情報が無い中で何を考え、何を信じているのだろうかと家族の事を思うと、私の胸は締め付けられるような気持ちになります。
くわしい情報がないということは、とても不安だと思います。時々、もしかして……、私の事を……と、バカな考えをする時もあります。元気でいるだろうか? 周りの人たちから何か言われていないだろうか? 色々な事を考え始めると悪い方にばかり考えてしまいます。この1年、色々な事がありました。
夫の入院したという知らせ、「週刊金曜日」の記事、NGOの人から子供たちの手紙と写真。家族が帰って来るかもしれない、万景峰号に乗って……。色々な話やうわさがありました。私の心の中では、もしかしてみんなで会う日が近づいているのでは、もしかしてもうすぐ会えるかもしれないと思う気持ちを持ちながらも、あまり期待を持たないようにと思っていました。なぜかと言えば、もしそうでない時の事を考えました。もしそうでなければ悲しくてさびしくなってしまうからです。
たしかに1人でいれば泣くこともたびたびです。でも、私の事を心配してくれている周りの人たちの前で涙を見せる事は出来ませんでした。これだけ心配をかけているのに、これ以上心配をかけることは出来ません。私が笑顔で話せば笑顔で答えてくれるありがたい人たちをもっともっと大切にしなければならない。私1人がさびしく、辛(つら)いのではない。他にも苦しんでいる人はたくさんいると思います。そんな人たちに恥ずかしくないように生活したい。しかし、この事もとても大変な事です。
これからも自分との戦いで、自分自身に勝ちたいと思います。 曽我ひとみ(読売新聞)
[10月12日5時58分更新]
帰国から間もなく1年を迎える新潟県真野町(佐渡島)の拉致被害者、曽我ひとみさん(44)が、北朝鮮に残した家族への思いをつづった直筆の手記を読売新聞社に寄せた。
「もうすぐ365日」と題された手記は原稿用紙3枚分。「私に出来る事は、ただ待つ事」「しかし人には限界というものがあります」――。離ればなれになった夫と2人の娘との再会を待ち焦がれる、苦しい胸の内が切々としたためられている。
曽我さんは、帰国からちょうど1年となる15日から、真野町の嘱託職員としてカルテの整理、検診補助など保健師の補助業務を担当することになっている。
25日には、一緒に拉致され、行方不明の母ミヨシさん(当時46歳)ら拉致被害者の救出を訴える「曽我ミヨシさんたちを救出する佐渡島民大集会」が佐和田町(佐渡島)で開かれる予定。曽我さんは「何か一つでも母のためにしてあげたい。全国の皆様に集まっていただけたら大変うれしい」と話している。
◆手記の全文◆
心躍らせながら、帰ってきた故郷。もうすぐ365日……。私が生まれてから1年の間に、こんなに色々な事があったのは、初めてだ。うれしい事、楽しい事、苦しい事、さびしい事、悲しい事、毎日こんな事が複雑に起こっていました。こんな中で、私は家族を待った。そして今も、これからも、ずっと、ずっと待ちます。私に出来る事は、ただ待つ事、じっと耐えながら……。
愛する家族の心配をしながら、みんなで抱き合い涙を流すことのできる、その日のために一生懸命待つしかない。会える日を信じて。今より、もっともっと愛してあげたい。私に出来る事は、それだけ。朝も昼も夜も、いつでも、この愛を送りたい……心を送りたい。しかし人には限界というものがあります。限界の日がいつなのか私にもわかりません。しかし限界というものは、必ずあります。情報が無い中で何を考え、何を信じているのだろうかと家族の事を思うと、私の胸は締め付けられるような気持ちになります。
くわしい情報がないということは、とても不安だと思います。時々、もしかして……、私の事を……と、バカな考えをする時もあります。元気でいるだろうか? 周りの人たちから何か言われていないだろうか? 色々な事を考え始めると悪い方にばかり考えてしまいます。この1年、色々な事がありました。
夫の入院したという知らせ、「週刊金曜日」の記事、NGOの人から子供たちの手紙と写真。家族が帰って来るかもしれない、万景峰号に乗って……。色々な話やうわさがありました。私の心の中では、もしかしてみんなで会う日が近づいているのでは、もしかしてもうすぐ会えるかもしれないと思う気持ちを持ちながらも、あまり期待を持たないようにと思っていました。なぜかと言えば、もしそうでない時の事を考えました。もしそうでなければ悲しくてさびしくなってしまうからです。
たしかに1人でいれば泣くこともたびたびです。でも、私の事を心配してくれている周りの人たちの前で涙を見せる事は出来ませんでした。これだけ心配をかけているのに、これ以上心配をかけることは出来ません。私が笑顔で話せば笑顔で答えてくれるありがたい人たちをもっともっと大切にしなければならない。私1人がさびしく、辛(つら)いのではない。他にも苦しんでいる人はたくさんいると思います。そんな人たちに恥ずかしくないように生活したい。しかし、この事もとても大変な事です。
これからも自分との戦いで、自分自身に勝ちたいと思います。 曽我ひとみ(読売新聞)
[10月12日5時58分更新]
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.