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朝鮮の日本蔑視の思想?

投稿者: netuzouhanntai 投稿日時: 2003/10/05 00:41 投稿番号: [89230 / 232612]
日韓友好の名のもとに、現在進行形で歴史を美化しつつ歪曲されているのが「朝鮮通信使」である。

「日韓・歴史克服への道」   下條正男   平成11年   展転社
日本を「島夷」と蔑視していた通信使

なにかとトラブルの絶えない日韓関係を見ていると、互いに感情的になるために、本来見えるはずの問題点が視野に入らず、それが結果として次なる誤解の種となることが少なくない。そのため、過去の歴史の中に少しでも善隣友好の痕跡を発見すると、いつの間にかそれを拡大解釈し、気づかぬうちに歴史の事実が歪められてしまうことも、日韓関係史の中にはある。いずれも心情的に過去に接近したために、問題の本質を見る眼が曇っているからだ。そのような状況の中で、これまで日韓友好の格好の事例として取り上げられ、誤解されてきたものの一つに朝鮮通信使に対する評価がある。特に、日本で出版された朝鮮通信使に関する著書の一部には、通信使の往来を善隣友好のシンボルとして必要以上に強調し、過去の歴史に対する著者自身の贖罪意識が前面に出ているものがある。「不幸な歴史」続きの日韓にも、このような時があったとでもいいたいようで、それは読むたびに辟易とさせられる。それというのも、歴史的事実を借り、研究者自身の良心を代弁する手段として通信使の歴史を利用しているからなのだが、そのような演繹的な歴史認識は、結局、無理な歴史理解につながり、歴史の歪曲を助長することになる。

一方、現在の韓国の高等学校で使われている歴史教科書等では、「日本は通信使一行を通じて、先進の学問や技術を学ぶために苦労した」とし、自国文化の優越性を強調していて、その姿勢は日本側の歴史認識とも対照的な違いを見せている。それでは、朝鮮通信使を通じた日韓交流は、実際にどのようなものであったのだろうか。そこでまず注意しなければならないことは、当時の朝鮮通信使一行が、自ら小中華思想に拠って日本を「島夷」と蔑視し、中国的な文化尺度で日本を評価していた事実である。はじめから文化の相互理解など考慮の内にはなかったのである。この現実を知らずに、詩賦の唱和があったから、さぞ相互理解が進んでいただろうと考えるなら、それは通信使一行に群がった日本人たちとあまり違わない。

英祖三十九年(1763年)に通信使一行の漢通事として日本を訪れた呉大齢が、その『溟槎録』で、「最近、倭人は専ら文教に事(つか)えている。先ず漢字の音を学んだ後に経書や史書を学び、賦詩を作文して、隷書や草書を習っ」ている。この「文章の盛りはどこまで発展するか分からないほどだ」と日本文化を評した時も、その評価基準は中国文化にあった。この日本観は、慶長の役で捕虜となった姜[シ+亢](きょうこう)が「倭人で能文と言われる者は、ただ諺訳(日本語)で書いており、文宇(漢文)は知らない。ただ倭僧だけが多く支字を解す」と評した態度にも通じている。彼らにとって日本語で書かれたものは、最初から文化の範疇に属しておらず、尹順之が兵庫の宿所で「郵館嘲啾として蛮語沸く」と聞いたように、日本語は一時の小鳥の囀りでしかなかった。朝鮮通信使たちにとっての関心事は、日本側がどれだけ漢詩や漢文の素養を持っているかにあった。これを今日的な感覚でいえば、日韓のどちらが英語の駆使能力に優れているかを競い合うのと同じ発想だと思ったらよい。
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