小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

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中国の民主弾圧 3

投稿者: netuzouhanntai 投稿日時: 2003/09/23 19:59 投稿番号: [87989 / 232612]
  北京へ陳情に行って逮捕された

  姉は帰国後、学校の授業等の傍ら、法輪功も毎日続けていたようですが、1999年12月頃、姉は法輪功研究会の審判の件で、北京へ陳情に行きました。私は日本にいましたが、中国政府の法輪功弾圧をどうしても納得できず、一時帰国して北京で陳情しようかと思っていましたので、1999年末に私も北京へ行き、2000年元旦に天安門広場で警察に逮捕され、地方事務所に連行されて暴力を受けました。ちょっと隣の人と話をすると、警官が部屋に飛び込んできて私の顔と身体を殴ったり蹴ったりしました。私は何もしていないし、人と話をしただけで暴力を振るわれるのは理解できないと言ったら「呉、出てこい」と命令され、"罰の姿勢"を取らされました。20分くらい経つと身体が震えてきて顔色が真っ青になり、全身汗だらけになって、倒れそうなになった時に、ひとりの警察官が私の様子を見て「よし、部屋に戻れ」と言ったんです。

  2日後、地方(安徽省合肥市)に移送され、牢獄の中で姉に出会いました。季節は冬、牢獄の部屋の中は物凄く寒くて厳しい条件でした。2階建ての牢獄で、上の方に窓がありますが、それが閉まらなくて全部開けっ放し、冷たい風が入ってきて、電灯は24時間つけっ放しでした。私たちは幅1メートルくらいのところに、4人一緒に入れられました。コンクリートの床に寝るしかないので、皆で斜めに寄り掛かって寝ました。私は布団はなかったんですが、幸いだったのは、隣室に姉が入っていたことでした。そして、姉が私と一緒に寝てくれました。姉は掛布団1枚と敷布団1枚をもっていたので、敷布団を他の人に貸してあげて、私と姉は1つの布団で寝ました。姉と一緒でも、やはりよく眠れなかったです。姉はいつも夜中に、私の足を抱き込むようにして、温めてくれました。私も姉の気持ちを理解できたので、同じように姉の足を温めながら、二人で牢獄で過ごしました。

  私の場合、日本にいた夫と友人達が一生懸命に中国大使館に陳情して、1ヵ月くらい後に、日本に戻ることができました。しかし姉はこの4年間に4〜5回も警察に連行され、投獄されています。ある時には授業中に警察が学校へ来て、暴力的に連行されました。学生達は涙を流しながら姉を見送るしかなかったそうです。学生達も先生も「呉先生は本当に良い先生です。なぜ、法輪功を放棄しないと逮捕されるんですか」と理解できない様子でした。

  精神病院へ強制入院

  姉は牢獄で毎日拷問されても、どうしても法輪功を放棄すると言わないので、秘密裡に精神病院へ強制入院させられました。50日後に、姉の学校に精神病院から請求書が送られてきたので、皆は初めて、姉が精神病患者として治療を受けていることを知りました。学校から家族にそのことを伝えられたので、家族も姉の所在が分かったわけです。

  最初の1年半の拘束が終わって家に戻った時には、折から2001年の上海のAPAKU会議が開かれており、7〜8人の警察官が2〜3台の車で姉の家を取り囲み、24時間監視しました。姉は買い物にも出られず、一歩も家を出られない状態でした。ある夜、水道の蛇口が壊れて水が物凄く吹き出しましたが、それを修理したくても家を出られないんです。
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