教科書にでない真実
投稿者: netuzouhanntaii 投稿日時: 2003/09/18 23:36 投稿番号: [87315 / 232612]
朝鮮人は疫病死と餓死の恐怖から解放された。
朝鮮人人口の推移、急激な増加がみてとれ李朝時代と比べると倍増している。総督府による医療衛生制度の導入と食糧増産政策によって、これだけの人口が養えるようになったのである。韓国人と反日左翼は総督府の植民地経営の善政を一切認めないが、これは輝かしい成果の一つではないのか?
「朝鮮総督府統計年報」
朝鮮総督府編
年次 年末常住人口・(注)1944年は5月
1910(日韓併合年) 1312万8780人
(注)初期の調査は精度が低いとされている
1915 1595万7630人
1920 1691万6078人
1925 1854万3326人
1930 1968万5587人
1935 2124万8864人
1940 2295万4563人
1944 2512万0174人
(この他に日本内地や満州に数多くの朝鮮人がいた)
2001年小泉内閣は、日本のハンセン病患者に対し強制隔離など非人道的取り扱いがあったことを謝罪し補償金を支給した。しかし朝鮮のハンセン病政策は、自分たちの処遇改善を総督府に要求して勝ち取った結果なのである。
「ソウルに刻まれた日本」
鄭雲鉉
武井一訳
1999年
桐書房
(日本統治時代)歴史はただ一度だけ、総督府の前でデモ事件があったことを記録している。
今は治療術がよくて問題はないのだが、その当時、「ハンセン病」は「天の制裁(天刑)」と呼ばれていた。彼らは家族から捨てられ、当局にとっても蔑視の対象でしかなかった。彼らはどんな形であろうとも保護を必要とすることと、同時に周囲の関心を喚起させる必要を感じたあまり、植民地時代に「デモ」という形で意思表示を強行したのであった。
1932年、朝鮮全域から集まった「ハンセン病」患者600名の行進者は、光州から歩いて12日で京城に到着した。警察も憲兵も、ハンセン病患者ということで彼らを怖がって彼らの行進を阻止できなかったのだ。行進は崔興[王+宗]牧師が指導した。結局、総督府当局はハンセン病患者の代表、崔牧師と宇垣総督の単独面談をとりもって事態を収拾した。旧朝鮮皇室と、日本の皇室、そして朝鮮内の有志が寄付金を寄託し、その金で小鹿島の療養施設を拡大し、この事件を契機にハンセン病患者の治療政策を新たに考究したという。
これは メッセージ 87313 (netuzouhanntaii さん)への返信です.
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