洗脳された子供たち
投稿者: hangyosyufu 投稿日時: 2003/09/12 01:53 投稿番号: [86372 / 232612]
この一連の会話には、さまざまな問題が凝縮されている。
まず、児童の1人の「昨日、12時まで話し合って、先生がみんな反対しているのに」との発言に注目してほしい。
実は卒業式前日、二小では牛後2時半から夜11時半まで、9時間というロングランの職員会議が開かれていた。やはりその席では校長が、他の教職員を前に孤立無援の説得を続けていたのだが、それはともかくとしても、なぜ児童がその会議の内容まで知っているのか。
市教委が都の教育庁に提出した報告書にその解答があった。卒業式直前、6年の担任教員たちが児童120名を視聴覚教室に集め、前日の職員会議の内容を漏らした上で、「先生たちは頑張ったが、校長の判断で日の丸が掲揚された。君たちが主人公なので、全力で頑張ってほしい」などと、こともあろうに「共闘」を呼びかけた、というのである。
教師の呼びかけに、実際に応えた児童もいる。式の最中、1人の卒業生が自分の「夢」を語る際にこんな発言をした。
「校長先生、校長先生に望むことは、子供の意見を聞ける校長先生になってください(教職員席から拍手)」
これは果たして、この卒業生の「夢」なのだろうか。教師から繰り返し聞かされていた「人の意見に耳を傾けない校長先生」の像が、彼の本当の「夢」を押しつぶしてしまったのではないだろうか。
つまりは、校長を取り囲んだ二小の児童たちは、完全に教師たちのマインドコントロール下にあるのだ。校長がいみじくも「どんなことを教えているのか」と憤激して教師に尋ねているように、児童たちの、まだ価値観がきちんと育まれていない未成熟な心は、普通の小学校であれば教わることのない「何か」に明らかに占拠されてしまったのだ。
最近、私のところに反日の丸・君が代の「一市民」と名乗る女性が電話をかけてきた。そこで「子供を使うのはやめなさいよ。大人が自分の責任で、名前を正々堂々と名乗って街頭活動をしなさいよ」と言った。彼女は「嫌がらせが相次いでいる」と、私たちは被害者だとばかりの態度だ。「冗談ではない。私のところには自宅、事務所を問わず、嫌がらせの電話は山程ある。右でも左でも、ルールを心得ない人はいるものだ」と返答したら黙り込んでしまった。
何か一定の主張をするには、必ずリスクが付いて回るのが日本の未成熟な民主主義の姿である。そのリスクを負い、自らの意見を世に問うのが筋である。そのリスクを子供たちに負わせてしまうことほど、卑怯なことはない。
また、生徒の主体性を前面に押し出した
「卒業式はわたしたち中心のものだ」
「ぼくたちの卒業式なんだから」
といった言葉の欺瞞にも触れておこう。
確かに、卒業式は児童たちが「主役」の学校行事である。しかし、児童たちの意見が全面的に反映されるべき性質のものでは全くない。そもそも、テストもカリキュラムも、始業時間や授業時間数も、未成熟な「主役」たる児童たちが成長するために、学習指導要領に基づいて学校側が決めるものである。「ぽくたちがそうしたいから」といって、テストの内容を変えることも、授業時間数を変えることもできるわけがない。「主役」は児童たちであっても、卒業式という学校行事の式次第を決めるのは彼らではない。無論、先に記したように、児童に罪はない。断罪されるべきは、自らの要求を生徒たちに代弁させようと仕向けた教師たちではあるが。
「民主主義に反する」
「基本的人権に違反する」
「意法1条に違反する」
「多数決で多い方に決めるのが民主主義」
この言辞にしても、戦後日本の精神を無自覚にも歪め続けてきた進歩派、市民派と称する圧力団体が金科玉条の如く唱えるお題目と寸分違わぬものである。国旗・国歌法は民主主義に基づき多数決で決められたのではなかったのか。基本的人権の尊重はもちろんのことだが、児童の人権をまず侵害したのは、現場の教師たちなのではないか。
