外交と戦争とイデオロギー
投稿者: bakusui87 投稿日時: 2002/10/05 09:57 投稿番号: [8951 / 232612]
外交には、あたりまえのことであるが、イデオロギーが必要だ。
戦争を政治手段の延長ととらえれば、あるいは戦争を外交手段の延長ととらえれば、戦争にもイデオロギーが必要となることは自明の理である。
日本の戦前の拡張主義の動機には、イデオロギーといったような高尚な理念は存在しなかった。
欧米からこのことを指摘されて急いでつくろったのが、「大東亜共栄圏の構築」 という日本書記の第三巻に書かれている、八紘一宇の精神に基づくイデオロギーであった。
「八紘一宇」 の精神をわかりやすく言うと、「地球はひとつ人類は皆兄弟」 のスローガンに表明されている、善隣外交の精神である。
しかし日本の軍部は感情に流されがちで好戦的であり、善隣外交などという高尚な理念など持ち合わせていなかったので、八紘一宇の精神は単なるお題目に過ぎなかった。
むしろ、八紘一宇の精神が発揮されるのは、戦後になってからのことである。
A級戦犯で絞首刑が確定していた、笹川良一はある日、占領軍の事務所に呼び出され、絞首刑を免除する代わりにある任務を行わないかと誘いを受けた。
その任務とは、八紘一宇の精神・善隣外交の精神を日本に広くPRし、ついでに欧米理念の中心となっている慈善活動をPRしないかというものであった。
笹川良一はこの申し出を快諾し、欧米諸国の指導に従い日本政府が始めた競艇事業の責任者としてのポストに着く。
競艇事業の真の目的は、売上金の何割かを海外へ慈善寄付を行うことであった。
近年までTVで放映されていた笹川良一のキャッチフレーズは 「地球はひとつ人類は皆兄弟」 であり、同時に 「競艇事業からの売上金の一部は海外に寄付されています。」 のテロップが流れていたことを思い出して欲しい。
いったい、欧米のイデオロギー、慈善を根幹においているイデオロギーとは一体どのようなことであろうか。
それは、古くはメソポタミア文明のくさび形文字の粘土板にも残されている、人間の善と悪のイデオロギーである。
メソポタミア文明の理念を引き継いでいる旧約聖書の創世記には、「エデンの園でイブは蛇にそそのかされて禁断の果実を口にし、そのときから人間は善と悪を知る者となった。」 とある。
欧米のイデオロギーの中心はこの善悪の二元論である。
そして、悪を駆逐するには慈善が絶対的に必要なことである、としている。
お金を寄付することは、悪の根幹である金銭欲を捨て去ることになり、金銭欲を捨て去ることで悪を捨て、善を身につけることができるとしているからだ。
これで、欧米諸国が笹川良一を通して行った慈善精神のPRは、善悪二元論のさとしであったことがおわかりいただけると思う。
Ω Ω Ω
北朝鮮の拉致事件は、日本軍部が行った朝鮮人の拉致 (強制労働のための強制連行) に対する、見返りの意味合いがあるということに注目すべきだ。
次の文章は、人間社会の真理を表現している:
「骨折には骨折を、目には目を、歯には歯をもって人に与えたのと同じ傷害を受けなければならない。」 旧約聖書 レビ記 24−20
この文章から、我々が北朝鮮の拉致事件を一方的に非難するのは間違っており、我々は拉致事件を日本軍が行った強制労働とワンセットで見ていかなければならに、ということに気が付くはずだ。
さらに、欧米のイデオロギーは、人間のあるべき姿を次のように表現している:
「不正なものさし、はかりを用いてはならない。」 旧約聖書 レビ記 19−35
「偽りの天秤を、主はいとう。」 旧約聖書 しんげん 11−1
わかりやすく言えば、えこひいきするな、ということだ。
自民党の拉致自連は、このいましめに従えば、あるいはこの理念に従えば、北朝鮮の拉致事件に注ぎ込む熱意を、まったく同じ状態を保ったまま、日本軍の行った朝鮮人の強制労働の実態解明に注ぎ込まなくてはならないことになる。
もしこのことをおこたれば、日本は、太平洋戦争直前に欧米社会から指摘されたような、高尚な理念が無い国家、と見られてもしかたがない。
拉致自連が行おうとしている北朝鮮の拉致事件の解明姿勢は、日本軍が行った強制労働や中国での毒ガスの人体実験、南京大虐殺の実態解明姿勢を伴わなければ、単なる怒りの感情を動機とする、わがままとなってしまう。
日本人は残虐な民族を見られているが、このレッテルを塗り替える良いチャンスが訪れているのかもしれない。
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.