巨済島は未だ廃墟
投稿者: rachi_yamero 投稿日時: 2003/10/12 02:12 投稿番号: [89847 / 232612]
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2003/10/10/20031010000066.html
ホーム>社会 2003.10.10(金) 18:40
【ルポ】台風から1カ月 巨済島は未だ廃墟
大きな被害をもたらした台風14号が韓半島を通過してから1カ月が過ぎようとしているが、巨済(コジェ)島の海岸は依然、廃墟同然の状態だった。
10日午後、巨済市・長木(チャンモク)面・ユホ面・サンユ村では、日陰で井戸端会議をしている5人のお婆さんがいるだけで、男性の姿が見当たらない。秋の漁の季節であるにもかかわらず、40隻あまりの船は港に停泊したままだった。
船底は数日間続いた晴天で、乾ききっていた。
イム・ジョンボク(女性/80)さんは「台風が上陸した時、船はうまく港に避難したけれど、漁具をすべて波にさらわれてしまった。船があっても漁はできない」とし、「家族の生計を心配する家長は、最初は悩みこんで家の中に閉じこもっていたけれど、最近は大きな街に出て生活手段を探している」と話した。
村の一角には燃え残ったごみが山のように積まれていた。半分もしくは全体が崩れ落ちた家は放置されたままだった。
巨済島北側の島、加助(カジョ)島は交通が不便でまだごみさえ片付けることができずにいる。道路周辺には1カ月前の暴風によって陸地から流されてきた船が巨大なごみと化している。
道路の復旧のためにレミコンとトラックは忙 しく動いているが、家と漁具を失った住民は「何もすることがない」と話す。
道路の復旧工事を見ていた李クムシク(41)さんは「村の掃除は一緒にしたけれど、いざ家を建て直そうとすると、費用もなく、政府からの支援もない。時間だけが無意味に流れていく」と話した。
巨済市は先週、特別災害地域に与えられる特別慰労金9億5500万ウォンを住宅破損(全体および半分)の被害を受けた住民に伝達して欲しいとして、邑と面単位別に分配したとした。
被害住宅272世帯にこれを分配すると、全体破損500万ウォン、半分破損290万ウォンにしかならない。住民は「特別災害地域だから他とは何か違う部分があるのかと思ったら、慰労金が100万ウォン程度多いだけのことだった」とし、「それさえもまだ手にしていない」と話した。
これに対し巨済市関係者は「1人1人の口座番号などを確認するのに時間がかかっているようだ」と答えた。
金オクマン(65)さんは妻と共に市から提供された小さなコンテナの中で暮らしている。コンテナの中には布団1組と枕2つだけが置かれている。隣の家のトイレを借り、食事は遠く離れた空き倉庫でガスバーナーを使って自炊するという生活が1カ月間続いている。
金さんは「手伝ってくれる人も資材もない。これではいつになったら新しい家が完成するか分からない」と話した。
加助(カジョ)島を離れ、夕方到着した一運(イルウン)面・ワヒョン里では、一週間前に道路と水道の復旧作業を終えただけで、その後住宅の建て直しは中断したままだという。
李某(女性/65)さんは、「この村は夏に民泊をしてやっと生計を立てている。海辺に戻って民宿を建て直すにも台風が怖いし、安全な場所に建てると風景が悪くて客が入らない。どうすることもできない状態だ」と話した。
若干耳の不自由なチェ・トクスン(77)さんは、自宅が崩れた後からは隣の家の倉庫だった小さな建物で、ひとりで住んでいる。倉庫まで案内したチェさんは、明りを灯し、救護団体などから送られたガスバーナーやコメ、衣類などを見せてくれた。
「それでもいろいろと助けてくれるので、生活に苦はありません。感謝しているってお伝え下さい」
巨済市は、「一旦、応急復旧が終わった状態」とし、「今後2800億ウォン台の予算が使われると推定される、公共・私有施設に対する恒久復旧のための基本設計作業を、村別に行っている」とした。
巨済=廉康洙(ヨム・カンス)記者
――――――――――
詳しい実情はわからないが、救援物資のおかげで衣食住に事欠く状態ではないらしいし、漁船が無事なら借金して漁具を買えば漁に出ることもできるし、「何もすることがない」なんていってる場合じゃないだろう。
高齢者世帯なら子供が助けるべきだし、働く体力がある人は自力でなんとかしようとは思わないのだろうか。