まず、児童の1人の「昨日、12時まで話し合って、先生がみんな反対しているのに」との発言に注目してほしい。
実は卒業式前日、二小では牛後2時半から夜11時半まで、9時間というロングランの職員会議が開かれていた。やはりその席では校長が、他の教職員を前に孤立無援の説得を続けていたのだが、それはともかくとしても、なぜ児童がその会議の内容まで知っているのか。
市教委が都の教育庁に提出した報告書にその解答があった。卒業式直前、6年の担任教員たちが児童120名を視聴覚教室に集め、前日の職員会議の内容を漏らした上で、「先生たちは頑張ったが、校長の判断で日の丸が掲揚された。君たちが主人公なので、全力で頑張ってほしい」などと、こともあろうに「共闘」を呼びかけた、というのである。
教師の呼びかけに、実際に応えた児童もいる。式の最中、1人の卒業生が自分の「夢」を語る際にこんな発言をした。
「校長先生、校長先生に望むことは、子供の意見を聞ける校長先生になってください(教職員席から拍手)」
これは果たして、この卒業生の「夢」なのだろうか。教師から繰り返し聞かされていた「人の意見に耳を傾けない校長先生」の像が、彼の本当の「夢」を押しつぶしてしまったのではないだろうか。
つまりは、校長を取り囲んだ二小の児童たちは、完全に教師たちのマインドコントロール下にあるのだ。校長がいみじくも「どんなことを教えているのか」と憤激して教師に尋ねているように、児童たちの、まだ価値観がきちんと育まれていない未成熟な心は、普通の小学校であれば教わることのない「何か」に明らかに占拠されてしまったのだ。
最近、私のところに反日の丸・君が代の「一市民」と名乗る女性が電話をかけてきた。そこで「子供を使うのはやめなさいよ。大人が自分の責任で、名前を正々堂々と名乗って街頭活動をしなさいよ」と言った。彼女は「嫌がらせが相次いでいる」と、私たちは被害者だとばかりの態度だ。「冗談ではない。私のところには自宅、事務所を問わず、嫌がらせの電話は山程ある。右でも左でも、ルールを心得ない人はいるものだ」と返答したら黙り込んでしまった。
何か一定の主張をするには、必ずリスクが付いて回るのが日本の未成熟な民主主義の姿である。そのリスクを負い、自らの意見を世に問うのが筋である。そのリスクを子供たちに負わせてしまうことほど、卑怯なことはない。
また、生徒の主体性を前面に押し出した
「卒業式はわたしたち中心のものだ」
「ぼくたちの卒業式なんだから」
といった言葉の欺瞞にも触れておこう。
確かに、卒業式は児童たちが「主役」の学校行事である。しかし、児童たちの意見が全面的に反映されるべき性質のものでは全くない。そもそも、テストもカリキュラムも、始業時間や授業時間数も、未成熟な「主役」たる児童たちが成長するために、学習指導要領に基づいて学校側が決めるものである。「ぽくたちがそうしたいから」といって、テストの内容を変えることも、授業時間数を変えることもできるわけがない。「主役」は児童たちであっても、卒業式という学校行事の式次第を決めるのは彼らではない。無論、先に記したように、児童に罪はない。断罪されるべきは、自らの要求を生徒たちに代弁させようと仕向けた教師たちではあるが。
「民主主義に反する」
「基本的人権に違反する」
「意法1条に違反する」
「多数決で多い方に決めるのが民主主義」
この言辞にしても、戦後日本の精神を無自覚にも歪め続けてきた進歩派、市民派と称する圧力団体が金科玉条の如く唱えるお題目と寸分違わぬものである。国旗・国歌法は民主主義に基づき多数決で決められたのではなかったのか。基本的人権の尊重はもちろんのことだが、児童の人権をまず侵害したのは、現場の教師たちなのではないか。
これは メッセージ 86369 (hangyosyufu さん)への返信です.