小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

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朝鮮の現実

投稿者: netuzouhanntai 投稿日時: 2003/09/21 18:43 投稿番号: [87611 / 232612]
「立ち直れない韓国」   黄文雄   1998年   光文社 (かっこ内管理人補足)

朝鮮の社会革命の難しさの根源は、その伝統的な身分階級制度にある。甲申改革当時の金玉均ら改革派たちの主張によれば、朝鮮社会の門閥や封建的身分制度こそ不平等の根源、国政腐敗、国力衰弱の主因と指摘している。両班階級は、その能力や才能とは無縁な生まれつきの血縁関係によって規定される伝統的な身分制度であった。朝鮮半島は、1894年になって、ようやく「四民平等」を宣言した。そのときから、賎民(奴婢など)もやっと両班や良人と同じように戸籍を持つように戸籍法が改正された。しかし、甲午改革は「三日天下」ですぐに失敗した。朝鮮総督府は、実質的に法律によって階級差別廃止を行なったのであった。

李朝末期には、奴婢が公賎(官庁に所属した奴婢)と私賎(両班などに所有された奴婢)に分けられ、私賎は男子が少なく、女子がほとんどであった。婢(女の奴隷)は日韓併合当時、まだ一人三十円で売られていた。婢に特定の夫はおらず、何人かの間で替えていくのが風習であった。しかし、婢は主人の所有物であったから、その生まれた子供もまた主人の所有に属し、その子もまた転売されていくので、婢の子孫は、女子であれば、ほとんど世々代々奴隷として浮かぶ瀬あらんやといわれた(まさしく性奴隷)(『朝鮮農業発達史』『同・政策編』小早川九郎編著、友邦協会)。

朝鮮農民は、両班に差別され、白丁(被差別民)がまた農民に差別された。この階級社会ではトラブルが絶えなかった。このような朝鮮社会の病弊は、けっして一朝一夕で克服できる問題ではない。今日の韓国社会に至ってもそういえる。甲申改革は「三日天下」で失敗に終わったから、国王の命令によって「甲申政綱」が回収されたために、その正確な原案を知ることができない。今日に伝わっている「甲申政綱」の具体的内容は、資料によってその詳細が多少異なる。いずれにしても近代国家としての本格的社会改革は、朝鮮総督府からであったというべきだろう。

また、李朝時代の地域的差別は、西北地方と東北地方の出身者が、完全に官界から排除され、官吏は中央だけから送られた。もちろん、国家による地方差別は公然と制度化された。『経国大典』には、咸鏡道、平安道、黄海道の人は、官憲への登用はもちろん、鷹師への起用さえ禁止する条項があったほどだ。平安道人は、平安道奴、西漢、平漢、平奴、避郷奴と蔑視されていた。朝鮮総督府はこれらの差別を廃止したが、残念ながら、今日の韓国社会では、地域的な差別が厳然として存在している。それは朝鮮半島の永遠なる民族的課題とさえいわれている。このような見捨てられた地方民、つまり東北、西北朝鮮の地方民は、被差別民だから、門閥を重んじる京城の両班たちは、ほとんど西北地方の人との婚姻を禁止し、つき合いさえなかった。というのは、東北、西北の地方民は、ほとんど任官を受けられなかったので、婚戚関係を持ったところで何の役にも立たないからである。ましてや京城の人間から見れば、東北、西北地方は、重罪人の禁固や流配の地にすぎなかった。咸鏡道人を「水売り」、「咸鏡道奴」、「咸鏡ネギ」と軽蔑し、敬遠するのは、伝統的な差別意識からくるものであった。
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