被災者にこんなことをいうのも何だが、政府が何でも面倒見てくれると期待してるただのナマケ者に思える…
ホーム>社会 2003.10.10(金) 18:40
【ルポ】台風から1カ月 巨済島は未だ廃墟
大きな被害をもたらした台風14号が韓半島を通過してから1カ月が過ぎようとしているが、巨済(コジェ)島の海岸は依然、廃墟同然の状態だった。
10日午後、巨済市・長木(チャンモク)面・ユホ面・サンユ村では、日陰で井戸端会議をしている5人のお婆さんがいるだけで、男性の姿が見当たらない。秋の漁の季節であるにもかかわらず、40隻あまりの船は港に停泊したままだった。
船底は数日間続いた晴天で、乾ききっていた。
イム・ジョンボク(女性/80)さんは「台風が上陸した時、船はうまく港に避難したけれど、漁具をすべて波にさらわれてしまった。船があっても漁はできない」とし、「家族の生計を心配する家長は、最初は悩みこんで家の中に閉じこもっていたけれど、最近は大きな街に出て生活手段を探している」と話した。
村の一角には燃え残ったごみが山のように積まれていた。半分もしくは全体が崩れ落ちた家は放置されたままだった。
巨済島北側の島、加助(カジョ)島は交通が不便でまだごみさえ片付けることができずにいる。道路周辺には1カ月前の暴風によって陸地から流されてきた船が巨大なごみと化している。
道路の復旧のためにレミコンとトラックは忙 しく動いているが、家と漁具を失った住民は「何もすることがない」と話す。
道路の復旧工事を見ていた李クムシク(41)さんは「村の掃除は一緒にしたけれど、いざ家を建て直そうとすると、費用もなく、政府からの支援もない。時間だけが無意味に流れていく」と話した。
巨済市は先週、特別災害地域に与えられる特別慰労金9億5500万ウォンを住宅破損(全体および半分)の被害を受けた住民に伝達して欲しいとして、邑と面単位別に分配したとした。
被害住宅272世帯にこれを分配すると、全体破損500万ウォン、半分破損290万ウォンにしかならない。住民は「特別災害地域だから他とは何か違う部分があるのかと思ったら、慰労金が100万ウォン程度多いだけのことだった」とし、「それさえもまだ手にしていない」と話した。
これに対し巨済市関係者は「1人1人の口座番号などを確認するのに時間がかかっているようだ」と答えた。
金オクマン(65)さんは妻と共に市から提供された小さなコンテナの中で暮らしている。コンテナの中には布団1組と枕2つだけが置かれている。隣の家のトイレを借り、食事は遠く離れた空き倉庫でガスバーナーを使って自炊するという生活が1カ月間続いている。
金さんは「手伝ってくれる人も資材もない。これではいつになったら新しい家が完成するか分からない」と話した。
加助(カジョ)島を離れ、夕方到着した一運(イルウン)面・ワヒョン里では、一週間前に道路と水道の復旧作業を終えただけで、その後住宅の建て直しは中断したままだという。
李某(女性/65)さんは、「この村は夏に民泊をしてやっと生計を立てている。海辺に戻って民宿を建て直すにも台風が怖いし、安全な場所に建てると風景が悪くて客が入らない。どうすることもできない状態だ」と話した。
若干耳の不自由なチェ・トクスン(77)さんは、自宅が崩れた後からは隣の家の倉庫だった小さな建物で、ひとりで住んでいる。倉庫まで案内したチェさんは、明りを灯し、救護団体などから送られたガスバーナーやコメ、衣類などを見せてくれた。
「それでもいろいろと助けてくれるので、生活に苦はありません。感謝しているってお伝え下さい」
巨済市は、「一旦、応急復旧が終わった状態」とし、「今後2800億ウォン台の予算が使われると推定される、公共・私有施設に対する恒久復旧のための基本設計作業を、村別に行っている」とした。
巨済=廉康洙(ヨム・カンス)記者
――――――――――
詳しい実情はわからないが、救援物資のおかげで衣食住に事欠く状態ではないらしいし、漁船が無事なら借金して漁具を買えば漁に出ることもできるし、「何もすることがない」なんていってる場合じゃないだろう。
高齢者世帯なら子供が助けるべきだし、働く体力がある人は自力でなんとかしようとは思わないのだろうか。
被災者にこんなことをいうのも何だが、政府が何でも面倒見てくれると期待してるただのナマケ者に思える…
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.